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第3話 或る事故物件

「突然呼び出してしまってすみません」

 テーブルの向かいに座った青年は、座った姿勢のまま、生真面目に頭を下げた。

 中野駅前の雑居ビルの地下にある喫茶店は薄暗く、土曜の午後だというのに客入りはまばらだった。

 コーヒー豆の種類ばかりが多い、気難しい店主が営む昔ながらの喫茶店だ。入り口付近には各社の新聞と老眼鏡が置かれ、赤いビロード張りの椅子には、高齢男性ばかりが座っている。滅多に満席になることがないので、橘は仕事の打ち合わせに重宝していた。

 大理石風のテーブルをはさんで、メールをくれた佐藤大樹が座っている。

「いえ、こちらこそ。連絡をくださってありがたいです」

 橘が応じると、大樹は安堵したように表情を緩めた。それから、ちらと隣のミズキの顔を盗み見る。橘が紹介するのを待っているようだが、何と言って紹介すればいいのか悩んだ。 

 こいつはただの同行者なので気にしないで、と紹介せずに話を進めようかとも思ったが、こんな目立つ容姿の少年を無視しろなど、土台無理な話だ。

「こちらは助手です」

「はあ」

 大樹はちらりとミズキの顔を窺うと、まるで少女のように頬を赤らめ視線を伏せた。

 一方ミズキは、大樹をまるで気にかけず、運ばれてきたコーラを無心で啜っている。

 橘は小さく咳払いをすると、大樹に水を向けた。

「で、ご友人が急死した、と」

 大樹ははっと我に返ると、今までのそわそわした表情から一転、表情を硬くした。

「友人、というか……。そんなに仲が良かったわけではないんです」

 大樹の切り出し方に、おや、と思う。

 遺品を整理するくらいだから、親兄弟並みに近しい間柄なのだと思っていた。

「では、どうして彼の遺品を?」

 大樹は意を決したように顔を上げると、一つ唾を飲み込んでから話し出した。

「金田とは、あ、友人の名は金田純也かねだじゅんやといいます。金田とは大学時代に知り合いました。同じゼミで、一時期はお互いの家を行き来するくらい、まあ、仲が良かったと言えるかもしれません。でも、三年になると、金田は学校に来なくなってしまいました。……器用だし要領もいいので、真面目に講義を受けていれば優秀な学生だったと思うんです。でもなんていうのかな」

 そこで大樹は一度言葉を切ると、足元に視線を落とした。

「すごく飽きっぽくて何事も続かないんです。器用貧乏と言いますか、すぐに出来てしまうぶん、すぐに飽きてしまうみたいです。バイトも立ち仕事が辛いからって二週間で辞めました。大学も、朝が起きられないと単位を落としまくって二年の時点で単位がまったく足りていない状態でした。このままでは留年になるって大騒ぎになって……。と言っても、騒いだのは周りばかりで、本人はあっけらかんとしたものです。留年するくらいなら学校を辞めるなんて言っていて、本当に辞めてしまいました。親に入学金を出してもらっている身分なのに……」

 大樹は、まるで自身が金を出した両親かのように顔をしかめた。金銭感覚がまともな人間なのだろう。もしくは、大樹自身が苦学生だったか。

「金田くんが大学を辞めた後も、連絡を取り合っていたんですか?」

 いいえ、と大樹が首を横に振る。

「いいえ。三年、四年ぶりかな……? 突然連絡がきたんです。一緒にYouTubeをやらないか? って。僕は社会人二年目で、忙しくってとてもそれどころじゃないって断わったんですけど、その後も何度か誘いの連絡がありました」

 psycho666は、呪物蒐集家や怪談士ではなく、ユーチューバーだったか。

「金田くんはユーチューバーだったんですか」

 大樹は緩く、首を傾げた。

「ユーチューバー、と言えるのかな……? 登録者が500もいかない、埋もれたチャンネルでした。いろんなことにチャレンジしていたみたいですけど、視聴者の反応もないし、そもそもどの動画の視聴回数もほとんど一桁でした。それが、とある心霊スポットに行った動画が跳ねたんです」

「ああ、心霊スポットね」

 オカルト系の動画は、そこそこに再生回数が稼げる。それで呪物蒐集にも手を出したのかと、納得した。

「登録者数が急増して、味を占めたんでしょうね。チャンネルをオカルト専門に切り替えて、いろんなことをやっていました」

「それで今回の人形も動画に出そうとしていたんですね?」

「おそらくそうだと思います。部屋に定点カメラが設置してあって、画角に収まるように人形が置かれていましたから」

「金田くんの部屋は、貴方が掃除されたんですか? 金田くんのご親族は?」

「家族には縁を切られたみたいです。意外と友人も少なかったようで、唯一、着信履歴に残っていた僕のところに連絡がきたんです」

 死んでも家族が迎えに来てくれないなんて、悲しいですよね、と大樹が顔を伏せた。

「――そうですね」

 この真っ当な青年に、破天荒な性格の金田はどうにも合わなかっただろう。一緒にユーチューバーにならなくて正解だったのかもしれない。

 辛抱強く待ったが、大樹が続きを話し出す様子がない。

ミズキがグラスに残ったコーラを執拗に吸い上げ、ズズズズ、と派手な音を立てた。

「それで?」

 ミズキの騒音をきっかけに先を促した。大樹は何度か瞬きすると、乾いた口を湿らすように、すっかり冷めたコーヒーを一口飲んだ。手が微かに震えていて、カップを置く時に派手な音が鳴った。


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