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第10話 告白②

 嵐山龍馬を見送った由宇は白い割烹着に袖を通しながら頬を染めた。自分でも驚く行動力、気が付けば彼の唇に自身の唇を重ねていた。ふわりと薫る日本酒、男性にしては珍しくオーデコロンではなく石鹸の匂いがした。


(あれは牛乳石鹸青箱の匂い!)


 嵐山龍馬は清廉潔白な人柄であると由宇は感じた。


(ーーーふふ、あの時の慌て様ったら)


 嵐山龍馬は不確かなを謝罪し額を床に擦り付けた。しかも相手は子持ちの女性でその子どもが直属の部下だと知った時の慌てふためき様は見ものだったと源文もとふみは腹を抱えて笑った。


「あいつ、俺の父ーちゃんになるつもりじゃね?」

「まさか会ってまだ1週間なのよ」

「出会って10秒で一目惚れするって言うじゃん」

「一目惚れ、ねぇ」


 そして今夜は源文を呼び出し自筆の離婚届を見せ本気の度合いを証明して見せた。繊細な問題に対して真摯で実直、そう言えば左の薬指に結婚指輪は無かった。


(それに)


 たった一度訪れた居酒屋の一輪挿しに気付く客はそうそう居ない。しかもこの店に似合う一輪の桔梗の花。


(部長を文鳥だと思っていたけれどあれは訂正するわ)


 シンクの中で泡立てたスポンジ、此処しばらくの醜い汚れが排水口へと流れて消えた様な気がした。


 タクシーの後部座席の扉が開いた。


「支払いはチケットで頼む」

「はい、いつもありがとうございます」


 前髪を掻き上げた嵐山龍馬はスーマートでスタイリッシュな動きでタクシーを降りた。


「ありがとう」


 ところがマンションの自動扉を跨ぐとその動作は様変わりした。足はもつれ御影石のエントランスをぎこちなく横切りエレベーターのボタンを連打した。


「あ」


 由宇の紅が薄っすらと残る唇がかごの鏡に映った。


心の声A(ああああああ!)


 嵐山龍馬は小走りで廊下を駆け抜け慌てた手付きで玄関の扉を解錠し革靴を脱ぎ散らかすと湿ったスーツのままベットに飛び込んだ。


「あああああ!」


 羽毛布団に包まって身悶えする姿は普段の嵐山龍馬とは程遠いものだった。


「キス、キスしてしまった!」


心の声B(あんな激しいキス!淫らな!)

心の声C(最高だろう)


心の声D(キスぐらいでなに騒いでんだよ、もう?)


心の声A(おまえ誰)

心の声B(あなたはどなたですか)

心の声C(見掛けない声だな)


「しっ!しかも明日も来て下さいだと!?」


 初めて由宇の部屋で世話になったのは金曜日の夜だった。嵐山龍馬の鼻息は荒く心臓は跳ね上がり血管の中では血が逆流していた。


「明日は金曜日じゃないか!」


 ふたたび思い返す初めての夜(記憶はないが)、そして朝の日差しの中の由宇はしどけない下着姿だった。


心の声B(あっ!あれが必要ですよ!)


 ベッドから勢いよく起き上がるとナイトテーブルの引き出しを開けた。喉仏が上下し唾を飲み込んだ。


心の声C(久しぶりに見たなぁ)


 2番目の妻は1年前から不倫していた。当然その期間中に嵐山龍馬と妻の間に夫婦の営みは皆無だった。未開封のコンドームの箱を取り出し製造年月日と使用期限を確認した。


心の声D(心置き無く使えるな!)

心の声A(15分だけどな)


 そこでふと気が付いた。


「先週はどう処理したのだろうか、まさか」


 手に汗を握る。


「まさか、由宇さんの中に出したのか!?」


心の声A(どうするんだよ)

心の声B(これは責任を取るしかないですね)

心の声C(婚姻届も貰って来れば良いんじゃない)

心の声D(まず20分を目指そうぜ、話はそれからだ)


 小箱の中から小袋を取り出しひとつずつ切り離すと長財布の中に入れた。


「3、4個あれば足りるだろう」


心の声D(どんだけする気やねん!)


 冷静になった嵐山龍馬はスーツをハンガーに掛けるとちまちまとシワを伸ばししわ取りスプレーをしゅっしゅっと吹き掛けた。そして革靴に新聞紙を詰め込むと左右を揃えて玄関に置いた。


「あとは」


 クローゼットのタンスから未開封の肌着とトランクスを取り出しベッドの上に並べて腕を組んだ。


「明日の会議は紺色のネクタイ。下着も紺で統一すべきか」


心の声A(そこまで組み合わせる必要ある!?)

心の声B(お洒落も大事ですよ)

心の声C(やる気満々って感じがしないでも無い)

心の声D(部屋に入ったら即突入で良いじゃん)


「無難にこれにしておこう」


 それは青系のペイズリー柄だった。


心の声一同(なんでそれを選ぶかなぁ)


「ーーーーで、ペイズリー柄を選んだと」

源文もとふみくん、どうだろうか」

「てか部長、会社じゃ結城で良いっすよ」

「そ、そうだな、結城くん、お父さんは何柄を履いていたのかな」


 源文は呆れ顔で海老天丼を頬張った。


「その豚カツ、一切れくれます?」


 嵐山龍馬は豚カツ定食の豚カツを全て源文の皿に取り分けると前のめりになって目を輝かせた。


「てか、うちのクソジジイと母ーちゃんみたいすよ」

「そ、そうなのか」


 自身から話題を振っておいてその生々しい返答に嵐山龍馬は眉間にシワを寄せた。


「て、手は繋いでいたのかな」

「俺は見た事ないっすね、今まで離婚しなかったのが不思議なくらい殺伐としてたっつーか結婚てこんなもんかと夢も希望もない感じすね」

「そうなのか」


 自分の事は棚に上げ少しばかり由宇が気の毒になった。


「あんなに美しいのに、勿体無い」

「部長、母ーちゃんに一目惚れしたんすか」

「そっ、そんな事は」

「したんすね」


 2人同時に味噌汁を啜った。


「俺は賛成っす」

「源文くん」

「嵐山源文の方がカッケェっす」

「そうか」

「まぁ今夜決めちゃって下さいよ」

「わ、分かった。由宇さんの事は幸せにする、約束しよう」

「15分は早えっすけどね」


ぶーーーーっ!


 嵐山龍馬の口からワカメが飛び出した。


「なっつ、なんで」

「母ーちゃんから聞いたんすよ、15分間」

「どっ、どうして」

「俺と母ーちゃん仲良いんすよ」


 これは上司としての威厳に関わる案件だ。なんとしても堪えなければ、嵐山龍馬は「これ、良いっすよ」と将来の息子から薦められたの為の滋養強壮剤ドリンクを買い居酒屋ゆうへと向かった。

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