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三章

 第一回、時の迷宮全国大会決勝戦。ぼくの対戦相手は幼なじみの由良理だった。


「……ぼくはターンを終了するよ」


 ぼくのフィールド上には五体のユニットカードが召喚されている。ライフポイントは残りわずかだったけど、由良理のデッキには直接ダメージ系の魔法カードが入っていないことは知っている。ぼくの勝ちだ。


「これが、ボクのラストターンだね……」


 緊張した面持ちで、由良理は自分の山札の一番上に手を置いた。そのカードを引けば、全てが終わる。勝敗が決まるんだ。


 由良理のデッキには、現状を打破するカードが一枚だけ入っている。だけどその一枚を引き当てる確率はあまりにも低すぎる。運が味方することはないだろう。それに、もし由良理が切り札となるカードを引き当てたとしても、ぼくは由良理の切り札を無効化できるカードを手札に持っている。いずれにせよ由良理がぼくに勝利することは不可能だった。


 でも、ぼくは――


「十希……、ボクは切り札を引いたよ」


 その笑顔を壊したくなかった。


 由良理は自分の山札から切り札となるカードを引き当てた時、心の底から喜んでいた。


「……ぼくの負けだよ、由良理」


 由良理の笑顔を曇らせるようなことだけはしたくない。


 だからぼくは嘘をついた。


『――最低ですわね』


 由良理の優勝が決まって会場内が祝祭の準備をしている時、敵意を剥き出しにした言葉が投げられる。慌てて振り向いたぼくは、言葉の主を捜した。


「……まさか」


 いや、バレてないはずだ。さっきの言葉は気のせいだったに違いない。


 そうさ、だれもぼくの嘘に気づいてない。


 ぼくが〝ワザ〟と由良理に負けたということは、だれも気づいてないはずだ――




      ※




 月例大会の翌日。


 十希は学校へ行く前に玖凪屋を訪れた。


「……なにしてんだよ、いづみ」


 なだらかな坂道ではなく、魔の石段のほうを下りていく。玖凪屋が見えてきたかと思えば、店の外にいづみが座っていた。地べたに座るのは嫌なのか、店の中からわざわざ椅子を出して、それに座っているのだ。いったいなにがしたいのだろうか。


「遅い、今何時だと思ってんのよ」


 十希の声に気づいたいづみは、頬を可愛らしく膨らませて怒った。


「七時三十三分だな」


「つまり三分遅刻よ」


 三分くらい大目に見てほしい、と十希は心の中で愚痴った。


「ほら、行くわよっ」


 椅子からすっくと立ち上がり、いづみはそそくさと歩き始める。十希もそれについていく。延々と続いている石段を下りながら、十希は軽く溜息をついた。




 昨日、玖凪屋で月例大会が終わった後、十希は玖凪屋に残っていた。いづみから特訓の申し込みがあったからだ。十希に勝つことを目標とするいづみは、月例大会で優勝できるくらい強くならなくてはならない。


 南雲楓にも負けたくない。というよりも南雲楓に負けるようでは全力を出した十希と勝負することさえ申し訳なく思えてしまう。


 そこでふと、いづみは思い出す。そういえば十希は、楓の視線が気になるとか自意識過剰なことを言っていた。何故だかわからないが、いづみは無性に腹が立った。十希の視線の先に自分がいないと不安になる。


 そろそろ帰るから、といづみに言葉を掛ける十希。こいつは自分の気持ちをなんにも理解していない。もっとわからせる必要がある。


 そう思った次の瞬間には、いづみは十希に命令をしていた。


『明日の朝七時三十分に玖凪屋の前に集合よ! わかったわね!?』


 自分でもなにを言っているのか理解不能だった。


 しかし口が勝手に開いたのだ。自分の意思ではない。無意識のうちに喋っただけだ。


『なんでだよ?』


 当然のように理由を聞いてくる。理由があるのならばこっちが教えてほしいくらいだ、といづみは心の中で叫んだ。


『なんででもよっ、わかったら早く帰れっ!!』


 そしていづみは、今日の朝を迎えるのだった。




 朝っぱらから自宅の前まで呼びつけたりして、いったいなにをしようというのか。十希は昨日の夜、いろんなことを考えていた。しかし実際はなにもない。ただ呼んだだけらしい。いづみに聞いても返事をする代わりに睨まれたのでやめた。


「……登校する時は楽なんだけどな」


 下校時にいづみを苦しめる魔の石段も、登校する時はただの下り階段だ。軽い足取りで一段、また一段と下りていく。もちろん途中で足をつまづいたりでもすれば、一段目まで止まることなく転がり続けることになるだろう。足元への注意を怠ってはならない。


 魔の石段を下りた後、十希はいづみと並んで小金井坂駅まで歩いた。ただ、ここで重大な問題が発生した。


「……うっ」


 周囲を見渡してみる。小金井坂駅に着くと、駅周辺には小金井坂学園の生徒が群れを成していた。この駅が小金井坂学園に一番近いので、登校時間が重なれば図らずともこのような結果になる。


 普段の十希であれば特に気にすることなく学校へと向かうのだが、今日はいづみと二人で登校している。つまりほかの生徒たちが十希といづみのことを見た時、付き合っていると勘違いされてもおかしくない状況だった。


「なあ、いづみ……」


「なによ?」


 急ぎ足のいづみに声を掛けてみるが、横目に睨まれた。


「……なんでもない」


「なら話しかけないでよ」


「すまん」


 どんなに努力しようとも、ヘタレはヘタレを卒業することができない。十希はその代表格ともいえよう。


 しかし十希は、ほかの生徒たちにいづみと並んで登校するところを見られるのが恥ずかしい反面、この状況が嬉しくもあった。


 いづみはどのように感じているのだろうか。もしかしたら自分と同じようなことを考えているのかもしれないし、そんなことはまったく気にしていないのかもしれない。それはそれで少し寂しいと十希は思った。


 考えながら歩いていたのが災いしたのだろう。


 学校に着くまでの間、溝に足を取られてしまったり電柱に頭をぶつけたりした。それを見るたび、いづみは十希に対して「バカ」とか「マヌケね」などと呟いていた。


 ようやく学校に辿り着いた時には、クタクタになっていた。心身ともに疲弊している。


 いづみから発せられる威圧から解放された十希は安堵した。横の席に座るいづみの表情を窺えば、満足気に口元を緩めていた。


 なにがいづみの機嫌を良くしたのか、十希にはまったく理解できないのだった。


「――敦賀十希、」


 自分の名前を呼ぶ声がした。


 机に突っ伏していた顔をほんの少しだけ上げてみる。十希の机の前に佇むのは楓だ。


「なんか用か、南雲」


 今は眠いからそっとしておいてほしいと心の中でつけ加える。


「今朝、見た。敦賀十希が、玖凪いづみと二人で登校する姿を」


 ガターンッ! 盛大な音を立てて椅子が倒れた。十希はその場に起立した体勢のまま、楓の顔を見つめる。楓は無表情のように見えたが、明らかに十希が焦る様子を見て楽しんでいる。


