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第32話 呪物とアンデッド

「よく大火事にならなかったわね! そこ、たしか木造アパートでしょう! しかもかなりの築年数の」

「築四十年」

 ノートパソコンを持ち上げ、黒く焦げた部屋の一画が写るように移動した。焦げ跡を見ると、太一が「もう」と、呆れ声を上げた。

「あんたはいいけど、ミズキちゃんに何かあったらと思うと心配よ」


 深夜の炎は、橘の手によってすぐに消し止められた。

 目の前で起こきた火だったので、対処も早かった。すぐに階下に走り、店のカウンター下に置いてあった消火器を持って戻った。

 既に叫びの聞こえなくなっていたただの炎に向かって、躊躇なく粉末を吹きかけた。古い木造に燃え広がらないか心配だったし、苦労して集めた呪物が全滅してしまうのではとひやひやした。こんな目に遭ってもなお、コレクションの呪物に執着があった。

 粉末まみれになった部屋の一画には、もう何も残っていなかった。ミニカーの破片の一つさえも。

 奇しくも、橘の部屋でお焚き上げがなされてしまった。


 モニターの向こうで、太一が神妙な顔つきになる。

「今回の件は、迷惑をかけたわね」

「あの呪物が勝手にうちに来たんだ。お前のせいじゃないよ」

 どちらかというと、橘の勝手な思い入れが招いた結果だ。

 はじめから、ミズキのようにドライに接していれば、ここまで大事にならなかった。


 いつも、呪物との距離の取り方について悩んでしまう。

 橘の集める呪物には、一つ一つに謂れストーリーがある。そのどれもが悲しくかったり、恐ろしかったり、耳を塞ぎたくなるような不幸な話だったりする。一つ一つに肩入れしていては、心がいくつあっても足りないが、だからと言って、ただの「物」だと軽々しくは扱えない。

 けれど今回の呪物のように、深入りすると、自分の身が危険に晒される場合もある。

 この橘家の呪いの盃と同じだ。うまく距離を取って付き合っていかないと、自分自身が呪物に取り込まれてしまう。軽んじてはいけないが、恐れすぎても、心を砕き過ぎてもいけない。


 階下に降りると、煙草屋にミズキの姿がなかった。

 探し回ると、めずらしく大家の部屋の中で仏壇に向かっていた。ミズキがこの部屋に入ることは滅多になかった。

「あいつはいいよな、あのミニカーの子供」

 抑揚のない声で、ミズキがぼそりと呟いた。いいな、とは言っているが、あまり羨ましいとは思っていないような声色だ。 

 それに、表面的にとはいえ、ミズキが誰かを羨ましがるなど、初めてのことだった。

「なんで? どこがだよ」

「お前や、太一や、親戚の人間に可哀想って思ってもらっているじゃないか。数年は、生きられたんだし」

「……ほんの数年だぞ」

 正確に何歳だったのかは聞いていないが、おそらく十歳で死んだミズキよりも、もっと短い年数だっただろう。

「実の父親に殺されているんだぞ」

「それがどうした」

 いつも毒舌で遠慮のないミズキだが、今日はいつにも増して辛辣だ。今日というより、このミニカーの事件に関して、当初からかなり突き放した態度だった。ここ半年は、かなり人の気持ちや感情に寄り添えるようになっていたと感じていたのにどうしたと言うのだろう。

「父親、父親って、祐仁いつも言うけど。父親ってそんなに偉いのか? そんなに立派なのか? だったらなんで、子供を殺したり生き返らせたり、勝手なことばかりするんだ」

 ミズキがこれほど感情を爆発させるのを、これまで見たことがなかった。いつもどこか他人事ひとごとのように、一歩引いたところから見ていて、冷めていた。

『父親』のワードが、いつもミズキの感情をかき乱す。

「……お前、父親と何かあったのか……?」

 ゆっくりとミズキが仏壇から顔を上げる。その顔には、もう何の感情も浮かんでいなかった。

「何回も言っているだろ? 憶えていないんじゃない。あの男とは何もなかったんだよ。記憶も、思い出も、何もない」


 まさか……。

 まさか――。 

 ここに来て、大家の息子ではなかったとでも言うのか。ではなぜ、一階の大家の部屋に現れたのだ。大家の死と引き換えに、どうやってここへ来たのか。――お前は、いったい何者なんだ?


「……どういうことだ?」

 反魂の術など絵空事で、ただの記憶障害の素性の知れない少年を養っていたというのか。

 それとも、ミニカーの呪物のように、狐などの低級霊が、大家の用意した形代かたしろに入り込んだか――。いや、しかしこれほどの長い間、人間のふりをできるだろうか。言葉を操り、様々な感情も習得していた。少しずつだが、他人と共感したり、寄り添ったりもしていた。


 ミズキが身を乗り出し、仏壇の写真立てに手を伸ばした。十歳のミズキと、母親が並んで写っている写真だった。

「俺の母親。これはわかる」

「……」

 やはり、低級霊などではない。確かに、大家の子が、この形代に宿っている。

「父親は、一度も墓に来なかったんだよ。だから、どんな奴なのかわからない」

 溜め息まじりにミズキが呟いた。

「そんなはずは、ないだろう。大家は毎月、月命日に君ら親子の墓参りをしていたと言っていた。何年も、何十年もの間、」

「それは、弟のところに、だろ?」

「え?」

「弟と母さんのところに行っていたんだろう? 俺のところには来たことがなかった。来たのは母親だけ」

「……弟? 弟って、……」

 大家の子は一人だけだったはずだ。遅くに出来た子で、両親ともに目に入れても痛くないほど溺愛していたと聞いている。その一人息子が母親と二人で買い物に行っている途中に車に轢かれ……。

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