これは運命の分かれ道だ。
多分、わたしは強かでズルい女なのだろう。
だって、彼を利用しようとしているから。
「わたし、メル・メロールは、元英雄である貴方の力と、その知識を必要としているわ」
「……お前が俺を?」
魚が食い付いた。
訝し気な表情をしている。餌だけを食べられるわけにはいかない。だからもっと詳しく、そしてもっと興味を抱いてもらう必要がある。
「ええ。それを今から説明するわね」
わたしの目的は、三つある。
一つ目は、わたしの護衛。
明日の正午に、わたしはマルス様との婚約発表を控えている。だけどその前に王都を抜け出すつもりだ。
行き先は、過去に彼が辿った道をなぞる。
つまり、隣国――ヴァントレア帝国が目的地だ。
道中には危険がつきものだ。とは言っても、『溺愛』がある限り、わたしが危ない目に遭うことは早々ないだろう。
但し、魔物が相手となれば話は変わってくる。
目を合わせる前に襲われてしまうと、一溜りもない。それにそもそも『溺愛』が魔物にも効果があるのか分かっていない。
だからこそ、彼の助けが必要だった。
たとえ義足になったとしても、たとえそれが過去の話だったとしても、彼は紛れもなく英雄だ。きっと、わたしの力になってくれるはず。
「……何故、帝国に行きたがる」
「わたしのことを誰も知らない地に行ってみたいから」
そしてできることなら、一人で生きていきたい。『溺愛』の影響を受けずに……。
「確かお前……どこぞの貴族の一人娘とか言ってたよな。親が許さないだろ」
「ええ。だから書置きを残すつもり」
「……隣国だぞ? そんなとこまで行けば、ただの家出じゃ済まなくなる」
「家出じゃないわ。これは冒険よ」
それに、と付け加える。
「このままだとわたし、一生を鳥籠の中で過ごすことになるから」
「ふん、籠の中の鳥も気楽でいいもんだと思うがな」
そう言いつつも、彼は気になりだしたのだろう。
「……で、二つ目の理由はなんだ」
ソファに腰を沈めたまま、彼は続きを促した。
二つ目は、わたしの師になること。
隣国に到着次第、わたしは冒険者ギルドに足を運んで登録申請する予定だ。
それはこのギルドでも可能なことだけど、王都でするわけにはいかない。バレてしまっては困るからだ。
ただ、冒険者になったとしても、すぐに生計を立てられるようになるわけではない。
だからこそ、彼にわたしの師匠になってもらって、一人前の冒険者になるまで鍛えてもらうつもりだ。
「義足の俺が、師匠もクソもない」
でも、それを聞いた彼は呆れ顔で返事をする。
「それ以前に、お前のような華奢な体つきの奴が冒険者としてやっていけるわけがないだろ」
「やってみないと分からないじゃない」
「分かるんだよ。お前じゃ無理だ。だから諦めろ」
「残念だけど諦めるつもりはないわ。貴方の方こそ、わたしに捕まったのが運の尽きだと思ってさっさと諦めなさい」
仮に、彼がわたしの師匠になってくれなかったとしても、隣国まで連れて行ってくれるだけでお釣りが出る。
道中を共にすることで、彼と魔物との戦闘を間近で見る機会があるはずだ。そこで学んでいけばいい。どうにかなるはずだ、とわたしは思っている。
「随分と楽観的な思考の持ち主のようだな」
「初めて夢を見ることができそうなのだから、そうなっても仕方ないでしょう?」
「はぁ……それで、三つ目はなんだ」
「三つ目は秘密よ」
「は? お前は俺に依頼してるんだよな? なのに秘密だと?」
「ええ、そう。これはわたしだけの秘密なの」
「……つくづく何を考えているのか分からん奴だ」
ため息を吐いて、彼はギルドの天井を見上げる。
三つ目は、わたしのスキルについてだ。
どうして、彼にはわたしの『溺愛』の効果がないのか。その理由が知りたかった。
でも『溺愛』のことを打ち明けるわけにもいかないので、彼と行動を共にする中で答えを知ることができればと思っている。
「……金はあるのか」
「わたし、こう見えても男爵令嬢なの。貯えはそれなりにあるから、心配しなくていいわ」
天井を見ていた彼は、視線を戻してわたしを見た。
そして値踏みするかのように目を細める。
「……お前も言ったように、こんななりでも俺は元英雄だ。安くないぞ?」
その言葉を待っていた。
わたしはあらためて彼に依頼を申し込む。
「言い値で構いません。ですので、ロック様。貴方の力をわたしにお貸しください」
「……様は付けなくていい」
わたしの依頼内容を耳にして、彼はソファから立ち上がる。
義足とは思えないほどに、それは自然な動きに思えた。
「メル・メロールと言ったな? 交渉成立だ」
「――ッ! ありがとう!」
思わず手を握る。
そしてすぐに払われた。
でも関係ない。依頼を引き受けてくれたのだから万々歳だ。
「こうしちゃいられないわね、早く旅支度を整えないと……!」
「騒がしい奴だな、お前は……」
この日、誰からも好かれるスキルを持ったわたしと、片足を失った元英雄の彼が、利害の一致によって手を取り合った。
行く先は隣国――ヴァントレア帝国。
わたしは期待に胸を躍らせるのだった。