「ヒューヒュー」


 口調を変えることなく、楓は十希を茶化す。大人しい女の子だと思っていたが、まさかこんなことをしてくるとは予想できなかった。


「断じて、違う。それは気のせいだ。記憶から消せっ、今すぐ消去するんだ!」


 いづみが舟をこいでいたのが唯一の救いだろうか。もし聞かれていたら、楓ではなく十希が意味もなく殴られていたはずだ。


 そうこうしているうちに、チャイムが鳴った。もう間もなくホームルームが始まろうとしている。楓が教室に掛けられている大時計を見て時刻を確認する。そして自分の席に戻る前に、一言捨て台詞を吐く。


「――次は、負けない」


 それは時の迷宮のことだ。


 四連覇を阻止されたことがよほど悔しかったのか、それともギリギリのところで全国大会準優勝者に勝てなかったことが原因なのか。楓はすでに自分の席に戻ってしまったが、十希は小さな声で返事をした。


「次も負けないからな――」


 教室に担任が入ってくるのを確認すると、十希は机に頬をつけて、そのまま目を閉じた。




 昼休みになると、十希といづみは屋上に向かった。


 十希は焼きそばパンとデッキケースを手に持っている。いづみは弁当箱を包んだ袋が一つ。しかしその袋を開けてみると、弁当箱のほかにデッキケースも出てきた。


「ここならだれにも邪魔されないでしょ」


「研究熱心なヤツだな、まったく……」


 最近、昼食は屋上でとるようにしている。屋上には立ち入り禁止の札が掛けてあったが、いづみはそれを無視した。十希も行動を共にしているので共犯だ。屋上には危険防止用に柵が設置されているし、特に問題はないので構わないだろうと考えていた。


 それに、屋上からの眺望には目を奪われてしまうほど感動してしまったので、これから先も警告を無視して屋上へと足を運ぶのを止めることはできそうにない。


「今日は風も穏やかね」


 昼食を食べ終わり、弁当箱を片付けながらいづみが言った。場所が屋上ということもあって、風の強い日にカードゲームで遊んだりしようものなら、カードが風で飛ばされてしまうだろう。今日は風が穏やかなので、その心配もない。


「さて、昼休みも長くないからな。とっとと始めるぞ」


 デッキケースからカードを出すと、十希はデッキを切り始める。しかし二人の許に不穏な影が近づく。気配を察知したいづみは、キッと後ろを振り返る。校舎内へと続くドアから顔を覗かせている人物がいた。


「……楓、なんの用よ」


 二人の様子を探っていたのは楓だ。


「二人の秘密、見た」


 楓は口に手を当てて不器用に口角を上げる。笑っているつもりだろうか。ドアの影から出てくると、二人の許へゆっくりと歩み寄る。そして、ある一点に注目した。


「あ、ああ……、今から時の迷宮で遊ぶんだよ。よかったら南雲もするか?」


 楓の視線は、十希が手に持っているデッキに注がれていた。それに気づいた十希は楓を誘ってみる。とはいえ三人がいる場所は学校の屋上だ。十希といづみはともかくとして、楓がデッキを学校に持ってきているとは思えない。


「する」


 しかし楓は首を縦に振った。


「カードが無きゃ勝負できないわよ」


 すかさずいづみが指摘する。まさか二人のデッキを借りて勝負しようなどと考えているのだろうか。すると楓は、スカートのポケットに手を突っ込んだ。


「持ってる」


 ポケットに突っ込んでいた手を出すと、その手にはデッキが握られていた。驚くことに楓もカードを持ってきていたようだ。まさかこうなることを予想していたのか。


「敦賀十希、あなたと勝負したい」


 対戦相手を指定する。だがそれに憤慨したいづみは、顔を赤くして立ち上がる。


「十希は今からあたしと勝負をするのよ! あんたはそこで見学してなさいよっ」


「うるさい」


 たった一言でいづみを一蹴する楓。これにはさすがに十希もいづみも目を丸くした。


「なっ! う、うるさいですって……!?」


 わなわなと肩を震わせて、なにか言い返してやろうと口を動かしている。


 しかしなにも思いつかないらしい。


「弱い人には、興味ない。……敦賀十希、勝負して」


 ダメ押しの一言。十希は一度いづみの顔色を確認してみる。いづみは十希の視線に気づいていない。どうすればこの場を切り抜けることができるのか、だれでもいいから教えてほしい、と十希は心の中で叫んだ。そしてその直後、いづみが大声で叫ぶ。


「あたしは弱くない! 十希と引き分けたのよっ、楓よりも強いわ!!」


 十希と初めて時の迷宮で対戦した時のことを言っているようだ。その台詞を聞いた楓は、無表情のまま肩をすくめる。


「私は、デッキの相性が悪いから、敦賀十希に負けた。……でも、あなただと相手にならない。諦めて」


「なにを諦めろってのよ!?」


「私に勝つ、妄想」


「妄想じゃないって言ってるでしょ! うううっ、十希! 邪魔よ退きなさいっ、今から楓と勝負をして負かしてやるから!!」


 いづみは完璧にスイッチが入っている。もう、こうなってしまってはだれにも止めることはできそうもない。


「……まあ、オレ以外の相手と対戦するのもいい経験になるだろ」


 やれやれといった感じで十希は溜息をつくと、二人の勝負を見学することにした。




一ターン目(楓のターン)


 山札からカードを七枚引いて、勝負を始める。


「三ターン以内で、終わらせる」


「減らず口を叩くのはあたしに勝ってからにしなさいっ」


 先攻の楓はドローフェイズをスキップした。


「私のターン――」


 マナフェイズに手札からカードを一枚魔法源にセットして、続いてスタンバイフェイズへと移行する。


「『火炎地獄』、発動」


『火炎地獄 火属性 C1 永続魔法


 全てのプレイヤーは山札からカードを一枚引くたびに100点のライフを失う』


 楓は手札から火炎地獄を発動させた。


「……これでもう、あなたは逃げられない」


 いづみに向けて意味深な台詞を口にする楓。意味がわからなかったが、いづみは楓が発動した魔法カードのテキスト欄を読んでみる。そして気づいた。


「このカード、永続魔法カードだわ……」


 楓が発動したのは、ただの魔法カードではない。


 効果を持続させることのできる永続魔法カードだった。


 魔法カードはいつでも発動することができるが、永続魔法カードは自分のスタンバイフェイズとエンドフェイズにしか発動することができないのが欠点だ。しかしその欠点を補ってあまりある効果を持ち合わせたカードが多い。


 火炎地獄は、楓といづみが自分の山札からカードを一枚引くたびに、100点のダメージを与える効果を持っている。火炎地獄を発動させた楓自身にも効果が及ぶため、諸刃の剣ともいえよう。


