謎の黒い渦巻き中の光景を言葉で表すとするなら、それは「混沌」だった。何とも言えないものがうねっており、光とも闇ともいえない明るさの空間が延々と続いている。しかしシュート自身の姿だけははっきりと見えている。
(………………)
引き返そうかと少し思ったシュートだが、ままよと半ばやけくそ気分で前へ進むことを選んだ。
中に入って進み始めてからそんなに時間が経たないうちに、前方から光が差し込んできた。近づいていくにつれてその光はどんどん強くなっていく。出口であることは確かだ。
(何だここれ、眩し過ぎる……っ)
あまりの眩しさに目を閉じかけたその時、シュートは足元の感触が変わったことに気付く。
「これって………コンクリートの感触?」
その場で何度も足踏みして、自分がコンクリート地面に立っていることを自覚する。しばらくして光に慣れたことにも自覚して、目を恐る恐る開けてみる。
「え?え……??」
目を開けたその先は―――人気の無い路地裏らしき場所だった。光がギリギリ差し込んでいることで埃がかぶった木箱や空の瓶があるのも見える。
ここはどこなのかとシュートは緊張した様子で一歩、二歩と光がある方へ進む。
「―――――」
シュートの目の前に広がる光景は、街以外のなにものでもなかった。パソコンやSNSの初期画像に出てくる街の背景をそのまま再現したようなものだった。現地とそれらとの違いを挙げるならば、そこにシュートと同じ人間が何人も通行していることだ。
「現実、なんだよな……これって」
シュートにとっては見知らぬ街。すれ違う人は皆シュートを奇異なものを見る目で一瞥した。彼らにとってシュートは異国の人間に見えるのだろうが、シュートの目にもまた、彼らが見慣れない人種であると認識している。肌が黒い者、白い者ばかりで、シュートと同じアジア系の肌をした者は見かけられなかった。
(どこの国なんだろう?ここが中国とか台湾とかじゃないのは確かだろうけど……)
すれ違う人々や街の景色を見ながら、シュートは自分がどこの国に移動してしまったのか推測しようとする。
(明るい……さっきまでは夜だったのに)
渦巻きの中へ入る前は夜だったのに、空を見ると太陽は真上にのぼっている。丁度昼になったくらいだ。このことから時差が大きい外国のどこかに移動してしまったのかと思うシュート。昼夜が逆転するほどの時差がある国といえば、アメリカやヨーロッパ諸国などが挙げられる。
それらのどちらかにワープでもしてしまったのだろうかと推測したところで、シュートは前方にいる人物の装いを目にしてギョッとする。
(あいつの背中にしょってるのって…剣、だよな……?しかも、デカい!?)
筋肉質の大男の背には彼の半身くらいの長さの剣が差していた。模擬刀ではなく本物だった。日本ではもちろん、世界中のどの国でもああいう刃物を公衆の面前で見せるのはアウトである。
(……!あっちにはデカい斧を背負って!?あっちには腰に剣を二本差してる!?)
