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第5話 或る事故物件

 日の出荘に帰ってから映像を確認してみると、確かに真っ暗だった。

 大樹の言っていた通り、上のほうに細く光源が見える。

 大樹に掌だと言われたから、もうそれにしか見えない。人差し指から小指までのそれぞれの隙間から漏れ出る光。どうしてレンズを抑えたりするのだ。そして、いったい誰の手なんだ。

「金田の手では、ないんだよな」

 一緒に覗き込んでいるミズキに向かって訊いてみる。

「この映像を撮る前に、すでに死んでたって言っていたじゃないか」

「そうだよな」

 映像の左端に日付が出ている。たしかに五月六日。

 金田が死んだのは、五月一日。鑑識の結果だから、間違いないだろう。

 やがて映像が衝撃とともに横倒しになる。暗がりに、床と壁の一部だけが映ったになった。

 何度繰り返し見ても、疑問だけが募る。

「『とるな』って言ってる」

 何度目かのカメラの横倒しのシーンで、ミズキがはっとしたように顔を上げた。

「何も聞こえないけど」

 橘には、何の音も聞き取れない。

「音声じゃない。『とるな』って言ってるのが伝わってくる」

「誰が言っているんだ? 金田か? 人形がか?」

「さあ。それは知らない。とにかく見られたくないからカメラを塞いでいるんじゃないの」

「見られたくない……?」

 もしも泣き人形が撮るなと訴えてきているのなら、この掌は違和感がある。あきらかに人間の手だし、大きく男性的な感じがする。もしも泣き人形の思念が手の影を造り出したとするのなら、女性の手になるのではないか。

 呪物棚に加わった泣き人形を振り返る。

 帰ってきてから丁寧に拭いたので、顏の汚れはだいぶマシになった。着物の汚れはどうしようもないが、せめてもの気持ちで、髪を梳かし、着物の襟もとを整えた。大樹から受け取った時よりは綺麗になっていた。

「見られたくないってあの人形が言っているのか?」

「どうせお前もコラムに書くためにいろいろ試してみようと思ってたんだろ? 今夜同じようにカメラを設置してみればいいじゃないか。また掌が現れるかも」

 さらりと言って、ミズキが部屋を出てゆく。

 ミズキにはいつも当事者意識がない。事件を追ったり調べたりする橘について回るだけで、自ら積極的に関わろうとはしない。けれど、いつも事件を解決する鍵を見つけるのはミズキなのだ。

 ミズキの言葉に妙に納得し、押し入れからカメラを取り出した。



 橘の部屋で撮影した映像には、何の現象も起こらなかった。

 掌の影どころか、泣き人形自体もぴくりとも動かなかった。ラップ音が鳴ったり、奇妙な音声が混じったりもしなかった。

 あの影は、泣き人形が原因ではないのか。

 橘は人形を取り上げ、顏をまじまじと覗き込んだ。

 泣き人形と呼ばれているだけあり、顏の造りが特徴的だ。

人形としての可愛らしさや精巧さより、人間に近い、妙に生々しい造りをしている。娘の顔を模したのだろう、目元にリアルな黒子ほくろが描き込まれている。他の人形ではこういうものは見られない。

 抱いていると、まるで人間の少女を抱いているような心地になってくる。緊張感というか、背筋に汗が浮くような、妙な重みがあった。

 そもそも泣き人形は、夜に泣くのが特徴だ。

 持ち主を殺すなんて聞いたことがない。

 橘は、もう一度大樹にもらった金田の部屋の定点の映像をみた。

 時間が時間なだけあり、全体的に暗い。大きな掌から漏れる光も、灯りというより、うすぼんやりとした、窓から差し込む外の灯りだ。

 そもそも金田は、どうして首を吊ったりしたのか――。

 人形を競り落とし、意気揚々と新しい投稿を作っていたはずだ。こうして定点カメラをセットし、まさに撮影しようとしていたはずなのに。チャンネルの登録者も順調に伸び、これからという時にどうして自殺なんか。

「人形が原因じゃない……?」

「なんでもかんでも私のせいにしないでちょうだい!」

 背後から甲高い声がして、肩が跳ねた。

 いつの間に忍び込んでいたのだろう、ミズキが少女の声色を真似て人形を動かしていた。

「……びっくりした。脅かすなよ」

 こうして音もなく部屋に入れるのなら、いつももっと足音や扉の開閉音に気を使ってほしいものだ。

 ミズキは思いのほか優しく人形を畳に寝かせると、何が可笑しいのか笑い声を上げた。

「祐仁は呪物に食わせてもらっている割に、すぐに呪物を悪者扱いするよな」

「悪者扱い? してないよ、そんなこと」

 思いもよらぬ指摘に、答える声が途切れ途切れになる。

「いいや、してるね。呪物がそばにあって、そこで何か悪いことが起こると、真っ先に呪物のせいだって考える」

「そりゃあ、呪物がそばにあったら、誰だってそう考えるだろう」

 そうかな? と、ミズキが腕を組む。

「例えば、お前が誰かを殺したとする」

「突然なんだよ物騒だな。……で?」

 続きを促すと、ミズキが視線を上げながら言葉を継ぐ。

「人を殺すのって大変だよな? 殺すこと自体にエネルギーを使うし、うまく殺せるかどうかわからない。失敗したら反撃に遭うかもしれない」

「そうだな」

「――うまく殺せたとしても、そいつの恨みを買うかもしれない。俺たちお得意の『怨念』だよ」

 揶揄を含んだ言い方に、軽く睨み返す。それにしても、語彙が豊富になった。

「得意としているわけじゃないけど。たしかに怨念はあるかもしれないな」

「恨まれて、死者に呪い殺されるかもしれない。殺すのも大変、殺した後も大変。――この泣き人形は寂しくて涙を流す人形なんだよな? そんな人形が、なんでそんな苦労を自らする必要があるんだ」

 ……たしかにミズキの言う通りだ。

 そもそも、泣き人形は父母を恋しがって涙を流す人形だ。どうして持ち主を呪い殺す必要がある。

「たしかに、そうだな。そんなことをする必要がない」

「お前は職業病で、怪奇事件が全部呪物のせいだって思い込みが激しいんだよ」

「……職業病なんて言葉、よく知ってたな」

 本当に語彙が増えたと感心していると、ミズキは揶揄われたと思ったのか、ふんと鼻を鳴らした。

「きっと他に原因があるんだ。そいつのYouTube見てみようよ」

 橘は、大樹が教えてくれた金田のチャンネル名を検索した。


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