「100点のダメージでしょ? ライフは3000点もあるんだから大したことないわ」


 いづみは火炎地獄の効果を脅威とは感じていないみたいだった。しかし十希は気づいていた。月例大会の決勝戦で楓と対戦した時、楓はマンティコアのユニットカードを召喚していた。何故、デメリット効果を持つユニットカードをデッキに加えているのか。あの時はわからなかったが、今なら理解することができる。


 楓のデッキは、火炎地獄を主軸に回転する仕組みなのだ。逆さまの蝶を主力とした十希同様に、楓のデッキもコンボ攻撃を狙っている。甘くみていると、一瞬のうちに勝敗が喫することになるだろう。


「『悪知恵ドレイク』、召喚」


『悪知恵ドレイク 火属性 C1 ユニット 体力50 攻撃力250


 召喚:対象の相手プレイヤー一人は、山札からカードを二枚引くと同時に350点のライフを失う』


 スタンバイフェイズはまだ終わっていない。楓は永続魔法カードの火炎地獄を発動させた後、今度は悪知恵ドレイクのユニットカードをフィールド上に召喚した。


「……やはりか」


 十希が呟くと、楓は顔を上げた。


 楓が使用しているデッキは、十希のデッキとは相性が悪すぎる。火炎地獄を発動する前に負けを覚悟していたのだろう。しかし今の対戦相手はいづみだ。楓は自分のデッキの強さを存分に発揮できるはずだ。


「悪知恵ドレイク、召喚能力発動」


 楓が召喚した悪知恵ドレイクは召喚能力を持っている。フィールド上に召喚されると同時に、対戦相手であるいづみに山札からカードを二枚、強制的に引かせることができるのだ。いづみは手札のアドバンテージを得るが、その代わり350点のダメージを受けることになる。


「え、なに? あたしが山札からカードを引くの?」


「早く引いて」


 悪知恵ドレイクを召喚した楓ではなく、対戦相手でもある自分がカードを引くことができるということに、いづみは小首をかしげる。


 何故、楓はこんなユニットカードをデッキに入れているのだろうか。悪知恵ドレイクの召喚能力によっていづみは350点のダメージを受けることになったが、それと引き換えに手札を二枚も増やすことができたのだ。


 対戦相手の手札が増えるのはデメリットであるにもかかわらず、楓は迷わず悪知恵ドレイクを召喚した。なにか企んでいるのかもしれない。


「……まあいいわ。あたしは山札からカードを二枚引くわね」


 いづみは自分の山札からカードを二枚引く。すると楓はとある一枚のカードを指差した。


「永続魔法カード、火炎地獄の効果発動」


「えっ」


 楓が指差す先にあるカード、それは火炎地獄のカードだった。


 そういえば、ついさっき楓は永続魔法カードを発動させていた。そのカードはフィールド上に残っている。


 火炎地獄の効果は、全てのプレイヤーを対象に、山札からカードを一枚引くたびに100点のダメージを受けるというものだ。


 つまりいづみは、悪知恵ドレイクの召喚能力によって350点のダメージを受けるだけではなく、山札からカードを二枚引いたことによって200点の追加ダメージを受けてしまうのだ。


 悪知恵ドレイクと火炎地獄のコンボ攻撃によって、いづみのライフは550点減らされてしまい、残り2450点になった。手札が二枚増えるアドバンテージを得たとはいえ、これには正直驚きを隠せなかった。


「ターン終了」


 先攻の一ターン目なので、楓はバトルフェイズをスキップする。エンドフェイズには特になにもアクションを起こすことなく、自分のターン終了を宣言した。


 楓のライフは3000点、手札は四枚。フィールド上には攻撃力250の悪知恵ドレイクと、永続魔法カードの火炎地獄が発動されている。




一ターン目いづみのターン


「……でも、手札はすっごく充実してるわ。負ける気はしないわね」


 先ずはドローフェイズ、いづみが山札からカードを一枚引く。しかしその瞬間、楓が口を開いた。


「火炎地獄、効果発動」


「え? ……あっ」


 楓のフィールド上には火炎地獄が発動されている。いづみがドローフェイズに山札からカードを一枚引いた瞬間、その効果の対象となってしまったのだ。


「あなたは100点のダメージを受ける」


「うるっさいわね! それくらい痛くも痒くもないわっ」


 いづみは100点のライフを削られ、残りライフポイントは2350点となった。


 手札には十枚のカードが揃っている。


 手札の上限枚数は八枚までなので、それ以上手札を持っているとターン終了時に手札を調整する必要がある。ここは思い切りよく手札を使う必要がありそうだ。


「うぅー、魔法源にカードをセットして……」


 ドローフェイズが終わってマナフェイズに移行するいづみは、充実している手札から不要なカードを一枚選んで、それを魔法源にセットする。


「楓、あんたの好きにはさせないわ……。あたしは『未熟な天使』を召喚よ!」


『未熟な天使 光属性 C1 ユニット 体力50 攻撃力50 特殊:飛翔』


 スタンバイフェイズに突入したいづみは、手札からユニットカードを召喚する。フィールド上に召喚されたのは、未熟な天使だ。飛翔能力を持っている。


「……雑魚」


「なんですって――――ッ!!」


 いづみが召喚した未熟な天使を見た楓は、ぽつりと呟いた。そして当然のようにいづみが激怒した。食って掛かりそうないづみを宥める十希は、気が気ではなかった。


「言っておくけどね、未熟な天使で攻撃すればあんたが召喚してるユニットカードを破壊できるのよっ」


「言われなくてもわかる。いちいちうるさい」


 刺のある言いかたで返事をする楓。頼むからこれ以上口を開かないでくれ、そうしないといづみがぶち切れるから。十希はハラハラしながら二人の勝負を見守った。


「それならお望みどおりあんたのユニットカードを破壊してやるわ。……よし、未熟な天使で悪知恵ドレイクに攻撃よ!」


 スタンバイフェイズを終えた後、いづみはバトルフェイズに移行した。


 未熟な天使で悪知恵ドレイクへの攻撃を試みる。未熟な天使の攻撃力は50、対する悪知恵ドレイクの体力も50だ。この攻撃が通れば、楓が召喚している悪知恵ドレイクを破壊することができる。しかし楓は手札からカードを一枚出した。


「『火傷』、発動」


『火傷 火属性 C1 魔法


 あなたの場に召喚されている火属性ユニットカードが攻撃された場合、対象の相手プレイヤー一人、又は対象のユニットカード一体に300点のダメージを与える。その後、相手プレイヤー一人は山札からカードを二枚引く』


 いづみが未熟な天使で悪知恵ドレイクへの攻撃を宣言した瞬間、楓は手札から魔法カードを発動させた。そのカードは火傷だ。


「くっ、未熟な天使を破壊する気ね!?」


 火属性ユニットカードの悪知恵ドレイクが未熟な天使に攻撃されたことによって、楓は火傷の発動条件をクリアした。火傷の効果によって未熟な天使に300点のダメージを与えれば、悪知恵ドレイクは破壊されない。だが楓は首を横に振る。


