なかなか下りてこないコラムのネタに頭を悩ませていると、下から、どんっ! と突き上げてくるような衝撃を感じた。
時刻は午前零時。外を通行する車両の音もすっかり途切れ、静かな夜だ。
――地震?
スマホを起動したが、地震速報は何も出ていなかった。窓を開けて下の通りを見てみたが、外で事故が起きた様子もない。何事かと、橘は急いでパソコンデスクから立ち上がった。
(壁に穴でも開いてないだろうな)
築四十年の木造の建物だ。大きな地震でも来たら倒壊しそうな頼りない外観をしている。それに、階下に暮らす高齢の大家のことが心配だった。
(今の揺れ、大丈夫だったか? ――まさか、大家がぶっ倒れた音じゃないだろうな)
一段飛ばしに階段を駆け下り、大家の部屋の扉を叩く。反応はない。
「志賀さん、大丈夫ですか? 今の音はなんです?」
扉を開け、無人の居間を横切る。仏壇の前を過ぎ奥の襖に手をかけると、中からかすかに物音が聞こえてきた。
「大丈夫ですか!」
迷っている暇はなかった。橘は勢いよく襖を開け放った。
「志賀さん!」
悪い予感が当たった。部屋で大家が倒れていた。
中央には布団が敷かれ、掛け布団にしがみ付くような恰好で倒れている。寝ようとしていたところに地震がきて、転倒してしまったのか。慌ててそばに跪いてから、強烈な違和感を感じて顔を上げた。
――部屋の奥に、もう一人、人間がいた。
部屋の隅で十代くらいの少年が膝を抱えていた。暗がりの中、白い着物がぼんやりと浮かび上がっている。顔が、着物と同じくらい真っ白だ。
「誰だお前、どこから入ってきた?」
少年は答えない。
部屋の隅を背に、これ以上ないほどに身体を縮こめている。
中途半端に伸びた髪の隙間から、ガラス玉のような大きな瞳が覗いている。橘の顔をじっと見るばかりで、口を開こうともしない。もしかして少女かとも思ったが、着物から突き出た手足の骨が大きく男っぽい。
「お前、……大家に、何をした」
少年は否定も肯定もしないどころか、ぴくりとも動かない。反応のない少年にかまっていられず、橘は大家のそばに跪いた。
軽く大家の身体をゆするが反応がない。顔を覗き込めば目を見開いたまま布団に突っ伏していて、息絶えているのが一目瞭然だった。
嫌な予感がして拾い上げた。
「――反魂の、」
蓋が外れていて、中身が尽きている。
まさか、……使ったのか?
大家の顔を覗き込み、もう一度少年を振り返る。
浴衣のような簡素な着物、……それに白い
――まさか。
じり、と少年ににじり寄る。
少年の身に着けているものは、
橘は、さらに少年に近付いた。反対に、少年はさらに身体を縮こめる。
大家の息子は、もう二十年も前に死んでいる。もちろん、亡骸はとっくの昔に火葬されているだろう。
この少年は、――この少年の身体は、大家の息子ではない。
反魂の秘薬を試すため、どこかからこの少年を連れてきた――いや、盗んできたのだ。この、少年の遺体を。そうして反魂の秘薬を使い、この遺体に息子の魂を込めたのだ。秘薬は本物だった。遺体は息を吹き返し、こうして橘の前で動いている。
「お前は、大家の息子の、……
少年が初めて顔を上げた。ゆっくりと口を開く。固唾をのんで反応を待っていると、少年は声にならない、ひゅう、という喘鳴を漏らした。
秘薬は、本物だった。
大家は、反魂の術を成功させたのだ。