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第30話 呪物とアンデッド

 もう限界だった。

 自分のところに霊障が出るだけならなんとか耐えるが、周囲に、子供がいなくなるという実害にまで及ぶと、死んだ子供を思いやるどころではなかった。


(可哀想だとは思うよ)

 けれど、死んでしまった者は返らない。――通常は。

 次は幸せな家庭に生まれることを祈るしか、してやれることはない。


 橘は煙草屋のカウンターに新聞紙を敷き、その上にミニカーを置いた。工具箱から出してきた金槌を構え、ミニカーに向けて振り下ろした。

 がちゃり、と耳障りな音を立て、ちっぽけな玩具が砕け散る。


「やっと壊したか」

 後ろでミズキが満足そうに頷いている。

「早くそうすればよかったんだよ」

 子供同士だからか、死んだ者同士だからか、ミズキにはわずかな同情の気持ちも見られなかった。

「明日、このままお寺に持って行ってお焚き上げしてもらう」

 橘はばらばらになったミニカーを新聞紙で包むと、さらに上からガムテープで巻いた。――無駄な努力だとはわかっているが念入りに巻いた。

「……けど、明日の朝にはすっかり元通りかもしれない。そんなもんなんだよ、呪物ってのは」


 今、胸にぶら下げている盃も、幸一が何度も何度も金槌を振り下ろした。毎度脆く壊れるものの、翌日にはすっかり元通りになっている。物質的に壊してすべてが解決するのなら、何も苦労はないのだ。

「その、首から提げている呪物みたいに?」

 ふいにミズキに問われ、返す言葉に詰まった。

「え?」

 ミズキに呪いの盃について話したことはない。もちろん、盃そのものを見せたこともない。

「なんで、盃のことを……」

「お前の胸元から、いっつも黒いもやが噴き出してるよ。――恨んでいる人間がいっぱい見える。夜になると恨みがいっそう激しく噴き出しているぞ。そうやって心臓のそばにいつも置いていると、そのうち命を吸い取られる。捨てろよ、そんな危ないもん」

 今こうしている間も呪いが噴き出しているのかと、橘は服の上から胸を押さえた。

「――これは俺が引き受けた橘家の呪いなんだ。俺が持っていないと、いけないんだ」

「どうして。それも一緒に捨てとけばいいだろ。死にたいのか」

 ミズキはくだらないとでも言いたげに、冷たく言い捨てる。


「これは俺が持っていなくちゃいけないんだ。俺が抑えていないと、実家の兄に呪いがいってしまう」

「兄? お前、兄貴がいたのか」

 ミズキが目を丸くして繰り返した。

 これまで尋ねられなかったのもあり、ミズキに家族のことを話したことがなかった。

「いるよ。優秀な兄が一人。山形で、母親と嫁と暮らしている」

 兄・幸一とは四つ違い。幸一は幼い頃から勉強ができて、親の言うことをよく聞く、大人しい子供だった。橘と違って用心深く、行動する前に石橋を丹念に叩くような、慎重な性格をしている。橘は、考えるより先に行動するタイプだ。

 性格を比べられることはあったが、兄弟仲は悪くなかったと思う。性格が真逆なだけに、羨ましいだとか、劣等感を感じることもなかった。


「兄は家業の葬儀屋を継いで、一家を支えているんだ。それに結婚して子供もいる。……責任重大なんだ、絶対に兄に呪いを背負わせたくない」

「葬儀屋? 葬儀屋って葬式をする会社だよな……」

 ミズキが盃のぶら下がる橘の胸元を見て、不思議そうに首を傾げる。何が見えたのか、今度は片方の口角を吊り上げ、凶悪な笑みを作った。

「へぇ、死んだ人間の頭を割るのも葬儀屋の仕事か」

 先祖の所業を今更問われても、自分たちにはどうしようもない。過去に遡って、祖先を止めろと言うのか。無理な話だ。

「――昔の話だ。俺たちのあずかり知らない、ずっとずっと昔のことだ。……俺たちには、俺と兄貴には関係のない」

 けれど今だに考える。死人の頭を割って脳髄を取り出して売らなければいけないほど、商売が逼迫していたのかと。

 人は必ず死ぬ。葬儀屋は決してなくなりはしない、生活に密着した商売だ。大儲けはできなくても、収益は安定していたはずだ。

 だが、その収益では満足しなかった古の先祖たちが、物騒な商売に手を出し始めたのだろう。ちょうど中国から入ってきた漢方薬が流行り出し、人体から取れる薬が有難がられた時代だと言っていた。目の前に、高価な薬が取れるご遺体がたくさんある……


「頭をかち割られた亡霊がうようよしていやがる。恨まれてんなぁ」

 ミズキが、蠅でも追い払うように顔の前で手を振り回す。

「このごうのせいで、橘家の男子は頭をやって死ぬんだ。残酷なもので、早死にといっても子供の時には殺さない。一族を根絶やしにしたりはしない。ちゃんと男が家庭を持って、子孫を作ったことがわかってから殺すんだ。亡霊たちは、代々男を殺し続けることを楽しんでいるんだ。その証拠に、男が子供の時には決して殺したりしない」

 結婚相手が妊娠した時、兄はひどく怯えていた。今もまだ恐れているかもしれない。子供がいる今、自分はいつ殺されるのだろう、と。

「だから絶対にこの呪いを俺のところで止めておかなくちゃいけないんだ」

「お前が死んだらどうする」

「俺には家族もいないし、悲しむ恋人もいない。俺が死んで、橘家の呪いが終わるなら万々歳だ」

 ミズキが面白くなさそうに鼻から息を吐いた。


 しばらくして、小さな声で訊いてくる。

「――兄弟って、そんなに大切?」

「そりゃ、大切だろう」

「なんでそこまでしなくちゃいけないんだ。たかが同じ家に生まれたってだけで」

 ミズキが、心から疑問だというように訊いてきた。一人っ子だったミズキには、兄弟の存在の大きさや距離感がわからないのかもしれない。道徳の授業を始めるような気持ちで顔を上げた。

「そりゃあ、家族なんだから……」

 しかし目の前には、どこか物悲しそうなミズキの顔があった。

「家族って、そんなに大事なものなのか? 家族や兄弟のためなら、みんなそんなに懸命になるのか? みんな、そうなの?」

 疑問というより、必死な訴えに思わず返事に詰まる。ミズキがどんな答えを求めているのか、何を知りたいと思っているのか、まったくわからない。

「じゃあどうして、このミニカーの父親は、自分の子供を殺したりしたんだ」

 答えに窮し、思わず唇を引き結んだ。

 子供への愛の大きさの違いとは、口が裂けても言いたくない。父親の人間性の問題だ。そんな父親のもとに生まれたのが、運が悪かっただけなのだ。巡り合わせの問題だ。

 また、このミニカーの子を可哀想だと思ってしまった。手に持った、新聞紙で包んだミニカーの残骸が、ごそごそ動き出す錯覚がした。

「家庭によって、いろいろあるんだ。……お前の親父さんは、お前を生き返らせようと必死だったよ」

「……、あっそ」

 何かを言いかけて、ミズキが口を噤んだ。『父親』のワードを出すと、ミズキはいつもむっつりと黙り込む。アンデッドにも思春期があるのだろうか。


 以前、生きていた頃の記憶がどれくらい残っているのか尋ねたが、家族について、父親について、憶えていることも何もないと首を振った。

「家族の記憶は何もない。ここに来るまで、何もなかったんだ」

 蘇りの際に、何もかもを忘れてしまったらしい。


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