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第9話 告白①

 エスカレーターを駆け下りると小洒落た花屋が店を構えていた。ふと目にした店内に青紫の桔梗の花が咲いていた。緑あふれる中にひっそりと咲く桔梗は和服の由宇を思わせた。


「これ下さい」

「何本お包みしましょうか」

「1本、お願いします」


 それは決して金額をけちけちした訳ではなく、一輪挿しがあの店の雰囲気に似合うと思った。傘を差した人混みを避けながら居酒屋ゆうへ向かう嵐山龍馬の心臓は久方振りに跳ねていた。この様なときめきは何年振りだろう。


(胸がドキドキする)


 これまで人生を共にした女性たちも皆、悪くは無かった。然し乍ら結城由宇にはそれに勝る女性らしい魅力と母の様な温もり、包容力を感じた。


(一目惚れとは、この事か)


 これまでの自分とは正反対の自分、気負わずに接する事が出来る伴侶とようやく巡り会えた様な気がした。


心の声A(由宇は如何思っているのか!)

心の声B(期待しすぎると泣きますよ)

心の声C(告白して成功する確率100%だと思う人挙手!)

心の声A(微妙)

心の声B(微妙)

心の声C(微妙)


 恋に落ちるまで15分間、出会って1週間、告白して成功する確率は限りなく低い。それでも嵐山龍馬は当たって砕ける覚悟で由宇の元へと一目散に向かった。


 ところが独り身になった女将に懸想する権蔵や笹谷を始めとする有象無象が店を独占し、嵐山龍馬は雨の中で紺色の傘を差し待つ事になってしまった。足元に波紋が出来、革靴が雨に萎れた。


(動悸が止まらない)


 待つ苦痛よりもこれから由宇に伝えるべき言葉を考えあぐね時間はあっという間に過ぎた。雨足が強くなる頃店先に3台のタクシーが着けられた。


「ごちそうさま、また来るよ」


 皆散り散りにタクシーの後部座席に乗り込むと店内は静かになった。


「じゃあな、由宇ちゃんおやすみ」


 地主の権蔵が最後の客だったらしく由宇が軒先まで見送った。ところがその暗闇にずぶ濡れの紺色の傘が立っていたものだから「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた。


「あら!嵐山さん!」


 由宇はその傘が嵐山龍馬だと気付き中へと招き入れた。


「暖簾、下げますね」


 入口には準備中の札が掛けられ赤提灯あかちょうちんの灯りが消えた。由宇は店の奥からタオルを手に持ちその身体を拭いた。


「嵐山さん、入って下されば良かったのに」

「お忙しそうでしたから」

「満席でしたものね、ごめんなさい」

「これ、どうぞ」


 桔梗の花には雨が滴り包んだ紙は見る影も無かった。然し乍らそれを受け取った由宇は満面の笑みで応えた。


「お花を頂くなんて、嬉しい」

「一輪で申し訳ない」

「いいえ、嵐山さんこの花瓶に気付かれたんじゃないですか?」


 カウンターの端には白磁の一輪挿しが出番もなく埃を被っていた。それを見て由宇は溜め息を吐いた。


「離婚騒動で気忙しくて、花を生ける事も忘れていました」

「そうですか」

「ありがとうございます。今、生けますね。お座りになって」

「はい」


 表は雨音で人通りも少ない。時折タクシーの行灯が通り過ぎるだけの静かな時間が流れた。


「ちょうど良いわ。素敵ね、ほら!」

「由宇さんに似ていたので桔梗を選びました」

「あら、私はこんなにおしとやかでは無いですよ」

「私にはそう見えます」

「お上手ね、熱燗おつけしましょうね」

「ありがとうございます」


 徳利に注がれる日本酒の香、下戸げこの嵐山龍馬はそれだけで酔いが回る様な気がした。


「嵐山さん、今夜はお猪口に2杯だけよ、明日もお仕事でしょう」

「ああ、そうですね。また正体が無くなると由宇さんにご迷惑をお掛けしますから」

「ご自宅が分からなくて困りました」


 嵐山龍馬は自宅マンション南町レジデンスの住所をメモし、今度からここに送り返して欲しいと笑った。


「あら、私の部屋にお泊まりにならないの?」


 由宇が冗談めいて微笑むと嵐山龍馬はお猪口を口元から離して凝視した。


「良いんですか」

「良いわ」


 カウンター越しに絡み合う視線。今夜大人の恋が始まろうとしていた。


 嵐山龍馬が1杯目のお猪口を飲み干すと由宇は着物の袂に手を添えながら徳利を傾けた。


「蕗と油揚げの煮物がお口に合いました?」

源文もとふみくんからお聞きになられたんですか」

「はい、LINEメッセージが届いていました」

「そうですか」


 店に訪れた言い訳が露見した事で顔が赤らんだ。


「お召し上がりになられますか」

「あ、はい」


 九谷焼の器に品良く盛り付けられた蕗の筋は一本一本丁寧に処理され噛んだ瞬間の歯応えが絶妙だった。口に含んだ油揚げから染み出す北陸らしい甘い出汁だしは日本酒に良く合った。


「美味しい」

「ありがとうございます」

「毎日でも食べたいです」

「毎日でもお作りしますよ」


 由宇の微笑みが社交辞令なのか本心なのか見極めが付かない嵐山龍馬はこの頃合いで告白するべきか否か悩んだ。


心の声B(今は未だ早いですよ!)

