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第10話 或る事故物件

 金田の部屋は、かつて玉地区少年少女連続誘拐殺人事件の犯人が住んでいた部屋だった。


 犯人はあの部屋から少年少女のハンティングに出かけ、ひと気のない河原や空き家で殺人に及んだ。狩りを終えるとまたこのマンションに戻り、何事もなかったように職場へと出かけてゆく――。

 三人目の殺害になると、捕まらないとタカを括っていたのだろうか。かなり自宅の近くで犯行に及んでいた。

 自宅マンションでの犯行はなかったようだ。

 すべて外での犯行だったため、このマンションが凶悪事件の纏めサイトに載ることがなかった。当然、殺人も起きていないので『大島てる』に載ることもない。

 三人もの命を奪った残忍な人間が寝起きしていた場所だというのに、ここは情報が開示されることもなく、家賃に大きな変化もないまま貸し出されていた。

「殺人犯の借りていた部屋」というのは、告知義務にあたらないのだろうか?


 心底恐ろしいと思ったのは、犯人は、家庭に問題があったわけでも、両親から虐待を受けていたわけでもないところだ。いたって普通の、父母と妹との四人家族に育っている。

 むしろ裕福な家庭とも言える。四年制大学まで出してもらい、一年だけ就職浪人をしているが、二十三歳の時には父親の伝手つてで建設会社に入社している。このマンションに住んでいたことからも、給料が充分であったのがうかがえる。


 それがどうして、あんな残忍な犯行にいたったのか。

 それとも、もともとあった人を殺めたいという欲求を、限界まで隠し続けていたのだろうか――


 今更、犯人の心理を探ろうなんて思わない。

ただ、あの部屋に入った時に感じた、何とも言えない息苦しさ。今だ漂う毒霧のような悪意の残滓。あれが人間の発していたものだと思うと、呪物よりもよっぽど恐ろしく思えた。

 知らずにあそこで寝起きしたならば……。

 金田のように自ら命を絶ちかねない。


「そんな……。玉地区連続殺人事件の犯人の部屋だったなんて」

 報告もかね、再び中野の喫茶店に大樹を呼び出していた。

 金田の部屋の経緯と、映像の謎を伝えると、大樹は長々とした溜息を吐いた。

「じゃあ、あのてのひらは、犯人の残留思念ざんりゅうしねんというか、そういったものだと……?」

「おそらく、その通りだと思います。警察の捜査の手が迫る中、犯人もさすがに捕まりたくないと神経を尖らせていたのでしょう。『俺を見るな』、『俺の姿を撮るな』という緊張と強迫観念があの部屋に残っていたのだと思います。こいつが」

 隣に座る、ミズキを視線で指し示す。

「こいつが、画像から『録るな』というメッセージを読み取ったんです」

 大樹は、黙ってメロンソーダを啜るミズキを見詰めた。

「助手のかたはいったい……」

 大樹の呟きに、ミズキを助手だと説明していたのだと思い出す。

「とりあえず、報告は以上です。大樹さんも、もうあそこには近づかないほうがいいと思います」

 余計な詮索をされる前に、話を終わらせた。

 束の間、誰も口を開かず、沈黙を埋めるように飲み物を飲んだ。


「僕、金田が死んだと聞いても、涙の一つも出なかったんですよ」

 落ち着きを取り戻した大樹が、自嘲気味に語り始めた。

「死んだって聞いても、悲しいというよりびっくりしちゃって」

 それは仕方なかろうと思う。挨拶もなく大学を辞め、久しぶりに連絡をよこしたかと思えば、事情も聞かずにしつこくYouTubeに誘ってきたのだから。

「あいつの親族に連絡を取っても、積極的に関わろうとしてくれないし、部屋の私物も処分してくれなんて言われて……。苛立ちさえ感じました。……ひどいですよね、一時期は仲良くしていた同級生クラスメイトが死んだっていうのに」

「仕方がありませんよ」

 心からの言葉だった。が、大樹は橘の言葉を跳ね除けるようにかぶりを振った。

「僕はずっと苛々しながら金田の部屋を片付けていたんです。こんないい部屋に住みやがって、と。たいした苦労もせずに僕より稼ぎやがってと。僕は、僕は、拘束時間ばかり長い安月給の小学校教師で……」

 大樹の頬に、一筋涙が落ちた。

「死んだ……、しかも自死した人間を憎むなんて最悪ですよね。自死したってことは、それくらい何か辛いことがあったはずなのに」

 やはり大樹は生真面目で優しい。内に渦巻く感情を吐き出させてやりたくて、黙って続きを促した。

「こうして涙が出るのも、僕自身、どういう感情なのかよくわかりません。ようやく金田の死を悲しめるようになったのか、それとも、あの忌まわしい部屋のせいでおかしくなっていただけなんだって安心しているのか」

 反対の目からも、静かに涙がこぼれた。

「自分はそんなに冷たい人間じゃなかったって、ただおかしくなっていただけなんだって、安堵しているだけなのかもしれない」

「どちらだっていいじゃないですか。涙が出るのなら出さしておきましょう。体内の浄化になりますし」

「……そうですね」

 大樹はテーブルにあったおしぼりを乱暴に目に押し当てた。


「あんたが渡してくれた人形、あいつも涙を流すんだよ」

 手持ちぶさたにストローを噛んでいたミズキが、唐突に会話に混じってきた。

「人形なんだけど、夜になると涙を流すんだ」

「……へえ。あの人形、そういう人形だったんですか」

 毒気が抜かれたように大樹が頷く。まだ目は赤いが、少し泣いてすっきりしたようだ。

 殺人犯が住んでいた部屋という恐怖を体験した三人には「涙を流す人形」の呪物が、平和な物に思えて仕方がなかった。

「けど、うちにきてからは、一回も泣いてない」

 偽物だったのかな、と悪戯っぽ目つきでこちらを見てくる。

「本物だよ」

 何だかんだで無料ただで手に入れられたとはいえ、偽物だとは思いたくなかった。

「カビはどうです? あれから、あれ以上は……?」

 大樹は、数日前の黒ずんだ状態を思い浮かべているのだろう。深刻そうな顔で訊いてくる。

「カビではなかったようで、我が家に来てからはすっかりきれいになりました。まあ、新品同様とまではいきませんが」

 そうですか、と大樹が椅子に凭れた。

「……人形も、あの怖ろしい部屋から出られて、安心したのかもしれませんね」

 幽霊やオカルトのたぐいを一切信じないと言っていた大樹が、穏やかな顔で呟いた。



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