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第1話 或る事故物件 

「同業か? 粘るな」

 橘祐仁たちばなゆうじは、パソコンのモニターに向かって思わず独り言ちた。

 モニターには、きわめて地味な見た目の日本人形が表示されている。

 赤い縮緬ちりめんの着物を着た、髪がざんばらに乱れた人形だ。おそらくろくに手入れもされていないのだろう、全体に黒い汚れがついている。

 専用のケースに入れられているわけでもなく、適当に、フィギュア装飾などでよく見るアクリルスタンドに立て掛けられている。

 大手オークションサイトに出品されているこの人形は、作者も詳細も不明、精巧とは言えない造りにもかかわらず、三十一万という高値がついていた。

 橘は、どうしてもこの人形を手に入れたかった。

 この人形は、数年前から行方知れずとなっていた「橋本家の泣き人形」に違いなかった。

「橋本家の泣き人形」とは、幼い娘を亡くした人形作家が、悲しみを癒すため娘に似せて作った人形だ。

 胸にが入れてあり、押すと音が出る一般的な泣き人形とは違い、橋本家の泣き人形は目から涙を流す。

 特別なしかけがないにもかかわらず、夜な夜な涙を流して泣くらしい。

 幼くして死んでしまった自身を思って泣くのか、父母との別離を思って泣くのか。何とも悲しい呪物だ。

 ネットサーフィンをしていてたまたま見つけた時には興奮した。

 誰がどういった経緯で出品しているのかは知らないが、こんな手軽なオークションサイトで出会えるとは。希望価格は三万円。橘は興奮気味に三万五千円で入札した。

 数日の間は金額に動きはなかった。

 橋本家の泣き人形を知らない者からすれば、こんな薄汚れた人形を誰が欲しがるのかと不思議だろう。願ったり叶ったりだった。思わぬ掘り出し物に、自然と笑みがこぼれてくる。――それが二日前のこと。

 今朝になって、橘の入札額よりも高値をつける人間が現れた。

 負けじと橘が金額を上げると、すかさず相手も金額を吊り上げてくる。ライバルの出現だった。

 朝から、橘が入札しては、相手がわずかに高い金額をすかさず入れるというデッドヒートを繰り返している。競りはすっかり二人の対決になっていた。

 日が傾き始める頃、ついに入札額は三十万を超えた。

 現在、時刻は午後六時。すっかり日も暮れ、八畳間の和室は徐々に暗くなり始めている。

 橘は気分を変えるように一息吐くと、立ち上がって部屋の電気を点けた。窓のカーテンを閉め、もう一度パソコンのモニターに向き合う。

「いい加減に諦めろよ」

 相手に向かってか、それとも自分自身に向かってか、橘は苦々しく呟いた。

 橘の生業なりわいは呪物蒐集。

 集めた呪物についてのコラムを書いたり、イベントに貸し出したりして生計を立てている。時々自身もイベントに出演して呪物について語ったりもするが、表舞台に立つのは極めて稀で年に一、二回ほどだ。

 根城ねじろとしている「日の出荘」の部屋には、すでに呪物が溢れている。

 東の壁に作りつけた飾り棚には、折り重なるように呪物が並び、棚に収まりきらない呪物たちは、階下の煙草屋の店内に押しやられている。これ以上増やしたら置き場がないが、新作を入手してコラムを書かないことには生活費もままならない。

 収入と支出のバランスは、いつもぐらぐらと綱渡りの状態だ。

 橘は目を閉じ、懐具合を考えた。

 ……いくらまでなら出せる? たしか明後日には先月の原稿料が振り込まれるはず――

「おい祐仁!」

 頭の中で算盤そろばんを弾いていると、勢いよく部屋の扉が開かれた。

「メシ!」

 古びた木製のドアから、色の白い少年が顔を覗かせた。

 頬が陶器のように白く、少年と青年のあいま特有の、滑らかな輪郭をしている。大きな瞳はガラス玉のように澄んでいて、白目が青みがかっている。大きな瞳を縁取る睫毛は長く、頬に何とも物憂げな影を作っていた。もう出会って二年になるというのに、ふとした時につい見とれてしまう、完璧な造形の顔だった。

「ミズキ」

 同居人のミズキだ。身寄りがなく、成り行きで一緒に暮らしている。

「メシがどうした。お前が作ってくれたのか?」

「まさか。早く飯を作れって言っているんだ」

 美貌から出てくるとは思えない粗雑な言葉で、早く食事を用意しろと言う。

「……はいはい」

 ミズキの容姿について、強引に難点を挙げるとすれば、顔色が冴えないところか。

 瞳も見惚れるほど綺麗だが、……こちらも言い方を変えれば、作り物のように生気がない。

 この顔形ばかりが美しい不遜な少年は、生きた人間ではなく、アンデッドだ。

 息子の死に絶望した父親が、橘の所持していた「反魂の秘薬」を用い、どこかから盗み出した少年の遺体を形代かたしろにして息子の魂を蘇らせた。

 術が成功した代償に父親は死に、ミズキはこのアパートに一人取り残されていた。秘薬の持ち主であり、第一発見者でもあった橘は、ミズキを放っておくこともできず、仕方なく共に暮らしている。

 ミズキがいるせいなのか、橘の集めている呪物のせいか。

この日の出荘には怪奇現象が自然と集まってくる。

「まぁた無駄遣いしてんのか」

 ミズキが背後から覆いかぶさってきて、モニターを覗き込む。日本人形を見て呆れた溜息を吐いた。

「無駄遣いなんかじゃない。これは立派な俺の仕事だ」

 出会ったばかりの頃は、純真無垢で無知だったミズキも、今や口煩い母親くらいには世間に通じている。半年前に橘の使わなくなったパソコンを与えてからは、脅威のスピードで知識を増やしていた。

「似たような人形、もういっぱい持っているじゃないか」

 ……本当に、口煩い母親のようなことを言う。

「これは泣き人形といって、人間のように涙を流す特別な人形なんだ。他の人形とは違う」

「違うったって呪物だろう? また酷い目に遭っても知らないぞ」

 ミズキが、拳で胸元を叩いてきた。

 服の下に隠した巾着が、ごつ、と胸骨に押し付けられる。

「まあ、そのさかずきがあるからお前は大丈夫だろうけど」

「この人形は霊障を起こしたりしない。……盃がなくても、大丈夫だよ」

 橘は服の上から巾着を抑えた。

 首から提げた巾着には、橘家に伝わる「呪いの盃」が入っている。

 橘家の男子を何代にも渡って早死にさせてきた代物しろもので、この呪いの連鎖を断ち切るために実家から持ち出してきた。独りでに実家に戻ってしまわないよう、巾着に入れて首から提げ、常に肌身離さず持っている。

 兄に呪いが降りかからないよう、最悪、自分が死んで終わるのならそれでいいと覚悟して持ち出したのだが……。

 今のところ、盃の呪いは発動していない。

 呪いは発動していないが、別の、不可思議な力が動き出している。

「続きはメシを食ってからだ」

 ミズキに背を押され、しぶしぶ部屋を後にした。



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