これは、おじいちゃんから聞いた、僕たちの先祖の人のお話。
今から三百年ほど前の、日本がまだほんわかとしていた時代の出来事です。
「はぁ~、よく寝た。って、あれ? まだ朝じゃないのかい? おかしいね、いつも通り起きたと思ったんだけど……」
「すんません、大家さん。仙吉です。もう死んじゃいました?」
「生きてるよ。今起きたところだよ」
「すんません、こんな時分に。ちょっとご相談がありまして」
「何だい、相談ってのは?」
「実は昨夜、うちのたー坊にせがまれて、町外れの河原まで蛍を見に行ったんですけどね」
「そりゃあいいじゃねえか。で、蛍は見れたのかい?」
「へい、そりゃあもう。呼んでもいないのに大勢現れやがって。困ったのなんのって」
「なんて言い草してんだい。でも、たー坊は喜んだろう?」
「そりゃあもう、たいそうなはしゃぎようで。あまりにも喜びすぎて、オシッコちびっちまったぐらいで」
「しょうがねえな。まあでも、子供なんだから許してやんな」
「いや、オシッコちびっちまったのは、あっしの方でして」
「お前さんかい! ったく、情けないねえ」
「で、その蛍を見た帰りのことなんですけどね。たー坊が『疲れた、もう歩けない』って言うんで、おぶってやったんですよ。すると、どこからか『坊や、たくさん蛍が見られて良かったね』って、女の人の声が聞こえてきたんですよ」
「誰だい、話しかけてきたのは?」
「それがなんと――お月さんなんですよ」
「お月さん?」
「へい」
「そんなことあるわけねえだろう。バカ言っちゃいけないよ、お前さん」
「それが本当なんですよ。でも、子供ってのは素直ですねえ。『蛍きれいだったぁ』って、呑気に答えてるんですから」
「たいしたタマだねえ、たー坊は」
「あっしは驚いちまって、声も出なかったんですけど。たー坊は普通に会話を続けるんですよ」
『お月さんは、いつもお空で何してるの?』
『みんなを見守っているんだよ』
『どうしてそんなに光ってるの?』
『みんなが夜道で転ばないためにだよ』
『どうしてお月さんは形が変わっていくの?』
『みんなを飽きさせないためだよ。今日はどんな形なんだろうって、夜空を見上げるのが楽しみになるだろう』
『お月さんは、どうしてお月さんになろうと思ったの?』
『私は最初、宇宙に浮かぶちっぽけな石ころだったんだけどね。みんなを照らす存在になりたいと思ったから、お月さんになったんだよ』
『金ピカだから、とっても助かってるよ』
『それは良かった』
「万事こんな調子なんですよ」
「たー坊も素直だけど、お月さんも優しいねえ。なんだか泣けてきたよ」
「ほんとにそうでさあ。でも、そのうち、あっしもお月さんに聞いてみたくなっちまいましてね」
『ところで、お月さん。あんた、太陽とはお会いにならないようだけど、何か因縁でもあるのかい? 昔、恋仲だったとか? すげなく振られちまったとか? え、どうなんだい?』
「そんな野暮なこと聞いたのかい」
「つい悪乗りしちまって。そしたらお月さん、顔色変えてムスッとしちゃって」
「図星だったのかい!」
「すっかり機嫌悪くしちまって、睨みつけてくるわ、舌打ちしてくるわ、タン吐いてくるわで、大変で大変で」
「意外にガラ悪いんだな、お月さんってのは」
「おいらも困っちまって。なんとか機嫌直してもらおうと思って、
『お月さんは、いつも見ても可愛いですね。まさにみんなの人気者! 世の男も女もみんな魅了しちまう! よっ、この小悪魔! ぶりっ子! かまとと! あざと可愛い!』
なんてことを言っちまって」
「そんなこと言ったら余計に怒っちまうだろう」
「そうなんですよ。案の定、お月さんは唇をわなわなさせて怒りに震え始めちゃって」
「おいおい、どうすんだよ」
「あっしはますます気が動転しちまって、
『そのあざとさが、太陽には気に入らなかったのかもしれねっすねえ、ハハハ!』
って笑っちゃったんですよ」
「バカだねえ、お前さんは」
「そしたら、お月さんが、わなわなと怒りに震えながら――」
『そうさ、太陽に振られたわよ! だから何? 文句あんの! 今まで10億万回以上告白して、20億万回以上振られてきたわよ。計算が合わないのは、告白する前に振られたことが10億万回以上あるってことよ! だから太陽は、私が沈んでからじゃないと顔を出さないのよ! ついでに言っとくけど、グレて夜遊びばっかりしてたから、お月さんにされちまったのさ! これが私の真実だよ!』
