ドンッ
椅子の肘掛けを殴りこちらを睨む姿は、もうすぐ50になるというのに一向に衰えることを知らぬ壮健なこの国の王。俺たちの父親でもある男は怒りを隠そうともしない。
ミリシャが氾濫した川から救出された時に怪我をしていたため手当てを受けさせたが、回復しないので仕方なく城に戻り、最高の治療を受けさせるべく戻れば報告を聞いたのであろう父上の執務室に呼び出され、こうして父上の怒りに付き合わされている。
「お前は小娘二人も見つけられない上に妹を落馬させたのか?!」
「……申し訳」
「黙れ!」
言い訳をすればさらに逆上してくると思い、素直に謝罪しようとすれば、怒鳴り声と共に手に持っていたワイングラスが飛んで肩にぶつかりそのままグラスは落ちて割れ、服にはワインの染みが広がってゆく。
何を言っても無駄だったのだったから黙っていればよかった。いや、それはそれで父上の怒りを買っていただろう。
父上にとって俺は出来損ないなのだから。父上の祝福を受け継ぐことのなかった無能の王子と後ろ指さされているのは幼き頃より理解していたし、妹のミリシャの方を父上が可愛がっていた。
母上も、俺のことはとっくに諦めているし、一応唯一の男子ということで何とかこの地位にしがみついているような物だ。沢山の祝福を持っているあの小娘を王室に縛りつけておけば、多少の保険になると思っていたのに、どうしてこんなことになるんだ。
「一人は怪我をして満足に動けない小娘。もう一人は祝福なしの怪我人を連れて逃げている小娘。それなのに、この体たらくはなんだ!」
「しかし、何者かが邪魔をしているのです! でなければミリシャを連れていたのに……」
これだけは言っておかねばと連ねた言葉は父上に睨まれ、尻すぼみになっていった。
「誰が邪魔をすると言うのだ? 余はこの国の王だ。その王の言葉をないがしろにする不届き者が居るというのか?」
「いえ、しかし、これは公にしていないこと……」
昔は父上もこの様な方ではなかった。
臣下の言葉にも耳を傾け国のためにと動いていたはずなのに、少なくとも俺たちが小さい頃はこんなではなかった。
いつから臣下の言葉に耳を傾けずにこの様な振る舞いをするようになった?
それはいつかは覚えてない。気が付いたらこういう風になっていた。
もう一度ひじ掛けを殴る音にため息を吐きたくなるが、何か言ったところでこの嵐が去る訳ではない。
ミリシャは崖から落ちた後、救出することに成功したが、頭を打ったのか未だ意識はなくかなりの出血をしたせいもあり高熱にうなされている。
医者からは手足の骨折もあり、二度と立つことは出来ないだろうと言われたために父上は嫁ぎ先がなくなったと怒っているのだろう。
だが、俺から言えばあの日雨が降っていたのに、無理だったのならば最初から宿で待っていればよかったのに、着いて来たのはあいつの落ち度だ。
それに救出だって指揮はとったし、医者もすぐ手配した。それなのにここまでいわれる謂れはない。
悔しくて言い返したいが、言い返せば長くなるだけだ。大人しくしていた方がマシだ。
「……申し訳ありませんでした。次は必ず」
「次? お前に次があったのか?」
「……寛大な父上のことですから必ずや」
「……そうか。寛大か。寛大であるからこそ此度の姫の怪我のことは重く受け止めなければならない」
「父上!」
「黙れ! ミリシャは一国の姫であるぞ! それ以前にミリシャの祝福のお陰でこの国の安寧は保たれていたのに、それをお前! 医者が言うにはあれの目が二度と使えぬようにならなくなったらこの責任はどう取るつもりだ」
「それは……」
確かにミリシャの祝福がなければ治安は悪くなる。それどころか他国が攻めて来たとしても、それを知るのが大幅に遅れこちらは後手後手になってしまうだろう。
それに国境付近には、こちらが衰退するのを今か今かと狙う他国の勢力が機会を窺うように、毎日のように出入りしているどころかミリシャの命すら奪おうとする不届き者もいる。
そういう輩はミリシャが事前に排除していたけれど、ミリシャが回復しなければ、これからは俺か陛下がしなければならないが、この様子では俺がしなければいけなくなりそうだ。
だが、それが俺に出来るか? 今まではミリシャが国内全域に目を光らせていた。それはあいつが嫁に行ったとしても同じように国内に目を走らせると思っていたからそんなことをする必要はないと考えていた。
それは父上だって同じだったはずだ。それなのに俺一人に責任を取れと言うのは間違っているのではないか?
家族ならばお互いに支え……いや、それはこの人に望んでも仕方ないこと。
「もうよい余がいいと言うまで西の離宮で謹慎していろ」
「父上!」
もう話すことはないと父上は下がるようにと指示を出して来たが、それを無視しようとしたら待機していた騎士に無理やり追い出されてしまった。
西の離宮は掃除はしてあるが、人の出入りは掃除担当の下女だけだ。それ以外の人の出入りは全くない。
下女に頼めば食事等は持って来るだろうが、それ以外の娯楽もない。
そんなところで謹慎だなんて。
「くそっこんな目に遭ったのはあの二人のせいだ!」
ユリアとラナだったかいう双子。片方に祝福があると知った時にはこれで俺が王位を継いだ時に治世が安泰になるはず、自分の息子か娘にも祝福の力を受け継ぐことが確実にでき、次の治世も安泰になるはずだと安易に考え過ぎていたのが悪かった。
あんな貧相な小娘にこの国の未来の希望を見出だしたのが間違いだった。
そのせいでミリシャの祝福が使えなくなり、俺は父上の信用を失い謹慎などという惨めな思いをしなければならなくなった。
この恨みは必ずあの二人を八つ裂きにするまでは晴れないだろう。
近くに居る騎士にあの二人の捜索を続けるように命じたが必ず生け捕りにするようにと指示を出す。
あの二人には惨めで最後には自分から殺してくれと言いたくなるようにしてやる。