金田の住んでいたマンションは、都心から地下鉄で三十分の場所にあった。
駅の近くに大きな森林公園があり、自然豊かな地域だ。かつ都心へのアクセスも良く「住みたい街ランキング」などでは必ず名前が挙がる。
大通りから少し外れた静かな区画に、三階建ての低層のマンションが見えてきた。駅から徒歩十分という、最高な立地だった。
「へえ。いいマンションですね」
「城みたい」
ミズキの言う通り、赤レンガ調の外壁が西洋風の建物だった。無駄のないモダンなデザインというより、温かみのあるクラッシックな佇まいだ。やや仰々しいデザインだが、しっかりとした造りで、中も綺麗であることが容易に想像できる。
「――YouTube、うまくいっていたんでしょうね」
大樹は複雑な表情でマンションを見上げると、橘とミズキを先導するようにエントランスに入って行った。
この瀟洒なマンションを羨ましがっているのか、分不相応だと考えているのか。真面目すぎる性格の大樹だから、後者のような気がする。
エントランス横のポーチライトも凝っており、ステンドグラスのシェードが印象的だ。ハリーポッターに出てきそうなデザインだ。
「ここです」
大樹が402号室の前で歩みを止めた。
「まだクリーニングは入っていないそうです。だから僕が片付けた時のままだと思います」
「お邪魔します」
ミズキとそろって挨拶をして、中に入った。
玄関を入ってすぐに細い廊下があり、正面に十畳のリビングダイニングがあった。リビングダイニングの左手にドアがあり、大樹が、隣は寝室だと教えてくれた。
当然、家具はすっかり片付けられている。泣き人形以外の呪物は、大樹が呪物だとは気づかずに処分してしまったらしい。
橘はポケットからタバコを取り出し、室内で火を点けた。
一瞬、大樹が戸惑いの表情を見せたが、橘がすぐに口からタバコを外して煙を室内に振りまくと、黙って様子を見ていた。
深くタバコを吸いこみ、部屋の四隅に向かって煙を吐き出す。さらに線香のようにタバコを持って部屋にくまなく煙を振りまいた。
普通の紫煙よりも粘り気のある煙が、ふうわりと室内に満ちる。
やがて二、三分もすると煙は消え、部屋はまた元通りに戻った。
「なんにもいないな」
ミズキがつまらなそうに言うと、「何がいるって言うんです?」と、大樹が怯えた表情を見せた。
橘は携帯灰皿にタバコを押し付け、大樹に吸い殻を見せた。
「これは霊を可視化する煙の出るタバコです。何か怨霊でもいるかと思ったんですが、大丈夫そうですね」
「そんなもの、あるんですか……」
大樹は、警戒をとかない表情で煙の消えた部屋を見回している。
築浅と言っていただけあり、綺麗な部屋だ。白いクロスにも、フローリングにも、まだ傷が少ない。角部屋で、正面に大きな掃き出し窓、向かって右手に出窓がある。天気の良い日は日差しが十分に入るだろう。だが――。
「ここ、北向きですか?」
照明器具がすべて取り外された部屋は妙に薄暗かった。
「いいえ、そっちの窓は南です」
大樹が正面の掃き出し窓を指す。
ためしにスマホのコンパスを起動して床に置くと、たしかに掃き出し窓は南を示した。三人でコンパスを覗き込みながら首を
「こっちが南、と言うことは、出窓は西なのに……。ずいぶんと暗いですね」
時刻は午後二時。本来ならば日がさんさんと入る時間帯だ。
「向かいのマンションのせいですかね? たしかにここ、いつ来ても薄暗いです」
じっとコンパスを覗き込んでいたせいか、目の奥に重苦しい鈍痛を感じた。顔を上げて眉間を揉んでも、なかなか痛みが治まらなかった。この部屋に入った時から、うっすらと頭痛がし始めていた。
「揮発性の塗料でも使っているのかな……、さっきから頭も痛いんですよね」
ぱっと大樹が顔を上げる。「そうなんです!」と声を張り上げた。
「橘さんもですか? そうなんですよ、僕もここにいると頭が痛くなってきて、長くいられないんです。片付けも、何日にも分けて作業しました」
クリーニングはまだ入っていないと言っていたから、洗剤や塗料のせいではないだろう。
窓は閉め切っているので、外からの影響でもない。
「ミズキはどうだ? 何か感じる?」
あまり期待せずに振り返ると、案の定、ミズキはゆっくりと首を横に振った。
「別に。ただ」
「ただ?」
ミズキは細い首を伸ばすと、天井を見上げた。さらに、探るように床の四隅に視線を走らせた。
「何かがいた気配はする」
寝室のドアを開け、ミズキが隣の部屋も確認する。何も見つからないのか、腕を組んでぐるぐると部屋を歩き回っている。
「そりゃ、金田が住んでいたんだから。その前にも何人も入居者がいただろう」
「うん、……けど、もっと何て言うか」
こんな風にミズキがはっきりと明言しないのは珍しかった。言いたいことにぴったりとくる表現が見つからないのか、何度も首を傾げる。
「もっと、こう、人間と化け物の中間みたいな。そんな感じの気配を感じんだよ」
普段、幽霊が見えるミズキは、「幽霊」と「人間」とをはっきり区別する。男の霊、女の霊、死んだ奴、怨霊、生きている人間、などなど。
そのミズキが、「人間と化け物の中間みたいなもの」と表現するものは何なのか。
「なんだ、それ」
見当もつかず、大樹と目を見合わせた。頭痛は収まるどころか増すばかりだ。
「――出よう。ここには何もない」
何も不調を感じていないはずのミズキも、素早い動きで外へ出た。
大樹が「そうですね」とすぐに後に続く。
これ以上ここにいても、金田の死の原因となるものを発見できそうになく、橘もミズキの言葉に従った。