「――はい、なんでしょう」
青年は、前回と同様、ぞんざいな態度でカウンターに出て来た。わたしの顔を見ても特段変わった様子はなく、まるで初対面のように接してきた。……わたしを、覚えていないのだろうか? それとも、いつ誰に対してもこのような対応なのだろうか。しかしこころなしか、前よりも言葉に親しみが込められているようにも感じる。
わたしは再び、例の煙草屋を訪れていた。
今日はA社とのアポイントはなかったのだが、なかば強引に挨拶をした帰りだ。先日と同様、時間は夕刻。辺りは薄闇に染まり始めている。
相変わらず薄暗い照明の中、青年の顔だけが白磁器のように白く浮かび上がっている。
「マイセン一つ」
わたしは、青年の白い頬に見惚れながら銘柄を伝えた。
「――はい」
今日はさほど迷うことなく、青年は右の棚に視線を向けた。白い指先でひと箱つまみ、窓口から差し出してくる。
先週わたしが教えたおかげもあり、マイセンは覚えたようだ。だいぶ店番にも慣れてきたのだろう。これから少しずつ、他の銘柄も覚えていくに違いない。
「……」
しかし、商品の受け渡しはまだ無作法だった。値段も告げず、ただわたしの顔をじっと見る。
青年の兄が心配しているように、まだ商品の金額までは気が回らないのかもしれない。わたしは新入社員を前にした心地になり、試すような気持ちで千円札を差し出した。
「……」
案の定、青年は無言だ。わたしは、予想した通りの反応にわずかに興奮し、青年の目の前に勢いよく手のひらを突き出した。
「お釣りは? お釣りを返してくれなくちゃ」
青年は、きょとんとわたしの顔を見返した。
「……」
ぼんやりとした様子を見ていると、わたしが教えてやらねば、と使命感が湧いてくる。
この寂れた煙草屋に、客などあまり来ないに違いない。特にわたしのような、新人教育の経験のある、公平で、かつ世話好きな客は。良い機会だ、わたしがこの青年に接客の基本を教えてやろう。
「お釣りだよ」
なお一層手を突き出すと、青年は怯えるように軽く身体を引いた。こんな表情もできるのかと微かに興奮が沸き上がる。
「まさか釣りを返さないつもりかい?」
さらにカウンターに近付くと、突然青年の肩越しに、ぬっと黒い袖が伸びてきた。
「四百二十円のお返しです」
ひっ、と情けない悲鳴が口から洩れた。
あの、兄だった。青年の背後から、まるで二人羽織でもするように腕を伸ばしてきた。
いつからいたのだ……。青年の背後に? この、一目で全貌を見渡せそうな狭い店内に、どうやって息を潜めていたのだ。
「お待たせしました。四百二十円のお返しです」
兄に真っすぐに見据えられ、震える手で小銭を受け取った。
「あ、ああ……」
そのままポケットにざらざらと流し込む。後ろめたい気持ちになり、兄の目を見られない。
兄の視線を避けて俯くと、初めて煙草屋の店内の様子が見えた。煤けた壁一面に飾り棚が設置されている。一番下の段には、白いヘルメットのようなものが飾られていた。
店内は暗く、はっきりとは見えない。
「――いつもありがとうございます」
兄が半身をずらし、わたしの視線を遮った。はっと顔を上げると、兄の漆黒の瞳と目が合った。
「この前もお会いしましたね」
わたしの一挙手一投足を、真っ黒い瞳が追っている。居ても立ってもいられなくなり、わたしは、曖昧に頷くとそそくさと店を離れた。
振り返らず、辻まで早足で歩く。角を曲がって煙草屋が見えなくなると、ようやく肩から力が抜けた。
あれは何だ……? 髑髏? 頭蓋骨? 理科の教師とか……。趣味で飾っているのだとしたら、随分と悪趣味だ。 ――――まさか、本物では?
ぞっと怖気が這い上がってきて、後ろを振り返らずに歩いた。もうここに来るべきでない。気味が悪すぎる。――しかし。
あの二人、本当に兄弟だろうか? 青年は、あの不気味な大男に監禁されているのではないだろうか? 常にどこかから監視されていて、余計なことを喋らないように洗脳されているのではないか。だからわたしと接する時も、あんな様子なのでは。
彼が心配だ。タイミングを見計らい、青年が一人になったタイミングで、手を差し伸べてやろう。
ポケットの中のマイセンのソフトケースを、じんわりと握り締めた。