時刻は、ノアがパーティーをクビになる少し前へと遡る。
「――やあ」
ギルドの受付に並び、職員に手を振る青年がいた。
彼の名は、ロイル。目に見える武具の類は装備しておらず、非冒険者か、成り立ての新米冒険者と思われていることだろう。
だが、ロイルは全く気にしない。
「冒険者になりたいんだけど、申請はここでいいのかな?」
「ギルドに来るのは初めてか? じゃあまずは申請用紙に名前と出自、有ったら戦闘経験の有無について書いてくれ。あと、左手の小指のサイズを測らせてもらうぞ」
小太りの中年男性が対応する。言われたとおりに冒険者登録用紙を埋めていき、ロイルは小指のサイズを確認してもらう。
「ええっと? 名前はロイルでいいんだな? 戦闘経験の有無は……無しで間違いないか?」
「間違いないよ」
「……よし。ほらよ、これが冒険者証だ。身分の証明にもなるから、絶対に失くすんじゃないぞ」
「忠告ありがとう。指を落とさないように気をつけるよ」
銅で出来た指輪を、職員から受け取る。
ノアの時と同じように、スムーズに冒険者登録を終えることが出来た。あとは自分の実力に見合ったクエストを見繕うのだが……、
「待ってください……!」
無事に登録が完了し、一息ついたのも束の間、ギルド内に女性の声が響く。何事かと振り返ると、大柄な男と細身の女性、それと困り顔の女性――ノアの姿があった。
「ボド! エリーザ! さ、さっき言ったことは取り消します! だからわたしをクビにしないでください!」
懇願するのは、ノアだ。それから暫くやり取りが続くが、残念ながら、ノアの願いが聞き届けられることはなかった。
「あの人、フリーだよね?」
「は? ……ああ。あの様子だと、ついにパーティーをクビになったみたいだな。……まあ、仕方ないんじゃないか? だって魔力ゼロのノアちゃんだからなあ……」
「魔力ゼロ?」
「あの子はここじゃちょっとした有名人なんだよ。まあ、可哀そうな意味でだがな」
小太りの職員は、ノアを見ながら溜息を吐く。
「聞いた話じゃ、生まれた時から魔力がゼロらしい。んで、彼等の荷物持ちをしてるから、【魔力ゼロ】とか【荷物持ち】のノアって呼ばれてるんだ」
有名な冒険者には、二つ名が付く。
けれどもそれは、いい意味だけではない。悪い意味でも付けられることがある。
たとえばノアの場合、【魔力ゼロ】と【荷物持ち】として有名だ。
「ふーん、【魔力ゼロ】のノアね……僕にはそうは見えないけどな」
遠目にノアの姿を観察し、次いでボドとエリーザへと目を向ける。そして、
「彼女をフリーにしてくれたみたいだし、とりあえずお礼だけでもしておこうかな」
微笑み、そして視る。すると次の瞬間――
「――いでっ」
なにもない場所で、ボドが派手に転ぶ。
「……ちょっと、ボド? 貴方大丈夫?」
「ちっ、足が急に動かなくなった……気がしたんだ」
「はあ? どういうことよ、それ?」
「うるせえな、俺が知りてえよ」
ボドは自分の足を触ってみるが、何事もない。
しかし確かに、足が動かなくなったのだ。
「……くそっ、見てんじゃねえよ、雑魚共が!」
いつの間にか、ギルド内の視線を独り占めしていたボドは、羞恥を誤魔化す為に声を荒げる。この騒ぎのおかげか、ノアはこれ以上辱めを受けずに済んだ。
早々に立ち上がり、周囲を睨み付けて威嚇したボドは、この空間から逃げ出すように足を動かし、ギルドの入口へと向かって……そしてまた転倒した。
「ぐっ、ぎっ、……足がっ、また動かねえ!!」
「ボド、貴方もしかして、昨日の戦闘で怪我でもしたの?」
「してねえよっ! この俺がホーンラビット如きに後れを取るかっ!!」
エリーザの心配をよそに、ボドは怒りを放つ。
全く見当もつかないが、これは確実に攻撃を受けている。そうとしか思えない。
「くそ、くそ、くそっ、どこのどいつだゴラアッ!? 俺様に喧嘩売ってんのかっ!!」
足は、すぐに動くようになった。けれどもボドの怒りは収まらない。ギルド内にいるであろう何者かに向けて吠える。
しかしながら、名乗りを上げる者はいない。
そんな中、ロイルは迷いなくノアの許へと歩み寄る。
涙で歪んだ視界の端に、何者かの足先が映り込むのを捉えたノアは、恐る恐る顔を上げる。するとそこには、初めて見る顔――ロイルがいた。
「こんにちは、ノアさん」
「ぐすっ、どうしてわたしの名前を……」
涙で汚れた顔を見られまいと、ノアは再び顔を俯ける。がしかし、
「――ぁ」
片膝をついたロイルが、ノアの顎に手を添えた。
そしてゆっくりと、その顔を上げる。
「聞くつもりはなかったんだけど、彼等との会話が聞こえちゃってね。その時、きみの名前も、ってこと」
ボドとエリーザは、これまで一度もノアの名前を呼んだことがない。小太りの職員から名前を聞いたからだが、正直に伝えても気分を害するだけだと考えた。
だからロイルは嘘を吐く。
もう片方の手の指をノアの目元にあて、優しくなぞり涙を拭っていく。
その指使いに、ノアは全身を震わせた。
「あ、あっ、えっと……大丈夫ですっ」
よたよたしながらも立ち上がり、ノアはお辞儀をする。
得体の知れない人物との距離を取る為、ノアはその場から離れようとした。――だが、
「もしフリーならさ、僕とパーティーを組まない?」
「……へっ?」
パーティーをクビになったばかりのノアの胸に、その言葉は深く響いた。