彼女は怒っていた。
怒りに震え肩を怒らせ、顔を歪ませながら。
両手に持つ固めの箱が変形するくらいに、力を入れて歩き続けた。
お洒落したワンピースが風に揺れる、その足にまとわりつく感覚に顔を歪めてたいそう憤慨しながら電車に乗るべく駅へと足を進めていた。
全てはこんな箱のせい。
そう、この箱………Anotherfantasiaのせい。
体感出来る幻想郷
これが、この箱の
ゲームのキャッチフレーズとなっていた。
「どれだけのもんだっていうのよ、やってやろうじゃない……」
ゲームに一切興味ない彼女の幻想郷のはじまり
彼女の怒りは、今から数時間前に遡る。
朝からご機嫌な彼女は、東堂翠という。
今日は彼女にとって特別な日で、嬉しい日
付き合い始めて今日で1年がたつ、それも翠の誕生日なのだ。
一年前の誕生日の日、翠は大好きな人から告白された。
嬉しくて泣きながら頷いた翠は、大好きな彼氏に初めて抱きしめられた。
それから色々あった。
喧嘩もした、でも、幸せだった。
そう、あるゲームに出会うまでは。
最近、いや、ここひと月くらい
あまり彼との連絡がとれないでいた。
理由もわかっている。
オンラインゲームだ。
無類のゲーム好きである彼氏は、それでも今までゲームをしていても二人の時間を確実に作っていた。
そんな2人の前に現れたゲーム、
Anotherfantasia
完全ダイブ型のVRゲーム
体感出来る幻想郷。
そのキャッチフレーズにゲーマー達は惹かれ飲み込まれていった。
我先にとゲームを初めたゲーマー達。
その中には、翠の彼氏も含まれる。
ゲームが公開日になった瞬間、彼氏との連絡が途切れたのだ。
いや、途切れたわけではない。
連絡は寝る前の10分ほど。
翠はもちろん、不満を漏らしたが彼氏はゲーム始まったばかりだから
そればかり。
そんな彼氏と、今日は久々のデート。
記念日なのだから、と、翠は可愛くお洒落をして外へと飛び出したのだった。
翠は名前と同じ色のお気に入りのワンピースを着てパンプスを高らかに鳴らしながら彼氏の住むマンションへと足を向ける。
その表情は嬉しそうで頬を火照らせていた。
付き合って一年記念、この日を待ち望んでいた翠は指輪を欲しがっていた。
わがままかな、いいかな…そう不安になりながらも彼氏にそっと打ち明けた翠に、彼氏は爽やかに笑いながら頷いた。
「もちろんいいよ!ペアリングにしよう!お揃い!お互い気に入るやつがいいよね?一緒に選ぼうよ」
そう、嬉しそうに言ってくれた。
初めてのお揃いだねって。
高いものじゃなくてもいいの、緑色の石が指輪についていたらいいなぁ。
そう、2人で笑って話していた。
その約束の日。
1年記念日は彼氏は夜勤明けだった。
次の日も一緒に過ごせるようにと二人で決めて休みを合わせた。
そんな会話さえ楽しくて。
翠は風を感じながら、古いアパートの階段を上がる。
カンカンカン、とパンプスをならしながら早く、早くと急がす気持ちを宥めて。
「………ついた」
起きてるかな?
寝てるかもしれない。
ちょっと早く、来ちゃったから。
慌てて起きるかな?
前髪を直して、スカートを手でサッと撫でつける。
よし!
合鍵を使い、静かに扉を開けた。
「宏ー?起きてるー?」
「え?みどり…?翠!?もうそんな時間!?」
室内は昼だと言うのに暗かった。
元々日の入らない位置に窓がある為暗いのは知っていたが。
その室内で、彼氏である佐藤宏は、パソコンの前に張り付き何やら画面を食い入るように見つめていた。
スエットにボサボサの髪。
寝起き感満載ではあるが、目は覚めている様子。
その様子に翠が眉をひそめた。
「宏?……ん?何見てたの?」
「おー、Anotherfantasiaの公式サイトだよ。今日の昼から新しくクラン制度が始まるんだよー!もー!楽しみ!!」
ワクワクが止まらないといった宏の笑顔が、次の瞬間止まった。
振り向き翠を見たが、不機嫌が全面に出ていたのだ。
「翠?」
「宏、今日何の日か覚えてる?」
「お、おう。もちろん。一年記念だろ!翠の誕生日!」
焦りながら話す宏に無言で頷く翠
頷くだけで何も言葉を発しない翠に、宏は慌てて立ち上がり翠の前に来た。
俯く翠の表情は伺えないのだ。
「………翠?」
少しの沈黙の後、翠は小声で何かを発した。
聞こえず聞き返す宏に、ばっ!と顔を上げる。
「今日は一切ゲームはしないって約束したよね?話もしないって!」
「あ、あぁ。わかってる!でもさ!今日からクラ……ン……」
「でも?でもってなに?」
冷たくなる翠の態度に宏はまずい!と頷く。
翠はあの楽しかった気持ちが消え失せていて、イライラが募る。
またなの?この記念日は前みたいに一緒に楽しく過ごしたかったのに……
「わ、 わかってる!わかってるよ!」
「…………………」
「み、みどり?」
「………じゃあ、出掛けよう?私、 楽しく過ごしたいよ」
引き攣る顔を必死に抑えこんで、 そっと宏のスウェットの袖を握って言うと、宏は安心したように笑った。
ちょっと待ってろ!
