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第4話 或る事故物件

 怒っているような、今にも泣き出しそう顔で、大樹が顔を上げた。

「はっきり言って、僕は心霊現象だとか、幽霊だとか、そういうたぐいは一切信じていないんです。……すみません、呪物蒐集家の方を前にして」

 再びミズキが、ズゴゴゴ、と耳障りな音を立ててコーラを吸い上げた。グラスはすっかり空で、コーラが残っているようには見えない。

 いえ、と橘は顔の前で手を振った。

「お構いなく。信じるのも、信じないのも、楽しむのも嫌うのも、個人の自由です。どうぞ続けて」

「はい。……最後に気になって、その定点カメラの映像を見てみたんです。はじめは人形を映してどうするんだって気持ちだったんですけど」

 そこで大樹は一度言葉を切ると、誰かから狙われてでもいるかのように背後を確認した。

「どうしました? 何か映っていましたか?」

「いいえ、何も」

 大樹の思わせぶりな前置きに、なんだ、と拍子抜けした。

 それに、泣き人形に相当期待をしていたので、何も変化がなかったと聞いてがっかりした。独りでに泣いたり動いたりしたら、久々に目玉となる呪物だったのに。

 落胆を顔に出さないよう、橘は大樹に向かって穏やかに語り掛けた。

「たいていの『呪物』と呼ばれる物は、そんなものです。見た目が不気味なだけで」

「いえ! 違うんです」

 橘の言葉を遮り、大樹が激しくかぶりを振る。

「繰り返しになりますが、僕は心霊現象なんて信じていません。金田のやっていることも、金田のチャンネルを喜ぶ視聴者も、……正直バカみたいだなって思っていました。子供のお遊びだって呆れていました。だからあの映像を見た時も、金田の仕込みなんじゃないかって」

 さっきまでの理路整然とした喋りと違って、大樹の話は支離滅裂に飛び、顏は引き攣っていた。

「仕込みって? 何も映っていなかったんですよね?」

 続きを促すと、大樹は何度もつばを飲み込み、「なにも、」と声を絞り出した。

「何も映っていないと思ったんです。画面が真っ暗で、撮影に失敗したんだろうなって……。でも、画像の上のほうに光が見えるような気がして、輝度を上げてみました。そうしたら、何も映っていないんじゃなくて、……カメラのレンズを塞いでいるんだってわかりました。てのひらで、こう」

 大樹が、こちらに掌を向けて近づけてくる。

 初めは、皮膚の肌色や手相の皺が見えたが、鼻先寸前まで近づけられると、たしかに視界が塞がれ真っ暗になった。指の隙間から、店内の灯りが細く見えるだけだ。

 隣で、ミズキが真似て自分の掌を眼前に翳している。

「しばらくすると、ガタンという音とともに映像が横倒しになりました。カメラが倒れてしまったんだなって思いました。意味がわかりませんでした。人形を撮影しようとしているのに、レンズを塞ぐなんて。何しているんだろうって」

 人形を撮ろうとしていたのにカメラのレンズを塞ぐ――。たしかに、金田が何をしたいのかわからない。

「あの、これ、お話していた呪物です」

 大樹が震える手で大きな紙袋を手渡してきた。

 袋の口を広げてみると、何にも包まれていない人形の頭が見えた。

「――これは」

 袋から取り出すと、人形の顏が真っ黒になっていた。かろうじて目が判別できる。

 着物は、元の色が分からないくらい黒ずんでいる。少なくとも、オークションに出品された時点では、赤い縮緬ちりめんの着物を着ているとわかったのに。

 この数週間で、ここまで劣化したのはいったいどういうことなのだろう。

「日に日に黒ずんでいくんですよ。カビが内部から生えてきているんですかね?」

 ようやく手放せたと思っているのか、大樹の声には微かに安堵の色が滲んでいた。

「確かに受け取りました。……金田くんの部屋は、そんなに?」

「いえ。多少散らかってはいましたが、汚くはなかったです。築浅ちくあさのマンションですしね。金田も、人形とは離れた場所で首を吊っていたようですし」

 部屋が異常に汚かったとか、遺体の体液がかかってしまったとかではないようだ。

「――それと」

 大樹の瞳が再び暗く曇る。

「僕が見たその掌の映像、撮られたのが五月の六日むいかです。六日むいかの深夜二時」

「ええ、はい」

 六日だと、約一週間前か――。

「カメラって、撮影予約機能とかあるんですか? 僕、あまり詳しくないんですけど……おかしいですよね、誰が撮ったんだ……? あの掌は、いったい」

 ぶつぶつと大樹が呟いている。

「どうしたんですか? 予約機能って?」

 大樹が顔を上げた。何も見ていないような、妙に澄んだ瞳をしている。

「金田が首を吊ったのは五月一日ついたちです」

「……」

「鑑識が、死後一週間経過してるって言っていたんで確かです」

「金田が発見されたのはいつ?」

 それまで沈黙を貫いていたミズキが、唐突に割り込んできた。

 大樹が震える声で応える。

八日ようかです……先週の、土曜日」

 ミズキと、無言で目を見合わせる。

「その一週間前、と言うと金田くんが首を吊ったのは確かに五月一日ついたち……。その動画の日付は六日むいか……」


 ――カメラに予約撮影機能なんて、あっただろうか。


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