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第16話 水の底から

 翌日、ネットニュースを一通り漁ってみたが、大願寺付近での行方不明事件はなかった。『八重山』関連で探しても、結果は同じだった。


 やはりミズキが出会った若い男は、友人たちに揶揄われていただけだろう。後に、何事もなく友人たちと合流できたのだろう。

 もしかしたら、少し酒が入っていたのかもしれない。

 助けを求める風を装って、揶揄われただけかもしれない。軽く酔っているくらいなら、素面しらふかどうか、ミズキに判別はできない。

 深夜の酔客のために廃寺の探索までしたのかと思うと、どっと気が抜けた。しかも頼まれてもいないのに夏の山に分け入って、ひどく労力を使ったものだ。

 やはり気まぐれに深夜の営業なんてするものじゃない。当分は、ミズキに夜間営業をやめさせようと顔を上げた瞬間、「水死体」というキーワードが視界を掠めた。水滴を落とす呪いの遺髪のこともあり、目が吸い寄せられた。


【川面に男性の水死体 作業員が発見】


 七月八日午前十時ごろ、千葉県花取市西田六丁目の小野川河川内で、二十代~三十代ぐらいの男性が浮いているのを、水管橋の耐震工事をしていた男性作業員が発見、花取署に通報した。男性はその場で死亡が確認された。

 男性の身元は、身に着けていたものから判明。死亡したのは千葉県舟橋市に住む大学生で、志村直人しむらなおとさん(二十一)と確認された。

 河川右岸に引っ掛かり、俯せに浮いていた状態。外傷が激しく、警察は現在死因を調べている。


 このことか――。

 持田の話を聞いて廃寺に肝試しをしにきた若者だと思い込んでしまったが、寺ではなく、川に行っていたようだ。酒が入ったまま、川遊びでもしていたのか。溺れた友人を、助けてほしいと訴えていたのだろう。


(助からなかったか……)

 こんな所まで来ず、すぐに救急車を呼べばよかったものを。川に流された友人の姿が見えなくなり、気が動転してしまったのかもしれない。

 不幸な若者の顛末を想い、胸が痛んだ。




 また同じようなケースがあったら大変だ。

 ミズキだけで適切な対応ができるとは思えない。中途半端に関わり、警察の取り調べでも受けようものなら面倒なことになりかねない。

 やはり、当面は深夜の一人営業をやめてもらおう。橘がいる時でないと、何かが起こった時に対応できない。


 今夜もまだ店は開けっ放しだ。店じまいをさせようと下に降りた瞬間、店の外から切羽詰まった声が聞こえてきた。

「助けて!」

 ミズキの声ではなかった。橘は慌てて煙草屋を覗き込んだ。

「助けて! お願い、一緒に来てほしいんだ!」

 カウンターの外で、若い青年が必至に訴えている。

 まだあどけなさが残る、丸顔の青年だ。外は雨だと言うのに傘もささず、全身濡れそぼっている。

 ミズキが、「ほら、こいつだよ」と言わんばかりに橘を振り返っている。

「助けてって、どうしたんだ」

 ミズキに代わってカウンターに進み出ると、青年がホッとしたように橘の顔を見上げた。

「友達がいなくなったんだ! お願い、一緒に探して!」


 どういうことだ? 

 行方不明の一件は、川で水死体が発見されたので終結したのではないのか。まだ水死体が上がったことを知らない……?


「一昨日きた奴」

 ミズキが顎をしゃくって青年を指した。

「一昨日の? まだ友人を探しているのか……?」

 まだ、友人が見つからない? 別件か?


「ねえ! お願いだよ!」

 小声で会話する橘たちに痺れを切らし、青年が地団駄を踏む。

「早くしないとさとしが、聡がやばい!」

 昼間見たニュースの水死体とは違う名が出て、即座に別件だと悟る。橘は素早く店を出て、青年の姿を探した。居なくなることもなく、青年は足踏みをして待ち構えていた。早く早くと手招いている。いつの間にか、ミズキもぴったりと橘の背後にくっついて来ていた。


「聡ってだれ」

 ミズキが、橘の肩越しに尋ねた。

 聞こえているはずなのに、青年は問いには答えず、めちゃくちゃな順序で経緯を喋る。

「俺たち、俺たち……、心霊スポットに行って、はぐれちゃったんだ」

 喋りながらも気が急いているようで、青年は来た道を何度も振り返る。

「まだ見つからないんだ! 一緒に探してほしい! こっち!」

 怠そうに立つミズキの手首を掴み、青年は勢いよく走り出した。線の細いミズキは、勢いに負けて、散歩を嫌がる犬のように引きずられた。


 降りしきる雨の中、三人の走る足音がばしゃばしゃと不揃いに響く。水たまりを踏むのも、服が濡れるのもものともせず、青年は全速力で走り続ける。

 手をかざして雨粒をよけながら、橘は青年に問いかけた。

「心霊スポットって、大願寺か?」

「そう! 聡が行ってみようぜって」

 走りながら喋るためか、青年の声が震え出した。泣いているのかもしれない。ミズキは引き摺られるようにして並走しながら、黙って話を聞いていた。

「俺、幽霊とかオバケとかほんとに苦手で、車から降りないって言ったんだ。車で待ってるから、どうしても行きたいなら一人で行けって。そう言えば、聡も諦めてくれると思ったんだ。けど、聡は一人でも行くって……」

 青年の声がますます震える。

「俺も意地になって、一人で行こうとする聡を止めようともしなかった。馬鹿だった。なんであの時一人で行かせたりしたんだろう」

 青年の顔が、くしゃりと歪む。横を走るミズキは、その様子を不思議そうに眺めている。

「待っても待っても、聡は帰って来なくて……。俺、心配になって探しに行ったんだ。死ぬほど怖かったよ。二人で行くのでさえ嫌だったのに、一人で廃寺の境内を探さなくちゃいけないんだから」


 心霊スポットとして有名になった大願寺だが、その実はなんの曰くもないただの廃寺だ。朽ちた建物や、雑草の絡んだ様が不気味に見えるだけで、特に心霊現象も起きない。それでも、深夜のひと気のない廃寺など、怖がりの青年にとってはとてつもない恐怖だっただろう。

「でも、聡がどこにもいないんだ」

 ついに青年の目から涙が溢れる。すでに顔は雨で濡れそぼっており、涙は雨粒と混ざって消えた。

「探しても、どこにもいないんだ。初めは、どこかに隠れていて俺を驚かそうとしているんだと思った。けど本当に、どこを探してもいないんだ。先に帰ったのかと思ったけど、聡の車が残っている。車を置いて帰るわけがない」

 泣きながらも、青年の体力は無尽蔵で、走るスピードはまったく衰えない。

「境内はかなり鬱蒼としてたから、草に覆われた穴にでも落ちたのかもとか、まさかと思うけど、野犬に襲われたのかとか、周辺を探しまくった。あいつ、犬が苦手なんだよ」

 でもどこにもいない、と青年は乱暴に目元を拭った。

「意地を張っていないで、すぐに後を追いかければよかった。俺のいないところで、……一人っきりで、助けを求めているのかもしれないと思うと……」

 取返しのつかないことをしてしまった、と青年は嗚咽を漏らした。

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