ちらほらと危ない刃物を人目がつくような持ち方で歩く男女を見かけて焦るシュート。何よりもシュートが奇妙に思ったのが、そんな彼らが歩いていても誰も気に留めていないという点だ。
(アメリカとかだと、銃とか普通に買えるって聞いたことがあるけど、アレもありなのか?どんな国だよここは……)
そもそも、ここは本当に海外の国なのだろうか、とも小さな疑問として引っかかっていた。
街を歩くこと数分、シュートはこの街で買い物が出来ないことに気付く。この国の通貨が円ではないのは明らかだった。それ以前にシュートの手持ちには財布すらない状態なので換金すら出来ない。
(財布持ってくるの忘れたな。この街で寝泊まりするのは無理みたいだ)
となれば来た道を引き返してここへ来るきっかけとなった黒い渦巻きで帰る…という考えに至るシュートだが、果たして思い通りにいくのか不安だった。
(こんな機会めったにないだろうから、もう少し観光…というか探検してみようか)
―――
――――
―――――
どうなっているのか把握出来ていないまま、シュートは気が付けば街を出て草原へと移っていた。どこまでも広がってる青々としただだっ広い草原が陽で照らされている。外国の地理に疎いシュートは、街のすぐ外はこうなっているのかと特に気にならなかった。
シュートは未だに自分があの黒い渦巻きの中へ入ったことで海外国のどこかへ移動してしまったと考えていた。現実世界のどこかにワープしてしまったのだと思っていた。武器を晒したまま街中を歩いていたことには驚かされたが、そういうことが許される国なのだろうと納得もしており、ここも日本と変わらず平和な国なのだろう、とそう思い込んでいた。
だからシュートは予期していなかった。自分が危険にさらされるということに。
草原を進んで街からだいぶ遠ざかり、森林地帯まで進んだところで、
「……動物の、声?」
声が聞こえる。しかしそれは人の声でもなく、犬や猫といった動物のそれらとも違う。黒い渦巻きの時と同じ、聞いたこともない鳴き声だった。森の方からその声は聞こえる。
(外国でしかみられない動物がいるのか?)
声がする方へ警戒なく近づいていくシュート。しかしその数秒後、彼は狼狽することになる。
「………!?」
シュートの目が捉えたものは、二足脚で立つ小さな生物だった。肌は緑に染まっており、その体はぼろい布で服のように覆われている。さらにその背丈はシュートよりは小さく、頭には小さな角が生えていた。そんな見た目をした未知の生物が3匹いる。こんな動物など日本ではもちろん、海外のどこにも生息していないはずだ。二足歩行の時点でこの世の生き物とは考えられなかった。
「あれって……小鬼、ゴブリンって奴じゃあ…!?まさか、モンスター!?」
ゲームをよく遊ぶシュートなら何度も目にしたことがある生物。しかしそれは現実には存在しないはずのものだ。架空の生物が今、シュートの目の前にいる。そんなことが起こっていることを、シュートは中々受け入れられずにいた。
「「「~~~~~」」」
ゴブリンらしき生物たちはシュートを見て何か吠えたてている。それらの表情からして友好的でないことはシュートにも理解できた。
「つーかあいつらが持ってるアレ、武器だよな」
ゴブリンたちが手にしている物、おそらく棍棒だろうと予想するシュート。武器を手にしたモンスターらしきものたちが敵対した様子でこちらを見ている。どう考えてもヤバい、とシュートは判断した。
「何なんだよ、ここは……!?」
シュートは一目散に逃げ出した。ゴブリンたちもシュートを追いかけるべく駆け出した。それらの身体能力は、帰宅部で運動をそれほどやっていないシュートと同じかそれ以下らしく、すぐに追いつかれることはなかった。
しかし色んなものを詰め込んだリュックの重さがある分、先にシュートが疲弊していった。
「……っばい、あいつらに追い付かれる…!く、そおおおおお!!」
迫りくるゴブリンたちの気配を感じて必死に走るシュート。リュックを捨てていこうかと思ったその時、自身の体の違和感に気付く。頭の中に電流が走ったような感覚がした直後、
「………あれ??」
走りながら疑問に思った。自分はこんなに足が速かったっけ、と。後ろを見るとさっきよりもゴブリンたちを引き離している気がしていた。さらにさっきまではしんどかったはずなのに、今はそうでもなかった。
どうにか三匹のゴブリンを撒いたシュートは、息を整えて地面に座り込む。
「……………ここは現実世界じゃない」
ここにきてシュートは大きな勘違いをしていたことを悟る。そしてここが現実の世界ではなく、「異世界」であることを悟ったのだった。
「やっぱりあれはただの渦巻きじゃなかったんだ……」
自分がただ事でないことに巻き込まれたのを自覚して呆然としてしまうシュートだったが、それもすぐに終わることになる。
「「~~~~~~」」
「………!」
再びモンスターの声がして振り向くと、二匹のゴブリンが新たに現れて、シュートに襲い掛かってきた。