そう言って着替え出した宏、服は事前に用意していたのかオシャレな服装だった。
よかった……
そう、思った時だった。
用意されていた服の横に置かれた紙袋。
それは見たことあるもので、宏がハマって翠を後回しにするあの…………
「おまたせ!」
着替えた宏は、 髪がまだ跳ねていた。
あっ!と声を出し、 慌ててワックスなどを使い出す。
「1年記念日かぁ、 なんかあっという間だったな」
そうでもない。
宏はゲームしていて後半は会っていなかったのだから。 妙にウキウキしている宏が滑稽に見えてきた。
そして翠はあの箱に釘付けになる。
それを見る度気持ちは沈んでいって
大好きなはずだ。
大好きなのに、 気持ちが冷たく凍えていく。
「よしっ!完璧!………翠?」
振り向いた宏は、 無表情で一点を見つめる翠に首を傾げた。
そして、 視線の先の物に気付く。
「お、 ちょっと早いけど先に渡すか!」
ニコニコしてそれを取り翠に渡した宏は、 やり切った感満載だ。
中には固めの箱と、 小さめなケースが入っている。
ちらりと見えたものに翠は完全に気持ちが無になった。
「これ………VRよね?」
「ああ、 ギアな!中にはソフトも入ってるから直ぐにできるぞ!インストールして、 キャラクリするだろ?」
何やら楽しそうに話す宏を冷めた目で見ていた翠。
翠には、 よくわからない話をいっぱいしてくる。
この男は、 一体、 何を、 言っているのだろう
楽しそうに話す宏は、 翠の様子に気付いていない。
黙って宏を見つめていると、 宏もやっと翠を見た。
「…………ねぇ、 そんなにゲームがすき?」
「え?……そりゃあ………」
冷たい翠。
宏はまた焦りだした。
翠の箱を持つ手に力が込められギリッと音がする。
宏は、 顔をうっすらと青ざめながら翠から箱を取り返そうとした。
だが、 それよりも翠の口が開く方が早かった。
「………ふぅん?そう。記念日に一緒にいる間くらい我慢できるかなって思ってたけど、 それすらも無理なんだね。」
「いや、 ほら、 ゲームならずっと話も出来るし遊べるからさ、 だから、 いい機会だろ?」
「何、いい機会って。 ………よーくわかった。あんたにとって私との時間を作るよりゲームをする方がずっと大事って事ね。」
「いや、 そうじゃ……」
「そうでしょ?会わない、 話さない、 LINEや通話は寝る前の10分だけ。 なんなのそれ。バカにしてるわけ?」
宏に対する不満が膨れ上がり、 翠はもう止める事が出来なかった。
我慢した。
ずーっと。
何度も言った。
でも、宏は変わらなかった。
我慢、 する必要なんかあるの?
「もういい。ずっとゲームの世界にいればいい。ずーっと好きなゲームしてればいい。さようなら、 もう連絡よこさないで」
「ま…まって!翠!翠!!」
慌てて止める宏を振り切り、 力任せに玄関を閉めて翠は外へと飛び出した。
怒りで煮えくり返りそう。
ギリギリと力を込めて箱を持ち駅へと足を向ける。
宏の姿は見えなかった、 翠を追うことすらしない宏に舌打ちしながら改札にICOCAをバチッと当ててホームへと出る。
イライラが収まらない。
ギリギリと力がこもる箱に目をやると、そこにはVR
のギアがあった。
「…あ、 もってきちゃった。………………慰謝料がわりに貰っとこ。売ろう」
怒りに夢中で持っていたのも忘れていたのか、 鞄を腕にかけて両手に箱を持ったままホームに立つ翠。
すぐに電車が来てそのまま乗り込んだ。
電車は混んでも空いてもいない、 席には座れるがまばらに人が座っている。
適当な場所に座り、 膝に箱を置いた
そして、 袋からケースを取り出す
体感出来る幻想郷
そう書かれていて巨大な都市が書かれたパッケージ。
ゲームの概要は詳しくは書かれていなく、 あなたの望むように進むもうひとつの世界と書かれている。
ただ、 剣と魔法があるファンタジーの世界ってことは理解した。
とても、 とても綺麗なパッケージだった。