心の声A(当たって砕けるのもアリだな)

心の声B(そんな勿体無い!ここは慎重に!)

心の声C(急がば回れ)

心の声B(そうですよ!)

心の声A(GOGO!)


「あ、あの」

「駄目ですよ」

「えっ」


心の声B(ほらやっぱりーーー!)


「お酒はそれでお終いですよ」

「あ、あぁ」


 気がつけば煽る様に飲み干したお猪口は空になっていた。


「タクシー呼びますね、ご都合の良い会社はあります?」

「では、北陸交通で」

「はい」


 由宇は店の奥でタクシー配車依頼の電話を入れていた。改めて店内を見渡すと華美な装飾もなく落ち着いた雰囲気だ。間口の狭いカウンター席が10脚、これならば女性1人でもなんとか切り盛り出来そうだ。


「タクシー、5分から10分で来るそうですよ」

「ありがとうございます」


 それにしても壁にはネームタグの付いた日本酒に洋酒、焼酎の瓶がずらりと並んでいる。これら全てが顧客ならば居酒屋ゆうは人気の店なのだろう。それ等をじっと見つめていると声を掛けられた。


「嵐山さんのお酒を入れておきましょうか」

「入れ、入れる?」

「ボトルキープです、3,000円から5,000円ですよ」


心の声A(ボトルキープすれば?)

心の声C(妙案ですね!賛成!)

心の声B(同意します!)


 ボトルをキープすれば下戸が連日来店してもおかしくない。


「嵐山さんは甘いお酒と辛いお酒、どちらがお好きかしら」

「飲みやすいのは」

菊姫きくひめは軽くて甘めで水の様に飲めますよ」

「あぁ、鶴来町つるぎまちの酒蔵ですね」

「あら、お酒が苦手なのに良くご存じなのね」

「父が酒豪ですから」


 由宇は何気なく嵐山龍馬の母親に言及したが謝罪する事となった。ただそれは嵐山龍馬にとって話の切り口となった。


「嵐山さんはお母様似なのかしら」

「如何かわかりません、母は私が小学生の頃に亡くなりました」

「あ、あら。ごめんなさいご愁傷様です」

「気になさらないで下さい」


心の声A(此処で言え!言うんだ!)


 カウンターの上で握り拳を作り自身を奮い立たせた。


「はっつ!」

「はっつ?」

「母が私の理想です!」


 自分でも意図せぬ言葉が転がり出た。


「お母様が?」

「私の理想の女性は母です!」

「お母様が、理想」


心の声A(アウトーーー!)

心の声B(な、なに言ってるんですか!)

心の声C(マザコンだろ、マザコン決定だろう!)


「チッ、違います!母では無く、いや、母、いや違います!」

「あらまぁ、落ち着いて下さい」

「由宇さんは、私の」

「嵐山さんの」

「私の理想の女性です!」


心の声A(言ったーーー!)

心の声B(ああああああ!)

心の声C(よし、よし!よし!)


 由宇はそれをお世辞と取ったのか「あら、まぁ」と笑った。


心の声A (通じてない!)

心の声B(通じてない!)

心の声C (通じてない!)


 ボトルキープの名札と油性ペンを取り出した由宇は「はい、お名前を書いて下さいね」とそれを手渡した。如何にも自分の意図が通じないこの状態に意気消沈した嵐山龍馬は渋々名前を記入してカウンター越しに手渡した。


「ーーーー!?」


 由宇はその手を握ると手のひらに油性ペンで携帯電話番号を書き込んだ。


「接客中は出られませんがいつでもお電話下さい」

「あっ、はっ、はい」

「待ってます」


 丁度そこで店先に緑色の行灯が到着した。


「あら、早い」


 由宇が見送る為にカウンターから出ると嵐山龍馬はスーツのポケットから長財布を取り出した。


「ご馳走様でした」

「お代金はこれで頂きます」

「え?」


 そう呟いた由宇の唇が嵐山龍馬の唇に重なった。


心の声A(うわーー!マジか!)

心の声B(やだ、由宇さんってば、だ・い・た・ん♡)

心の声C(意外な展開!)


心の声D(抱きしめろ!舌を入れるんだ!)


 腕を回し抱きしめ合う2人、嵐山龍馬は由宇の顎を掴むと引き寄せ舌を差し込んだ。由宇はそれを拒む事なく受け入れると舌を絡め互いに唇を吸い舐め合った。甘い吐息が漏れた。


「ーーー明日、待ってます」


 明日は金曜日だ。


「はい」


 もう一度唇を重ねているとタクシー乗務員が「お待たせしました」と声を掛けて来たが驚いた顔をして「失礼しました!」と慌てて扉を閉めた。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい」


 嵐山龍馬の唇には由宇の赤い紅が着いた。

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