どうやら予想以上に時間がかかってしまったらしい。
いつの間にか空は明るくなっていた。エリック様と兵士たちの間に交じってご飯を食べていたのが不味かったみたいだ。
「……妙だな」
城下町に戻ると、何やら騒がしい。
ロックに肩を引っ張られて路地に身を潜めると、わたしたちの前を兵士たちが走り抜けていった。
「こんな早い時間から、兵士がたくさん動くなんてあったかしら……」
「お前の婚約発表があるからか?」
「だとしても、理由にはならないわ」
そこら中に兵士がいるので、町の人たちも何事かと家の外に出ている。
「少しここで待て」
「えっ」
「話を聞いてくる」
そう言い残し、ロックはすぐ傍の民家へと足を延ばす。遠目に覗いていると、ロックはそこに住む人たちに話しかけていた。
かと思えば、あっさりとこちらへ戻ってくる。
「どうだったの?」
「やはりお前が原因だ」
「わたしが?」
どうして、と眉根を寄せる。
「さあな、理由はまでは分からない……だが、このままでは危険だ。これを着ろ」
ロックは、自分が着ていた外套を脱ぐ。
言われた通りに着ると、フードを深々と被せられた。更に……。
「これもかけるの……?」
手渡されたのは、古い型の瓶底眼鏡だ。
試しにかけてみるが、度が入っていない。
「ねえ、これ……度がないけど、誰のなの?」
ロックがこの眼鏡をかけるとは思えない。
だとすれば、いったい誰のものなのか。
「ガキの頃に付けてたものだ。今じゃ全く使ってないが、変装の役には立つだろ」
わたしの予想は外れた。
この瓶底眼鏡もロックの私物のようだ。
「それをかけると、少しだが気分が楽になる」
「え? これって魔道具なの?」
「違う」
即、否定された。
「ふうん。子供の頃のロックが、これをね……」
よく分からないことを言われたけど、要するにこれはロックのお下がりだ。
瓶底眼鏡をかけた子供時代のロックを想像してみる。
……うん、可愛いかも?
わたしは自然と笑みを浮かべていた。
「急に笑うな。怖いぞ」
「何よ、失礼ね」
わたしの顔を見て、ロックが指摘する。
そしてもう一言付け加えた。
「その見た目なら、誰もお前とは思わないだろ」
変装したわたしの姿を見たロックは、上から下まで簡単に観察したあと、そう言った。
「……確かに、この変装は完璧ね」
わたしもそう思う。
この見た目はただの変人だから。
「さあ、行くぞ」
ロックが城下町の路地を先行する。
途中、兵士に何度も遭遇したけど、全く気付いていなかった。
そして二十分ほど移動すると、ようやく南門が見えてきた。
でも、そこには数え切れないほどの兵士たちの姿があった。
何をしているのかと思ってよく見ると、門を通過する人たちを一人一人確認しているみたいだ。
「……幾ら何でも多すぎるわね」
苦笑いしたまま、思ったままの感想を口にする。
と同時に、ため息が漏れた。
「籠の中の鳥は、大人しく……鳥籠の中で生きないとダメってことね」
やっぱり、無理だったのだ。
今日の出来事は、昨日急に思い立ったことだ。そしてその大それたことを実行に移すこと自体、無謀だったと気付いてしまった。
「お前の依頼とやらは、この程度の障害で諦めてもいいものなのか?」
「ロック……」
そう言われても、無理なものは無理だ。
たとえロックの力を借りたとしても、あの兵士たちの中をバレずに通り抜けることはできない。たとえ変装しても無意味だ。
「……はぁ」
依頼主のわたしが諦めたことで、ロックはため息を吐く。
彼には申し訳ないことをした。せめて依頼料だけでも払って……。
「動くなよ」
「えっ、――きゃっ」
不意に、ロックがわたしの体を手で引き寄せたかと思えば、両足を抱えられる。
こ、これはまさか、お姫様抱っこ……!?
「ちょ、ちょっと、何を!」
「この方が、都合がいい」
都合がいいって、いったい何の話をしているのか。
わたしにはさっぱりだ。
「さっきも言ったが、絶対に動くなよ。じゃないと……落ちるぞ」
「お、落ちるって、どういう意味――ひゃああああっ!!」
何とも情けない声が、わたしの口から飛び出た。
でもそれも仕方あるまい。だって、急にお姫様抱っこされたかと思ったら、そのまま……宙に浮かび上がってしまったのだから。
「な、なんで!? なんでわたし、空にいるの!?」
「知らなかったのか? 元英雄は空も飛べるんだよ」
「しっ、知るわけないでしょ!」
思わずツッコむ。
そんなわたしを抱えたまま、ロックは柔らかな笑みを浮かべて口を開く。
「さあて、今度こそ鳥籠の外に出たわけだが……感想は?」
「――ッ」
その顔はズルい。
わたしは目を背ける。そしてその先に見えるのは、遥か彼方の景色と、まだ見ぬ世界への希望だった……。
「……こんなの、言葉にできるわけないじゃない」
ぽつりと呟き、わたしは涙を流す。
中空でモルドーラン王国を見下ろし、そしてその先に待つ世界へと目を向け続けるのだった。