「無意味なことはしない」


 そう言った後、楓はいづみを指差した。


「火傷の対象にするのは、あなた自身」


「……あ、あたし?」


 楓は悪知恵ドレイクが破壊されるのをあえて見て見ぬ振りをした。そしてその代わり、火傷の効果で相手プレイヤーに直接ダメージを与えることを選んだ。


 これでいづみは300点のダメージを受ける。しかもそれだけではない。火傷にはさらなる効果が備わっている。


「あなたは火傷の効果でカードを二枚引く」


「またアドバンテージを……」


 悪知恵ドレイクと同じように、火傷にもデメリット効果がある。それは対戦相手が山札からカードを二枚引くことができるというものだ。


 山札からカードを二枚引いたいづみは、手札が八枚から十枚へと増えてしまった。このままではターン終了時に手札を二枚捨てなくてはならない。


 さらに火炎地獄の効果も発動される。これでいづみは200点のダメージを受けて、残りライフ1850点だ。徐々にではあるが、ライフポイントが削られていくことに危機感を覚えた。


「だけど未熟な天使の攻撃は通るのよね? だったら悪知恵ドレイクは破壊されるわ!」


 未熟な天使の攻撃によって悪知恵ドレイクは破壊され、捨て札に送られた。


 いづみのバトルフェイズは終了した。そしてエンドフェイズへと移行する。


「火炎地獄とのコンボ攻撃には驚かされたけど……楓、あんたはミスを犯したわ」


 不敵な笑みを浮かべるのはいづみだ。なにか打開策を見つけたのかもしれない。


「手札が増えるってことはつまり、切り札が手に入りやすくなるってことよ。……あたしは『舞い降りた天使ルナ』を特殊召喚するわっ」


『舞い降りた天使ルナ 光属性 B5 ユニット 体力200 攻撃力700 特殊飛翔


 あなたは手札から(天使)と名のつくユニットカード三体を捨て札に置くことで、このユニットカードを手札から場に特殊召喚することができる』


 いづみは手札からユニットカードをフィールド上に特殊召喚する。そのカードは舞い降りた天使ルナだ。


「普段は特殊召喚するのも難しいけど、楓があたしの手札を増やしてくれたおかげで楽に召喚することができたわ」


 楓の火炎地獄コンボはよく考え込まれたデッキではあるが、しかしそれゆえに諸刃の剣でもある。いづみは楓のコンボ攻撃を利用したのだ。


 舞い降りた天使ルナを通常召喚するには、五点のコストが必要だ。しかし手札から天使と名のつくユニットカードを三体選択して、それらを捨て札に送ることで特殊召喚することが可能なのだ。


 舞い降りた天使ルナのほかに、手札に天使と名のつくユニットカードが三体揃う機会はなかなか巡ってこない。だが手札が十枚もあるいづみにとって、それは大した問題ではなくなっていた。


「あたしは舞い降りた天使ルナを特殊召喚するための代償コストとして、手札を三枚捨て札に置くわ」


 増えすぎた手札を有効活用することができ、さらにフィールド上には高コストユニットカードを召喚することができた。


「舞い降りた天使ルナで攻撃よっ」


 特殊召喚に成功したいづみは、調子に乗って攻撃を宣言する。しかしバトルフェイズはすでに終わっている。今はエンドフェイズなのだ。


「おい、いづみ。お前はバトルフェイズを終えてるだろ」


「あ……、そっか」


「……マヌケ」


 楓が呟く。そして再びいづみが暴れだした。


 約五分間、十希はいづみを落ち着かせることに奮闘するのだった。




「ハァッ、ハアッ……」


 楓の代わりに腹を殴られた十希は息も絶え絶えといった表情で膝をつく。当の本人は気分が落ち着いたのか、楓と向かい合って座り直す。


「これであたしのターンは終了よ!」


 いづみはターン終了を宣言した。


 これで両者一ターン目が終了した。


 いづみはライフ1850点、手札六枚、フィールド上には攻撃力50の未熟な天使と、攻撃力700の舞い降りた天使ルナが召喚されている。故意に増やされた手札を上手く利用して、六枚まで減らすことに成功した。


 対する楓はライフ3000点、手札三枚、フィールド上にユニットカードは召喚されていないが、その代わり永続魔法カードの火炎地獄が発動している。


 そして二ターン目が始まる。




二ターン目(楓のターン)


 ドローフェイズに山札からカードを一枚引いた楓は、火炎地獄の効果によって100点のダメージを受けた。全てのプレイヤーを対象にダメージを与えるので、多少はダメージを受ける覚悟をしているのだろう。


「カードセット……」


 魔法源に二枚目となるカードをセットする。これで楓はコスト二点以下のカードをプレイすることが可能だ。


「『マンティコア』、召喚」


『マンティコア 火属性 C2 ユニット 体力50 攻撃力350 特殊:貫通


 召喚:対象の相手プレイヤー一人は、山札からカードを三枚引くと同時に二枚捨て札に置く』


 スタンバイフェイズに楓が召喚したユニットカードは、十希と対戦した時にも使用していたマンティコアのカードだった。あの時は役に立たなかったが、フィールド上に火炎地獄は発動されている今ならば、その力を十分発揮することができる。


「カードを三枚引いて」


「うぅ、わかったわよ……」


 言われるがまま、いづみは山札からカードを三枚引いた。そしてその瞬間、火炎地獄の効果が発動する。


 山札から三枚のカードを手札に加えることで、いづみは300点のダメージを受けてしまった。これでいづみは残りライフ1550点になる。


 さらにマンティコアの効果によって手札を二枚捨てなければならない。


 実質上のアドバンテージは一枚ということだ。


 スタンバイフェイズからバトルフェイズに移り、楓はマンティコアで攻撃を宣言する。


「マンティコア、舞い降りた天使ルナを攻撃」


「ああっ、せっかく特殊召喚したのに……」


 マンティコアの攻撃対象は舞い降りた天使ルナだ。


 攻撃力350のマンティコアに対し、応戦側の舞い降りた天使ルナの体力は200だ。


「舞い降りた天使ルナ、破壊」


 マンティコアの攻撃によって、舞い降りた天使ルナは捨て札へと送られてしまった。しかもマンティコアには貫通能力が備わっている。攻撃力の値が相手ユニットカードの体力の値を上回っている場合、その値の分を相手プレイヤーへのダメージとすることが可能なのだ。


 マンティコアの攻撃力は350なので、舞い降りた天使ルナの体力を150上回っている。


 楓は150点のダメージをいづみに与えることに成功した。


 だが楓の攻撃はまだ終わらない。


「『追撃波』、発動」


『追撃波 火属性 C2 魔法


 対象のユニットカード一体を捨て札に置くことに成功した場合のみ、発動することができる。対象のプレイヤー一人は山札からカードを二枚引くと同時に400点のライフを失う』


