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第14話 水の底から

 しばらくすると、ミズキはよろよろと立ち上がり、小窓に設けられたカウンターに着いた。覇気のない接客をするわりに、それなりに店番の自覚を持っているようで見ていて面白い。


 カウンターの丸椅子に腰かけると、気だるげに頬杖をついたミズキが、ぽつりと呟いた。

「昨日、若い男がきた」

 橘のほうを見てもおらず、完全な独り言だ。だが、言い終わると無言になり、橘の反応を待っていた。これはミズキなりの報告なのだと、橘は先を促した。

「若い男? どれくらい? 中国人の客くらいか?」

 答えやすいよう、顏なじみの客の例を挙げてやる。ミズキは束の間視線を彷徨わせると、小さくかぶりを振った。

「あれよりは若い」

「僕、くらいでしょうか」

 持田が陽気に目を見開いて、自分の顔を指す。

 そんな持田を振り返ることなく、ミズキは昨晩の出来事を思い出すように、通りに目を向けている。

 ミズキがいくら無視をしようと、ぞんざいに扱おうと、持田はまったくめげる様子がない。反応がないのを楽しむようにミズキに話しかけ、いつも同じ調子で橘たちに接してくる。はじめは橘もミズキも持田を煙たがったが、持田の一貫した姿勢と、打たれ強さに負け、最近では持田の好きなようにさせている。

「持田よりずっと若い」

「へえ。煙草を買って行ったのか?」

 そろそろミズキにも年齢確認を教えないとまずいかもしれない。未成年に煙草を売ってしまったらことだ。


 違う、とミズキが再びかぶりを振る。

「『助けて』って言ってた。『一緒に友達を探してくれ』って」

 不穏な返答に、思考が引き戻される。ミズキは、相変わらず何の感情も宿さない瞳でこちらを見ている。

「助けてってどうしたんだ? 探すって、どこを?」

 勢い込んで訊くと、ミズキは顎を引いて黙り込んだ。続きを話す様子はない。ミズキは面倒な性分で、相手が興奮すれば引き、恐怖したり慄いたりしていれば、喜んで近づいてゆく。


 橘は一つ咳払いをして呼吸を落ち着けた。

「そいつはどこから来た?」

 ミズキは、表の通りの西側を指さし「向こうの方から」と答えた。

「一緒に探せって、誰を?」

「さあ、知らない。いつの間にかいなくなってた」

「……いなくなってた?」


 助けを求めたくせに、姿を消した……?

 ミズキの反応があまりにも鈍く、他所をあたったか。

 あるいは、他人の手助けを諦め、一人で戻ったか。

 橘は窓から顔を出して、今はもういるはずもない少年を探すように通りの左右を見た。明け方まで降り続いた雨で、道路のアスファルトがまだ乾いておらず、濡れて黒々と光っていた。


 ここらはちょうど民家の途絶えたエリアで、夜ともなるとかなり人通りが少ない。

 人通りどころか街灯も少ないので、関東近郊とは思えない暗さになる。気まぐれで深夜営業していた煙草屋の灯りが目に留まり、無我夢中で駆け込んだのだろう。

「助けてって、なんでしょう。ちょっと気になりますね」

 まだ居座る持田が、さりげなく会話に混じって来る。ミズキの顔を覗き込み、積極的に質問を重ねる。

「その子は、怪我とかしてなかったんですか?」

 ミズキが黙って首を横に振り、思い出したように顔を上げた。

八重山やえやまから来たって言ってたな。そういえば」

 八重山は、ここから西へ二キロほどのところにある小さな山だ。  

「ああ、きっと八重山の廃寺に行っていたんじゃないかな?」

 持田が、何か思い付いたように口にする。

「八重山の廃寺って、最近有名になっているんですよ。幽霊が出るとかで。県外からも若者が探索に来るらしいです」

「八重山の廃寺? もしかして大願寺だいがんじのことか」

 行ったこともないくせに、たぶんそれですと、持田が大きく頷く。


 大願寺は、数年前から管理する者がいなくなり廃寺となっている。後継者がないままに住職が亡くなり、その後も打ち捨てられたままだ。寺はいよいよ荒廃し、植物は伸び、建物は崩れ、すっかり廃墟と化していた。夜になると、山に住む野生動物が下りてきて聞きなれない鳴き声を上げるものだから、それを心霊現象だと勘違いされているのだろう。


「流行ってんすよ、大願寺」

 世間に疎い橘たちに向かって、持田は教師のように説明した。

「YouTubeの人気オカルト系チャンネルで取り上げられたんです。本当に出る心霊スポット、とか言って。本当かどうかは知りませんけど、あの寺で女の悲鳴が聞こえただとか、肝試しに行って帰ってこれなくなったとか。それで真似して凸しにくる若者が増えているみたいです」

「トツシニ……? なに?」

「実際に訪れてみるってことです」

「だとしても、帰ってこれなくなるほど広くないだろう。それに女の悲鳴に聞こえたのはたぶん猫かキョンの泣き声だ」

「ロマンがないなぁ」

 持田が眉を下げて笑う。


 大方、肝試しに廃寺へ行って、仲間とはぐれたのだろう。もしくは仲間外れにされ、置いてけぼりでも食らったか。帰りの手段を求めて、灯りの点いているここへ駆け込んだのかもしれない。ミズキに金でも借りたかったのか、タクシーでも呼んでほしかったのか……なんにしろ、見つけたのがミズキだったのが、青年の運の尽きだった。

 しかし、若いとは言え、いい歳をした青年が友達を探すのを手伝ってほしいなんて言うだろうか。自力でも帰れそうなものだが。


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