「衝撃の事実だねえ!」
「それだけでは収まらなくて、お月さん、怒りで顔を真っ赤にさせながら、こっちに迫ってきたんですよ! こりゃあもう、たー坊になんとかしてもらうしかねえって思ったんすけど、肝心のたー坊はぐーすか寝ちまってて。で、今に至るというわけです」
「ってことは何かい? いまだに夜が明けないのは、お月さんが出張ってるからなのかい?」
「そうなんでさぁ。
『もう太陽の野郎には出番を回さない! 私が出続けてやる!』
って、お月さん息巻いちゃって。どうしましょう、大家さん?」
「どうしましょうって言われても、困ったねえ。今、空はどんな状態……うわっ、お月さん、でかっ! しかもツノまで生えて、激おこ状態じゃねえかよ! あっ、汚ね、タン吐きやがった!」
「大家さん、何とかしてくださいよぉ」
「何とかして下さいって言われても……あのぉ、お月さん。先ほどは仙吉の野郎が失礼なことを言っちまったみたいで、本当にすいませんでした。どうか許してやっておくんなさい。あいつも悪気があったわけじゃねえんですよ。お月さんと会話できたのが嬉しくて、ついハメを外しちまっただけなんですよ。だから、ね、ここはひとつ穏便に。ご機嫌を直していただいて」
「そうですよ。そんなに怒ってばかりいると、また太陽に振られちまいますよ」
「バカッ! 余計なこと言うんじゃねえよ、お前は! ああっ、お月さん、ますますでっかくなってきたじゃねえかよ!」
「どうしましょう、大家さん!」
「このままだとぶつかっちまうよ!」
「おっ父、どうしたの?」
「あっ、たー坊! いいところに来てくれた。今すぐお月さんをなだめてくれ!」
「お月さんを? あ、お月さん、真っ赤だね。赤いお月さんもキレイだけど、おいら、いつもの金ピカのお月さんの方が好きだよ」
『……そうなのかい?』
「うん。だって金ピカのお月さんが一番可愛いもん」
『金ピカが一番可愛い……。ありがとう、坊や。私、自分を見失っていたよ。みなさんもご迷惑をおかけして、すみませんでした』
「あっ、お月さんが元の色に、元の大きさに戻っていくよ!」
「良かったぁ、本当に良かったぁ! でかしたぞ、たー坊!」
「今回は、子供の純真さに救われたねえ。気を付けておくれよ、仙吉。お前さんはすぐ余計なことを言っちまうんだから」
「へい、気を付けます。ありがとうな、たー坊。あとでたんまりお菓子を買ってやるからな。大家さんが」
「何で私なんだよ! まあ、いいけどね。たー坊のおかげで救われたんだから。あぁ、ようやくお月さんも沈み始めたね。辺りも白々と明るくなってきたよ」
「――あれ、向こうから来たのは、八つぁんじゃねえですかい?」
「ほんとだねえ。今時分まで何してたんだ、あいつは」
「おーい、八! 今の今まで、どこで何してんだよ? ――えっ?『バクチで大勝ちした』だって。っとに羨ましい野郎だねぇ。こっちは大変な目に遭ってたっていうのに」
「お前さんのせいだろう」
「へへ、そうでした。――て、あっ、そうだ!」
「何だい? どうしたんだい? また変なこと言いだすんじゃないだろうね」
「おい、コラ、お月さぁーん! この、ぶりっ子のかまととの、振られまくりの、あざといお月さんよぉー!」
「バカ! せっかく機嫌直して沈んでくれようとしている時に、そんなこと言ったら、また激おこ状態で昇ってきちまうじゃねえかよ!」
「へい、もう一度、お月さんに出てきてもらおうと思いまして」
「何でだよ!」
「ツキのあるうちに、あっしもバクチで勝負してこようと思いまして」
単なる偶然だと思うのですが、僕のクラスメイトに、たーくんというあだ名の子がいます。素直で、とってもいい子です。
でも、おじいちゃんは、その家の子は、大人になるに従って、つい余計なことを言って周囲に大迷惑をかけるようになっていくから、仲良くなるな、と言ってきます。たーくんが、そんな大人になるなんて信じられません。
ちなみに、たーくんは今夜、父親と蛍を見に行くみたいです。僕も誘われています。
もひとつちなみに、今夜は満月みたいです。