 楓は手札から追撃波の魔法カードを発動させた。


 追撃波は火傷と同じく発動するための条件が少し難しい。


 いづみがフィールド上に召喚しているユニットカードを捨て札に送った時以外には発動することができないのだ。


 しかしマンティコアの攻撃で舞い降りた天使ルナを倒すことに成功したので、追撃波を発動するための条件はクリアした。


「追撃波によって、あなたは400点のダメージを受ける」


「あたしのライフは……残り1000点……」


 ライフの計算をする。しかし楓が口を挟んだ。


「山札からカードを二枚引く。だからあなたのライフは残り800点」


「……うぅ」


 楓がこれまでにプレイしてきたカード同様に、追撃波にもデメリット効果が備わっていた。対戦相手に山札からカードを二枚引かせてしまうのだ。


 しかしそれも全ては計算のうちである。火炎地獄の効果によって200点の追加ダメージを受けたいづみは、残りライフ800点になった。


「あなたでは、あたしには勝てない」


「くっ……まだ勝負は終わってないわよ!」


「……ターン終了」


 楓は二ターン目を終えた。


 圧倒的優位に立っているかに見える楓だが、その実残りの手札は一枚しかない。いづみの残りライフを削りきることができるか微妙だった。



二ターン目いづみのターン


「あたしのターンね、山札からカードを一枚引いて……」


 当然だが、その瞬間に火炎地獄の効果が発動する。


 これでいづみは残りライフ700点になってしまった。しかもいづみが山札からカードを引くのを待っていたのか、楓は手札に持っていた最後の一枚を使用する。


「マナフェイズに移行する前に……『欲張り者の代償』、発動」


『欲張り者の代償 火属性 C2 魔法


 全てのプレイヤーは手札の枚数×50点のライフを失う』


 まさかこのタイミングで魔法カードを発動されるとは思わなかったのだろう。いづみは驚きを隠せないでいた。


 楓が発動させた魔法カード、それは欲張り者の代償のカードだった。


 欲張り者の代償が発動した時、全てのプレイヤーは手札の枚数×50点のライフを失ってしまう。楓はどうしてもこのタイミングで発動させたかったのだろう。それもそのはず、楓は手札を一枚も持っていない。そしていづみはドローフェイズにカードを引くことで、手札が十枚になっていた。


「あたしの手札は十枚……」


「私の手札はゼロ」


 両者は対照的だった。


 欲張り者の代償によって、いづみは500点のダメージを受ける。しかし手札がゼロの楓はダメージを受けないのだ。


「くっ、……魔法源にカードを一枚セットよ」


 残りライフ200点となったいづみは、正直焦っていた。直接ダメージ系の魔法カードが豊富な火属性カードを相手に、200点のライフでは一撃で倒される可能性があるからだ。早くなにか対策を立てなければ負けてしまう。


 魔法源に二枚目のカードをセットして、スタンバイフェイズへと移行する。


「あたしは手札から『憂鬱な天使』を召喚するわ!」


『憂鬱な天使 光属性 ユニット C2 体力50 攻撃力350 特殊:飛翔』


 いづみは手札から憂鬱な天使を召喚する。マンティコアの攻撃を一度でも受けてしまえばライフが0点になるので、ここはどうしてもマンティコアを倒す必要がある。


「憂鬱な天使でマンティコアを攻撃っ」


 いづみは攻撃を宣言する。


 憂鬱な天使の攻撃力は350、応戦側のマンティコアの体力は50だ。憂鬱な天使の攻撃に耐え切ることはできない。


「マンティコア撃破!」


 憂鬱な天使の攻撃によって、マンティコアは破壊された。


 楓はマンティコアのカードを捨て札に置いた。しかし楓は無表情を崩さない。次のターンに山札から引くカードが直接ダメージ系のカードでなくとも、いづみにダメージを与える召喚能力を兼ね備えたユニットカードはデッキにたくさん入っているのだ。


「あたしのターンは……これで終了よ」


 いづみは憂鬱な天使を行動済み状態にすると、ターンエンドを宣言する。自分の手札には起死回生のカードがない。楓が引くカードが役に立たないものであることを祈るしかないのだ。


 そして三ターン目、決着がつく。




三ターン目(楓のターン)


 山札からカードを一枚引く。火炎地獄の効果によって、楓は100点のダメージを受けてしまい、残りライフは2800点になった。


「……マナフェイズはスキップする」


 楓はマナフェイズにカードをセットしなかった。山札から引いたカードをスタンバイフェイズにプレイするからだ。


「『炎の矢』、発動」


『炎の矢 火属性 C1 魔法


 対象のプレイヤー一人、又は対象のユニットカード一体に300点のダメージを与える』


 楓が引いたカードは、勝敗を決める直接ダメージ系の魔法カードだった。


 炎の矢が対象とするのは、もちろんいづみ自身だ。この効果によっていづみは300点のライフを失う。いづみの残りライフポイントは200点だったので、炎の矢が発動することでライフが0点になってしまった。


「これで終わり。私の勝ち」


 楓との対戦は、敗北に終わってしまった。


 負けが決まった瞬間、いづみは顔を俯ける。悔しかったのだろう。


「……敦賀十希と引き分けただけのことは、ある」


「――え?」


 平坦な喋りかたではあったが、楓はいづみが勝負をするに値するプレイヤーであることを認めた。罵られると予想していたいづみは、顔を上げて楓と目を合わせる。


「でも、まだまだ弱い」


「……ひ、一言余計よ」


 いづみは目を逸らす。しかし逸らした先に十希がいた。


「あっち行きなさいよ、バカッ」


「あれっ、なんでオレ除け者扱いされてんの!?」


 チャイムが鳴った。昼休みが終わったのだ。これから掃除の時間が始まる。楓はデッキをスカートのポケットに仕舞うと、なにも言わずに校舎の中へと戻っていった。


「……オレたちも行くか」


「そうね」


 座っているいづみに手を差し伸べると、いづみはなんのためらいもなく十希の手を取った。勢いよく立ち上がり、そして口を開く。


「十希、あんたに聞きたいことがあるの」


「聞きたいこと……?」


 十希はいづみの表情に変化があったことに気づいた。


「……今日の放課後、あたしの家で話すから」


 真剣な眼差しを向けるいづみに、十希はただ頷くしかなかった。




 学校が終わった後、十希はいづみと共に玖凪屋へと向かった。


 登校時は軽快な足取りで下りていた魔の石段も、下校時は苦痛しかもたらさない。


「ふぅ、やっと着いた……」


 玖凪屋に着くころには、十希は肩で息をしていた。


「だらしないわね」


 そんな十希を視界に捉え、いづみが容赦ない言葉を浴びせる。いづみは毎日、魔の石段を登下校に利用しているのだ。十希とは足の鍛えかたが違う。


「ほら、早く入りなさいよ」


 入り口のドアを開いたまま、足のつま先をパタパタさせる。なんだかんだ言っても、いづみはこうして自分が追いつくのを待ってくれている。十希はそれが恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。


