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第2話 呪物蒐集家 橘祐仁

 それから大家は、宣言していた通り、たびたび橘の部屋を訪れるようになった。


 たびたびと言っても週に一度ほど、橘が外で夕食を済ませて帰ってきたタイミングでやってきた。ほんの数分の滞在だったので負担に感じることはなかった。上着を片付ける少しの間、食後の一服をするほんの二、三分間、外から帰ってきて部屋の空気を入れ替える数分間、少しの間、呪物を見ながら世間話をするくらいで、迷惑だと感じる間もなかった。


 その晩も、橘が窓を開けて一服をしている間、大家は呪物棚をしげしげと眺めていた。

「この木箱の中には何が入っているの?」

 触れはせず、小さな木箱を指さして、大家が言った。

「どうぞ、開けてみてください。人魚のミイラの一部です」

 マッチ箱大の小さな木箱を、大家が慎重な手つきで開ける。中から、綿にくるまれた干からびた小枝のようなものが出てくる。

「これが、人魚の一部……?」

 目を丸くしている大家に向かって、橘は苦笑しながら答えた。

「どうでしょうね。おそらく何か小動物の骨か、鳥の足だと思うんですが」

 大家が驚いた顔で橘を振り返る。

「偽物ってこと?」

「偽物……、とは言い切れないんです」


 呪物の大半は、なんてことはない、ただの『物』だ。古びていたり、汚れていたり、人形や仏像などは見た目の不気味さに噂が独り歩きしてしまった物も多い。それでも、周囲の人間が噂を信じてその「物」を恐れれば、それは立派な呪物となる。 

 人々が何かを信じ、恐れ、敬い、「物」にストーリーが宿れば、それは十分に呪物と言える。

 子の代わりに災いを請け負うよう準備された雛人形ひなにんぎょうも、充分に呪物と言えるだろう。


 橘の見解を話すと、じゃあ、と大家は呪物棚を見渡した。

「橘くんが本物だと思う呪物はどれ? 本当に怪奇現象を起こしただとか、呪いの効果があるとか、そういった物」

「うーん、そうですね」

 橘は棚の最上段に乗る異国風の仮面を手に取る。

「これはタイの若くして亡くなった女性の遺灰を練り込んで作った仮面で、家に置いておくと災いを遠ざけると言われています。効果のほどはわかりませんが、人間の遺灰が練り込まれているのは事実です。そういった意味では本物と言えます」

 大家の喉ぼとけが、大きく上下する。

「それから、これ。これは俺のコラムの読者が送ってきてくれた物なんですが、実家の築七十年の蔵に眠っていたそうです。市松人形なんですけどね、これ、見てみてください。口の中に歯がちゃんとあるんですよ。この歯、調べてみたら本物の人間の歯だったんです。どうしてそこまで歯にこだわったんでしょうね。気味が悪いから、俺のところで預かってくれって」

 大家が人形の口の中を恐る恐る覗き、本当だ、と小さく呟く。

「本当だ、歯があるね」


 オカルト好きと公言しただけあり、大家の呪物に対する態度は真摯で、最初の約束通り、勝手に手を触れたり、動かしたりはしなかった。――この時点では。


「例えば、死者を蘇らせたとか、そんな物は……」

「ありますよ」

 橘は棚の最上段に置かれた小さな包みに手を伸ばした。何重にも巻かれた麻布を広げて中の小瓶を見せると、大家は、瞬きも忘れて見入った。

「これは旅の途中の西行さいぎょうが、寂しさを紛らわすために人造人間を作った際に使用した反魂はんごん秘薬ひやくです」

「人造人間……」

 大家が、掠れた声でつぶやいた。

 橘は小瓶を小さく振ってみせた。ちゃんと中身が入っており、ちゃぷ、と液体の揺れる音がする。

「西行が旅の途中で人造人間を作った逸話はご存知ですか?」

「以前に少しだけ、聞いたことがある……」

「人骨を繋ぎ合わせて秘薬をかけて術を施す。すると人骨がひとりでに動き出したそうです。いわゆる、アンデッドです。ですが「人」というには拙過つたなすぎ、意思の疎通もままならない。西行はアンデッドの出来に嫌気が差し、山に放っていったそうです」

「そ、それで、そのアンデッドは……」

「さあ。しばらくの間はうろうろ動き回り、そのまま朽ちたとか、西行の死後も山の中で彷徨い続けているとか言われていますが」

「人骨が一人でに……。それって、死んだ者が生き返ったってことだよね……?」

「生き返った……、うーん、どうでしょう。いちおう書物にはそう書かれていますが」


 橘は苦笑しながら手の中の小瓶を見た。真偽のほどは定かでない。人が蘇るなどあり得ない。けれど、この秘薬を売ってくれた古物商は、半端な覚悟で使用してはいけないと真剣な顔で橘に説明した。はなから使用する気などなかったので、軽い気持ちで頷いたが。

「アンデッドが本当に存在したかどうかは別として、これは、西行に秘術を教えた、京都の大橋家の本物の秘薬と言われています」

「本物……」

「西行は術の手順を間違えたそうです。正しく施せば、もっと精工なアンデッドができていたとか」

「……」


 あの時の大家の瞳の輝きに、異常だと気づくべきだった。

 反魂の秘薬を見せたあの晩以来、大家が部屋を訪ねてくることはなかった。もう十分に呪物を堪能したのだと思っていた。


 けれど、訪れてこなかったのではなかった。

 橘の不在時に、忍び込んでいた。


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