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第12話 逢魔時の煙草屋

「助けてやるって言ったり、助けてくれって言ったり。言っていることがめちゃくちゃだ」

 店じまいをした煙草屋の店内で、ミズキがハタキを振りながら盛大に溜め息を吐いた。

「『わたしの顔をじっと見てただろう』なんて言うんだ。誰がお前の顔なんか見るか」

 口をへの字に曲げ、心底嫌そうに吐き捨てる。ハタキを振る手が大振りになり、棚に陳列された壺に芯がカンカンと当たる。

「おいおい、もう少し優しく! 呪物に傷がつく」

 橘祐仁たちばなゆうじは、荒ぶるミズキの手からハタキを取り上げた。壺を割ってしまいでもしたら、何が起こるかわからない。何せ、とある一家を七代にわたって呪い殺してきた壺だ。


 ハタキを奪われたミズキは、棚の前の床にどっかりと胡坐を掻いて大仰に溜息を吐いた。

「どうしてここには、ああいう変な輩ばっかり来るんだ。やっぱり呪物こいつらのせいか」


 棚には、壷や木札、仏像や日本人形など、多種多様な品物が折り重なるように並べられている。橘の部屋に置ききれなくなった呪物じゅぶつだ。どれも、赤褐色のシミがついていたり、一部欠損していたりと、一種独特な雰囲気を醸し出している。


 橘は、これら呪物を研究してコラムを書いたり、売買したり、イベントに貸し出したりするのを生業としていた。自ら名乗ったわけではないが、いつからか「呪物蒐集家」と呼ばれるようになった。


 手近にある日本人形を取り、ガーゼで顔を拭ってやる。顔の中央に大きな釘が深々と打ち込まれているので、引っ掛からないように慎重に拭かなければならない。顔面の釘にとどまらず、両目はくり抜かれ、両手両足はもぎ取られていた。これは呪いのしろとして使用されていた人形だ。

 こうして毎日丁寧に手入れをしないと、機嫌を損ねる呪物も多い。


「まあ、呪物のせいもあるが……お前のせいでもある」

 はあ? とミズキが盛大に顔を顰める。

「おれのせい? なんでだよ」

「お前が、アンデッドだから」


 ミズキは、このアパートの大家・志賀の一人息子だ。二十年前に交通事故で死んでいる。

 息子の死を嘆いた父親が、橘の持っていた呪物「反魂の秘薬」を使って強制的に蘇らせた。死人の蘇り、つまりアンデッドだ。


 妻子を同時に失った大家は、一時茫然自失の日々を過ごしたようだが、紆余曲折を経て、オカルトの世界に出会う。その世界には、死人を生き返らせる術もあるらしい――。

 何年、何十年もかけて、大家は死人の蘇りについて研究していた。

 そんな折、経営するアパートの入居者に、呪物蒐集家だという男が現れる。


『私、骨董品や、まあこうしたちょっと曰くのある物を研究する仕事をしていまして……。呪物コレクターと巷では呼ばれているんですが……。呪物って、聞いたことありますか』


 どんな巡り合わせだろうと、大家は心震えただろう。 

 探し求めた呪物を持つ男が、向こうからやってきてくれたのだから。

 この呪物蒐集家との出会いは、息子を蘇らせろとの神の啓示だ――大家はそう信じ込んだに違いない。


 そうして大家は、橘の部屋から「反魂の秘薬」を盗み出した。腐心して手に入れた少年の遺体の形代かたしろを準備し、反魂の術を実行した――――


「アンデッドの匂いを嗅ぎつけて、幽霊や怨霊がここに来るんだ」

 奇妙な客が途切れないのは、呪物に引き寄せられてくるのが半分、ミズキの死の匂いに誘われてくるのが半分。あの中年男がここに辿り着いたのは、背負った女の霊が自分の存在を伝えたくてここに引き寄せたのだろう。

 橘が言うと、ミズキは心外だというように鼻から息を吐いた。

「おれのせいじゃない。きっと呪物のせいだ」


 大家は、ミズキを蘇らせたのちに即死した。心不全ということになっているが、状況からしてミズキの蘇りの代償としか思えない。――呪術は代償を要する。

 一緒に暮らしたくて蘇らせたのだろうに。自分が死んでしまっては元も子もない……。強引に生き返らせられ、一人この世に残ってしまったミズキを放っておくことができなかった。煙草屋に一人佇むミズキを発見してから、ずるずると、橘が面倒を見る形でここまできてしまった。


 ミズキは、小さく鼻を鳴らすと、橘に背を向け呪物の手入れに戻った。

「それにしても、何しにきたんだ、あの女の霊」

 怨霊を背負っていると気づいた男は、半狂乱になって煙草屋から走り去った。数時間後、警察に保護され命は助かったようだが、正気に戻ったかどうかは定かでない。

「あの男に恨みを伝えたかったんだよ」

「自分で言えよ」

「ああいう自己愛の強い人間は鈍感だからな。霊体がいくら呪っても、通じなかったんだろう。自分の存在をあの男に知らしめてほしくて、ここまであのおやじを引っ張ってきたんだ」

 ミズキは小さく息を吐くと、急に表情を変え、口角を吊り上げた。

「――どうせなら、女の霊があのおやじを呪い殺すところまで見届ければよかった」

「……」

 蘇る際に不具合でもあったのか、ミズキは生きている頃の記憶を完全に失っていた。

 それどころか、幼い子供にすら備わっているであろう倫理観や善悪の区別も、まったく持ち合わせてなかった。本能のままに生き、感じたままのことを口にする。それでいて誰もが目を奪われる美しい容貌をしているものだから、たちが悪かった。うっかり見惚れていると、地獄に突き落とされかねない。

「酷いな、あの男は本気でおまえに助けを求めていたのに」

 軽く窘めると、ミズキは小鼻に小皺を寄せた。

「知るか」

「俺たちのことを、霊媒師かなにかだと思っていたみたいだ。救世主だと思っただろうに」

「……霊媒師? おれが?」

 ミズキは大きく目を見開いた後、ひひ、と肩を竦めて笑った。美しい見た目に反して、地獄の餓鬼が悪だくみをしているような醜悪な笑い方だった。

「馬鹿なやつ。どこまで自分に都合がいいんだ」


 あらかた掃除を終えると、ミズキはお釣り保管用のケースから小銭をざらざらとぶちまけた。

「金の数え方、もう一度教えて」

 外見は高校生くらいに見えるが、ミズキの中身は死んだ十歳の時のままだ。蘇った今も知能レベルは小学生のままで、金の勘定、他者とのコミュニケーション、日常生活のあれこれが心許こころもとない。橘は何かにつけ、細々とした知識や知恵を教えていた。覚えは早い。

「ゆっくりでいいさ。こんなところに客なんてほとんど来ない」

「来るだろ、変な奴らが」

 その、変な奴らのために金勘定を真面目に学ぼうとしているのかと思うと、少し可笑しくなった。


 ミズキと二人、いつまでこの生活が続くのだろう。ミズキはいつまで生きるのだろう。まさか、半永久的に生きるのか。……それでは先に自分がくたばってしまう。自分の死はそう先のことじゃない。


 橘は、胸に提げた包みを服の上からそっと押さえた。――いつまでここにいられるだろう。ミズキがこの世から消えるのが先か、……橘自身が死ぬのが先か。

 ミズキの仄白い頬を見詰める。

 真剣に小銭を見詰める横顔からは、なんの感情も読み取れなかった。


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