「すまないな……」


「年寄り臭い台詞はいらないから早くっ」


 いづみと共に店内に入る。レジにはいづみの祖父が座っていた。


「お帰り、いづみ」


「ただいま。ねえ、おじいちゃん。あれ見せて」


 それだけ言い捨てると、いづみは祖父の返事を聞く前に店の奥の部屋へと足早に消えた。


「あ、えっと……こんにちは」


「こんにちは、敦賀君」


「……憶えてくれてたんですね、藤次郎とうじろうさん」


 いづみの祖父は十希の名前を知っていた。というよりも憶えていたと表現したほうが正しいのかもしれない。そして十希もこの老人の名前を知っている。昔の記憶に間違いがなければ、藤次郎という名前だったはずだ。


 昔のことを思い出したのか、藤次郎は口元を緩める。


「キミと御剣みつるぎ君、君たちのことは忘れたくても忘れられんよ」


 御剣という名前が出た瞬間、十希はドキリとした。玖凪屋での思い出には、彼女という存在も大きくかかわっている。


「どうかな、昔となにか変わったところはあると思うかね?」


「……三年前は仏頂面の店員がいましたけど、今はいなくなりましたね」


「くっくっ……、それはキミのお陰だな?」


 仏頂面をしていた店員というのは、いづみのことだ。十希と出逢い、そして時の迷宮を始めるようになってから、いづみの表情は目まぐるしく変わるようになった。笑顔を絶やすことがなくなった。


「おまたせ」


 藤次郎と話していると、奥の部屋からいづみが現れた。玖凪屋のロゴが入ったエプロンをつけている。店内で働く時は、このエプロンをつけなければならないのだ。


「着替えてたのか」


「当たり前でしょ、なんでセーラー服のままレジに立たなきゃならないのよ」


 正確にいうならば、玖凪屋のレジには椅子があるので立つ必要はない。


「そういえば聞きたいことがあるって言ってたよな?」


「そう、そうよ。聞きたいことがあるの! おじいちゃん、用意してくれた?」


「わかっとるよ。ほら……」


 いづみに催促されて、藤次郎はレジカウンターの棚に並べられたノートを一冊手に取ると、それをいづみに渡した。ずいぶんと古そうなノートである。


「なんのノートだ、それ?」


「月例大会の結果が載ってるのよ」


「……昔の結果も、全部載ってるのか?」


 もちろんよ、といづみは返事をした。ノートを開いて一枚目のページを十希に見せる。


「ここ三年ほどの記録には興味ないんだけど、玖凪屋が月例大会を始めたころの記録を見て驚いたわ。だってあんたの名前が載ってるんだもん」


 そのノートには、月例大会の出場者名と出場人数、そして順位が全て記録されていた。第一回目から、先日十希が優勝を飾った月例大会の記録まで、全てだ。


「優勝、準優勝、優勝、準優勝、優勝……、これを見た時、あたしはやっとあんたの強さの秘密がわかった気がしたわ……」


 溜息混じりの声を上げて、いづみは十希の手からノートを奪い取る。そして下唇を噛んだまま、ノートに書かれた出場者名のうち、とある少女の名前を指差した。


「この子のこと、知ってる?」


 いづみが指差した先には、御剣由良理という名前が書かれてあった。


「……そんなことを聞いてどうするんだよ」


 動揺を隠しつつ、十希は反問した。


「あんたが月例大会で優勝した時、この子は必ず準優勝してるわよね? そしてその逆も然り、一年以上も優勝を争っていた相手のことを忘れるわけがないでしょ?」


「……確かに、オレはそいつのことを知っている。だけどいづみ、それがお前となんの関係があるってんだよ?」


「コレを見なさいよ……」


 いづみはノートの一番後ろのページを開く。そこにはこれまでに行なわれた全国大会の結果が書かれてあった。藤次郎は全国大会の結果をも確認して、記録していたのだ。


「第一回時の迷宮全国大会準優勝、敦賀十希。……これはあんたよね?」


「……ああ」


 言われなくてもわかっている。三年前のあの日、自分は全国大会で準優勝をした。しかし問題はそこではない。全国大会の記録が全て載っているということはつまり、彼女の記録も残っているということだ。


「そして第一回時の迷宮全国大会優勝、御剣由良理――……」


 再び、いづみの口から由良理の名前が出てきた。


 いづみには決して知られたくなかったのだが、由良理の存在を知ってしまった以上、全てを話さなくてはならないのかもしれない。


「……ねえ、どうして十希は時の迷宮をやめたの? ……もしかして、この子となにか関係があるんじゃないの?」


 いづみは十希と出逢ってから数週間が経っていた。十希がどんな男なのか、ある程度は理解したつもりだ。だけど十希は昔の秘密を一度も話そうとしなかった。全国大会で準優勝したことがあるのに、それさえも隠していた。


「……いづみ、今日はもう帰ってもいいかな」


「えっ……」


 十希は藤次郎のほうを見た。全てを知っているのは、藤次郎だけだ。藤次郎は十希と目が合うと、小さく頷いてくれた。いづみには言わないでおいてくれるようだ。


「また、明日な」


 十希はいづみから逃げるように、店の外に出た。空はまだ明るかったが、昔のことを思い出してしまった十希の心の中は闇に覆われている。溜息をつき、魔の石段のほうへ歩を進めていく。すると後ろから足音が近づいてきた。


「十希、待ちなさいよっ」


 追いかけてきたのはいづみだ。なにかまだ聞きたいことがあるのだろうか。十希はこれ以上詮索してほしくなかった。


「あんたがあの子とどんな関係だったのか……あたしは知らないけど……」


 そこで一旦、喋るのをやめる。その先に続く言葉を口にするのを躊躇っているように見えた。なにを言うつもりなのだろうか。


 やがていづみは意を決したのか、真っ直ぐな瞳を十希に向ける。


「……今、あんたのそばにいるのは……あの子じゃなくてあたしなんだからね……」


 いづみは顔を真っ赤にさせながら、伝えたかったことを言葉にする。


「……いづみ、お前はいつからツンデレになったんだ?」


「え、つんでれ? ……つんでれってなによ? ツンドラの親戚?」


「……いや、なんでもない。今のは聞かなかったことにしてくれ」


 恥ずかしい台詞を言ったのはいづみのほうなのに、十希は自分がその台詞を口にしたかのように恥ずかしくなった。お互い顔を俯けたまま固まっている。なにか言わなければ、と十希が思っていると、先にいづみが口を開く。


