「何か届いてる」
恵の家から帰ると、ミズキが出迎えにアパートの玄関まできた。出迎えと言っても、橘の前に立ち塞がり、進路を邪魔するというスタイルだが。
「何か?」
尋ねると、ミズキが階段横のダンボールを視線で示した。送付伝票を確かめると、送り主はコラムの編集部だった。橘宛に送られてきた物を転送してくれたようだ。もちろん、箱の大きさからファンレターなんかではないとわかる。
「また呪物? 今度はなんだ?」
ミズキも、興味深そうに覗き込んでくる。今のところ、ミズキと呪物の掛け合わせによる悪影響は特になかった。それどころか、ミズキは毎日の呪物のケアを手伝ってくれている。
「なんか面白いもんだといいな。持っているだけで死ぬとか」
それは今まさに俺の胸元にぶら下がっている、とひそかに思いながら慎重にダンボールを開く。
緩衝材代わりに敷き詰められた丸めた紙を取り除いてゆくと、小さな絵画が出てきた。向きを確かめて見てみると、浜辺に夕日が沈んでゆく絵だとわかった。全体的に、赤や茶の暖色系の絵具がふんだんに使われている。
「普通に綺麗な絵だな……? これのどこが呪物なんだ」
手紙でも添えられていないだろうかとダンボールの中を探るが、何も出てこない。説明がないので、この絵にどんな曰くがあるのか、どんな災厄が起こったのか、何もわからない。
まさか、ただのファンアートではないだろうなと勘ぐっていると、ミズキが堪えきれないというように声を上げた。
「臭い!」
絵に手を伸ばすと、表面に爪を立てる。
「あ、こら!」
制止するも間に合わず、ミズキが爪で絵を削る。赤黒い粉末がぱらぱらと落ちた。
「どこが綺麗な絵なんだよ。これ、血だ」
「……マジかよ」
ミズキに言われた途端、どことなく鉄錆くさいような気がしてくる。あらためて絵を見ると、赤褐色の色合いが、まさに血の滲んだガーゼを思わせ怖気が立った。
このキャンパス一面に塗られた赤色がすべて血液かと思うと、これを描いた本人は無事だろうかと心配になった。それとも描いた人間の血ではないのだろうか……。そっと箱に戻しながら、詰めていた息をふう、と吐き出した。
「とんでもない物が送られてきたな」
「お前が呪物集めなんかしているから、どんどん変な物が集まってくるんだ」
「仕方ないだろ。これが俺の仕事だ」
父が死んで二年後、橘は高校を卒業し、家を出た。
気の済むまでバックパッカーをやるから心配しないでくれと書き置きを残し、盃を持って家を出た。
「俺と一緒にこの家を出よう。――呪うなら、俺を呪え」
盃が一人でに動き出すとは思えないが、念の為、和紙の包みごと巾着に入れ首から提げた。風呂に入る時以外は常に身につけていた。もちろん、眠る時も。再び、橘の家へ帰ることのないように。
盃を持ち出してから、これと言って不幸なことはない。日銭を稼ぐのに苦労した時期もあったが、なんの
出演したイベントが配信される時は、幸一や真由が見ているだろうかと思いを馳せる。幸一が見てくれていたらいいなと思う。あいつ、うちの盃を持ち出して一旗揚げてるよなんて笑っていたらいいと思う。嘆き悲しまれるよりずっといい。
今のところ、呪いの歯牙にはかかっていない。
こうして気味の悪い呪物が集まってくるのが、この盃の災厄なのだろうか。いつか、集まってきた呪物に、橘自身が呪い殺されてしまうのだろうか。
(呪物蒐集家として成功して、大金持ちになったところで殺すとか?)
いつ、この盃が牙を剥くとも限らない。
この盃が橘を許す限り、首の皮一枚で生きていられる。
呪物を恐れ、呪物を敬い、呪物に助けられながら生きていくしかないのだ。
(お前と俺、どっちが先にいなくなるだろう)
ミズキの整った横顔を見詰める。
ミズキの反魂の術が切れ、また骸に戻ること。橘が呪い殺されること。どちらが先だろう。
(余命を宣告されるのってこんな感じか)
死が近付くと、目に映るすべての物が美しく輝いて見えると言う。ミズキが見惚れるほど美しいのは、自分の将来がそう長くないからだろうか。
玄関扉の採風窓から、夕暮れの光が細く長く廊下に差し込んでいる。
人の血で描かれた絵画も、燃えるような赤色を放っている。
――綺麗だ。
明日にでも死んで、何もかもが無になると思うと、どんなに悍ましい呪物でも美しく輝いて見える。