「明日も、七時半に玖凪屋の前に集合よ」


「……また?」


「またってなによ! 文句は禁止よっ」


 強引ではあったが、いづみが口を開いたことで、二人は緊張から解放された。そして苦笑しながら十希は返事をする。


「わかったよ。来ればいいんだろ? 七時半ごろに……」


「七時半ごろじゃなくて、七時半丁度だって言ってんでしょ!」


「はいはい……」


 両手を上げてホールドアップの体勢を取る。いづみはいつもの調子を取り戻し、唇を尖らせて怒っている。それでこそいづみだ。しおらしい姿もギャップがあって可愛かったのだが、やはりいづみはこのほうが似合っている。


 いづみは息を整えると、十希を指差して命令する。


「寝坊したら許さないわよ、いいわね?」


「ああ、寝坊しなかったら必ず行く」


 そして十希は殴られた。



 翌朝。


 玖凪屋の入り口の前には、椅子に座って舟をこぐいづみの姿があった。


「こいつ寝てやがる……」


 呑気なものである。


 ちょこんと可愛らしく椅子の上に片足を乗せて、両腕で膝を抱え込むようにして座っているいづみは、目の前まで近づいても起きる気配がない。昨日はよく眠れなかったのだろうか。


「……やっぱ、可愛いよな」


 いづみの寝顔を見て、ぽつりと言葉が漏れた。


 普段のいづみは傲岸不遜な態度が目に付くが、こうやって黙っているのもなかなか可愛かった。吊り目がちな瞳は両方とも閉じている。


 背中まで伸びた綺麗な黒髪を結って、見事なポニーテールを作っていた。


 息を吸うために、柔らかそうな唇は少しだけ開いている。呼吸をするたびに胸元が上下している。視線を下にずらすと、すらっと伸びた脚線美が十希の胸の鼓動を高鳴らせた。


「あ」


 そして青と白の模様が視界に映ってしまった。


「くっ……!」


 今のは見なかったことにしよう、寝ているすきに見るなんて卑怯だ。


 なにが卑怯なのか意味不明だったが、十希は視線をいづみの顔へと戻す。すると、


「ん……」


「――ッ」


 いづみがゆっくりと目を開けた。


 小さく欠伸をして、両目をこする。寝ぼけ眼のまま辺りをキョロキョロと見渡し、すぐそばに十希が佇んでいることに気づいた。粉雪のように白かった頬は見る見るうちに紅く染まっていく。


「いっ、いつからそこにいたの……?」


「ついさっきだ」


「……ホントに?」


「嘘じゃねえよ」


「そう、そうなら……いいけど」


 昨日と同じように、いづみは椅子からすっくと立ち上がった。コホンッ、とわざとらしく咳払いをすると、椅子の横に置いておいた鞄を持って歩き出した。十希は慌てて後をついていく。


 いづみと二人で登校するのにも慣れてきた。


 これから先、これが自分にとって日常になるのかもしれないな、と十希は心の中で苦笑する。案外そういうのも悪くない。由良理とは似ても似つかない性格をしているけど、それが逆に気に入る原因となっているのだろう。


 今はまだ話す勇気がないけど、いつかきっと自分が犯したあやまちを打ち明けよう。十希は隣を並んで歩くいづみのことを想いながら決意するのだった。しかしその決意を嘲笑うかのように、彼女は二人の前に姿を現す。




「――敦賀十希ですわね?」


 その日の放課後、玖凪屋でいづみの対戦相手をしている十希の許に一人の女性が近寄ってきた。そして彼女は、十希の名前を呼ぶ。


「? ……そうだけど、キミだれ?」


 知らない顔だった。しかし相手の女性は十希の名前を知っていた。もしかして自分が忘れているだけなのだろうかと頭を悩ませる。


「わたくしのことを憶えていませんの? ……ふぅ、困ったものですわ」


 大げさに肩をすくめる。その態度が気に入らなかったのか、いづみが口を開く。


「名前ぐらい言いなさいよ」


「あら、失礼。あなたが座っていることに気づきませんでしたわ」


「なっ!?」


 挑発したいわけではないらしく、その台詞も素で言ったもののようだった。いづみが歯をギリギリと噛み締めているのを横目に確認しつつ、十希も彼女に問いかける。


「悪いけどさ、オレはキミのことを思い出せないんだ。……名前を教えてくれないか?」


「なにか勘違いなされているみたいですけど、わたくしはあなたと話したことはありませんことよ」


 彼女は十希と話したことがないと告げる。ということはつまり知り合いではないということだろうか。十希はますます意味がわからなくなってきた。


「初めまして、敦賀十希。わたくしの名前は羅衣音らいね。天馬てんま羅衣音らいねですわ」


「天馬……羅衣音……? ……あっ」


 知り合いではないが、その名前には見覚えがある。昨日、十希は天馬羅衣音の名前を目にしていた。玖凪屋の月例大会の結果を記録しているノートの中に彼女の名前が載っていた。しかしそれは月例大会の出場者名としてではない。ノートの一番後ろのページに載っていたのだ。


「確か準決勝で由良理に負けて……」


「思い出したようですわね」


 彼女は天馬羅衣音と名乗った。羅衣音は長い前髪が顔に掛からないようにヘアバンドで留めているため、おでこが特徴的な女性だった。後ろ髪は意外と短く、肩まで伸びていない。


「わたくしは、御剣由良理に大敗しましたわ。けれども、その御剣由良理でさえも決勝戦であなたに負けた……」


「なに言ってんのよ? その子は確か優勝したはずよ」


 いづみが指摘する。しかし羅衣音は悪戯な笑みを浮かべてみせる。


「……そこのあなた、この男のことをなにも知りませんのね?」


 羅衣音はいづみを挑発するように返事をする。案の定いづみは眉をしかめて羅衣音を睨みつけた。しかし羅衣音は物怖じしていない。むしろいづみのことを哀れむかのように溜息をついた。


「この男は罪を犯した……。そう、全国大会の決勝戦という舞台の上で……」


 十希は拳をギュッと握り締めた。


 まさかこんなに早くいづみに知られてしまうことになるとは思わなかったからだ。


 あの時、自分と由良理の勝負の行方を羅衣音は見学していた。


 彼女の存在を忘れていたことが仇となったようだ。


「――敦賀十希、あなたが御剣由良理との勝負にワザと負けたこと、だれも気づいていないと思っていたら大間違いですわよ?」


「――ッ」


 やはり羅衣音は知っていた。おそらくは十希の手札が覗ける位置で見学していたのだろう。手札に切り札となるカードを持っているにもかかわらず、負けを宣言した十希。そして羅衣音はそれに気づいてしまった。


「……そうか。あの時、オレに最低だって言ったのはキミだったんだな……」


「御剣由良理にワザと負けるという行為は、わたくしを侮辱したも同然ですわ。あれから三年が過ぎましたけど、この恨みはしっかりと償っていただきますわよ」


 そう言って、羅衣音は手に持っていた鞄の中からデッキケースを取り出した。時の迷宮で十希と戦うつもりのようだ。


「あなたに勝つことで、わたくしはプライドを取り戻せる。……だからこの勝負、絶対に受けてもらいますわ」


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」


 ここでようやくいづみが口を挟んだ。二人だけで話を進めていくことが気に入らないらしい。羅衣音が喋るのを制した後、いづみは十希のほうを向く。


「……十希、ワザと負けたってどういうことなの?」


「聞いてのとおりだ。オレは決勝戦でワザと負けたんだ」


 由良理の笑顔を曇らせたくなかったから、十希は切り札を使わなかった。しかし罪の意識に悩まされた十希は、玖凪屋の店長である藤次郎にそのことを打ち明ける。そしてそれを由良理に聞かれていた。


「な、なんで……」


「由良理のことが……好きだったからな……」


 突然の告白に、いづみは息を呑む。新たな真実を聞き、羅衣音も目を丸くしていた。


 月例大会でいつも優勝を競っていた二人は、全国大会でも優勝を掛けて勝負をした。しかしその勝負にワザと負けた十希。そしてそれを由良理に知られてしまった。


「……だから、やめたの?」


 寂しそうな声だった。


 いづみに声を掛けられ、十希は視線を逸らすことしかできなかった。しかしそれが肯定の返事であると受け取ったいづみは、顔を俯ける。


 月例大会の記録を残したノートには、敦賀十希と御剣由良理の名前で大半を占められていた。


 それなのに三年前から二人の名前が消えてしまっていた。それは二人が時の迷宮を止めてしまったからだ。


「ほら、邪魔ですわよ? わたくしは今からこの男と勝負をしなければなりませんから、そこをお退きなさい」


「……退かないわよ」


 それはひどく小さな声だった。しかしその声には迷いがない。


「え?」


 一瞬、羅衣音はなにを言われたのかわからなかった。いづみが小言を呟き、そして顔を上げて羅衣音と目を合わせる。


「ここはあたしの家よ! 十希と勝負したければ、まずあたしを倒してからにしなさい!!」


 はっきり言ってむちゃくちゃな理由だった。


 とはいえその言葉には有無を言わさぬ勢いが込められていたので、そこにいただれもが反論することができなかった。


「……あ、あなたがわたくしに勝てるとでも思っていますの? わたくしは全国大会に出場したことがありましてよ?」


「全国大会に出たぐらいでいい気になってんじゃないわよ、あたしなんか全国で準優勝した十希と勝負して引き分けたことがあるのよっ」


 まだそれを引き合いに出すつもりなのか。十希はツッコミを入れたかった。


「……くっ、いいでしょう。あなたを倒した後で敦賀十希を倒すことにしますわ」


 早速、羅衣音は店の奥に設置されてある対戦用のテーブルに着く。そしてデッキケースの中からカードの束を出した。しかしいづみはレジの前から動かない。


「どうしましたの? わたくしは勝負の準備ができていましてよ?」


 羅衣音の台詞に、いづみは首を横に振った。


「今日はレジの仕事があるから無理!」


「はい?」


 いづみの返事に耳を疑った。しかしいづみの瞳は本気だ。自分から勝負を挑んでおいて、今日はレジの仕事があるから無理だなんて自己中心的すぎる。だがそれがいい。十希は声を出して笑いたかったけど、ギリギリのところで持ち堪えた。


「天馬って言ったよな? ……こいつはまだ初心者同然だ。少し時間をくれないか?」


「初心者ですって!? ……つ、敦賀十希、あなたは初心者に引き分けたのですか?」


 信じられないといった表情で十希といづみを交互に見つめる。


「ああ、本当だ。こいつは間違いなく強い。オレよりも……そして由良理よりも強くなるはずだ」


 それは十希が初めていづみと勝負をした時に感じたものだ。いづみは負け寸前の状態から起死回生となる切り札を引いてみせた。カードを信じるその心は、運を味方につけていた。いづみは絶対に自分よりも強くなるはずだ。十希は信じて疑わなかった。


「一週間、時間をくれ。その間にこいつを強くしてみせる。……天馬、キミよりもな」


 正直なところ、たったの一週間ではカードのプレイングテクニックを高めることは不可能だ。


 レアカードをデッキにたくさん入れることで、デッキ自体はある程度まで強くすることができるかもしれない。


 しかしそのデッキを扱うプレイヤーが、デッキの力を最大限に発揮することができるかどうか問われれば、首を横に振るしかない。


 一日の長がある羅衣音は、仮にも全国大会でベスト4入賞を果たすほどの実力者だ。いづみが羅衣音に勝つ方法など、万が一にもありえない。


 だがそれでも十希は信じてみたかった。


「……一週間ですわね?」


「ああ、一週間だ」


 羅衣音は視線をいづみに向ける。


 本当に、この子が敦賀十希と引き分けたのだろうか。その瞳はいづみのことを疑っていた。けれども十希が絶大な信頼を寄せている相手だということは理解できた。


 ならば面白い、強くなるまで待っていよう。羅衣音は口角を上げる。


「よいですわ。……一週間後、あなたがたの後悔する顔を見るのが楽しみですわね」


 カードの束をデッキケースに入れ直し、それを鞄に仕舞い込んだ。そして席を立つと、いづみにウインクを投げて店の外へ出て行った。


「……十希、ありがと」


 強くなる時間を与えてくれて、と心の中でつけ加えた。


「この勝負はお前と天馬、二人だけの勝負じゃない。お前はオレの代わりに、そして天馬は由良理の代わりに勝負をするんだ……」


 それはいわば代理戦争だ。それぞれが意思を持ち、プライドを掲げて勝負する。


「あたし、絶対に負けないわ」


 自分には十希がついている。十希が信じてくれている。だから絶対に負けない。勝ってみせる。いづみの瞳は自信に満ち溢れていた。


「よしっ、早速特訓するわよ!」


「あれっ? お前レジの仕事は――」


「そんなのおじいちゃんに任せておけばいいわっ」


 藤次郎のほうを見る。レジは任せなさい、と目で返事をしてくれた。


「仕方ない、今日は一日中特訓してやるか……」


 十希はいづみに手を引かれつつ、肩をすくめてみせるのだった。




 今日のあたしは、少し格好よかった。


 十希の秘密を知っても毅然とした態度で羅衣音に対抗することができたし、十希の代わりに勝負を受けてやると意気込んだ。


 でも、本当は恐かった。


 もし、負けてしまったらどうしよう。羅衣音には蔑まれるだろうし、十希はあたしのことを見損なうかもしれない。あたしの心の中は不安でいっぱいになっていた。


 だけど十希は信じてくれた。羅衣音に勝てると信じてくれたんだ。


 あたし、絶対に負けないよ。


 御剣由良理の代わりにはなれないかもしれないけど、あたしは迷わない。


 十希のそばにいるって決めたんだからね――…



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