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第36話

月曜は兄の部屋から仕事へ行った。


「ちゃんと龍志と話してくるね」


「おう、健闘を祈る。

万が一、フラれても慰めてやるから心配すんな」


「フラれるとか縁起でもないこと、言わないでよ」


それに笑えるくらい、余裕は出ていた。

きっと、ちゃんと話せるはず。


「じゃ、頑張れよー」


「ありがとう、お兄ちゃん」


兄とは駅で別れた。

使っている路線が違うのだ。


仕事が終わったら龍志に自分の気持ちを伝える。

――そのはず、だった。


「……先輩。

マズいですよ」


出社と同時に由姫ちゃんが寄ってきて、周囲を見渡して人目を忍ぶように私に耳打ちする。


「えっと……。

なにが?」


頭を猛烈に回転させ、なにかやったか考える。

もしかして龍志がものすごく機嫌が悪いとか?

いや、それこそ彼が、仕事に私情を持ち込むとは考えられない。

しかし龍志関連以外にはなにも思いつかなかった。


「昨日のCOCOKAの生配信、観てないんですか」


「……ごめん、観てない」


いくら相手が仕事相手でも、配信を全部チェックする義務はない。

由姫ちゃんが観ていることのほうが驚きだ。


「てか由姫ちゃん、もしかして毎回、チェックしてるの?」


「最近の彼女、丸くなって凄く可愛いんですよ。

昔の自分を反省して、同じようなことをしている人を優しく諭してたりして、なんかいいんですよねー」


ちょっとうっとりと彼女が説明してくれる。

そうか、私が実際に会って感じていることが、配信にも出ているのか。


「……と。

それは置いておいて」


本題を思い出したのか、由姫ちゃんの顔が険しくなる。


「彼女、うちの商品批判、してました」


「え……」


それを聞いてみるみる血の気が引いていく。

この頃はこちらの要求をよく飲んでくれ、なにも問題を起こしていなかったのに。


「……それ、ほんと?」


由姫ちゃんと頭を突きあわせ、さらに周りに聞かれないように小声でひそひそと話す。


「はい。

うちの主力商品を高い割に効果がない、プチプラのヤツのほうが断然マシ、って言ってました」


「あちゃー」


最近はおとなしいからと完全に油断していたが、これはやってくれた。

やらかし度は前回のプチ情報漏洩以上じゃないだろうか。


「アーカイブ、残ってるはずなんで確認したほうがいいですよ」


「ありがとう。

すぐに確認する」


彼女にお礼を言い、すぐに人のいない場所で動画を確認しようとしたが。


「井ノ上さん」


すぐに龍志が声をかけてくる。

顎で外を指され、頷いた。

もうすでにこの件は彼の耳にも入っているようだ。


打ち合わせブースで彼と落ちあう。

ふたりきりになるのはまだ気まずいが、今はそんなことを言っている場合ではない。

椅子に座った途端、なにも言わずに彼は携帯をテーブルに置いて操作し、問題の動画を再生した。

該当の場所まで龍志の指が動画を飛ばす。


『そうそう。

いろんなコスメレビューサイトで高評価のこれ、使ってみたんだけどさー』


そう言ってCOCOKAさんがテーブルの上に置いたのはまさしく、我が社のメイン商品だった。


『なんか、評判の割にイマイチ、っていうか。

あんまり肌が潤ったとか、キメが整ったとか、そういう実感が感じられないっていうか。

うん、高いんだからそれなりに効果はあるよ?

でも、期待するほどじゃないって感じ。

これにこれだけのお金を出すくらいなら、こっち』


彼女が次にテーブルの上に置いたのは、老舗中小企業のものだった。


『まず、パッケージが可愛くない?

昭和レトロって感じで。

おばあちゃんが若い頃からあるんだって、これ。

値段もこっちの十分の一くらいだけど、お肌がふっくらもっちりになるし、すっごく気持ちいいの!

何度も言うけど、値段はこっちの十分の一だよ?

もう、これで十分じゃない?』


もしかして彼女は、ここのメーカーと宣伝の契約でも結んでいるんだろうか。

もうそうとしか考えられない。

しかし我が社との契約は、契約期間中は別の化粧品会社およびそれに類する商品の宣伝の契約は結んではならないとなっているはずだ。

あれか、もしかして情報漏洩のときと同じように読んでいないのか。


『そんなわけでCOCOKAの今、一押しはこれ!』


無言で龍志が動画を止める。


「ヤバいな」


「ヤバいですね」


ふたり同時に大きなため息が口から落ちていく。

契約違反だが他社の商品を推すのはまだいい。

問題は我が社の商品、しかも看板商品を悪く評価したことだ。


「動画削除でなんとかなりませんかね」


「無理じゃないか。

ほら」


龍志が視線を向けた先にはこちらへ向かってきている小山田部長の姿が見えた。


「宇佐神くん。

と井ノ上くんもちょうどよかった。

専務がお呼びだ」


神妙に部長が頷く。

部長ならまだしも、専務からのお呼びとはかなり大事になっているようだ。

というか誰だ、専務の耳に入れたのは。

もう内々で処理なんて無理じゃないか。


専務室で重厚な机を挟んで専務の前に小山田部長、龍志に私と三人並ぶ。


「これはどういうことだね」


カバーのスタンド機能を使ってタブレットを立て、専務が私たちへと向ける。


『なんか、評判の割にイマイチ、っていうか』


すぐにCOCOKAさんの声が聞こえてきて、先ほど観たばかりの動画が流された。

部長はしきりに額を拭っていたが、私はもう二度目なので比較的落ち着いて観られた。


「我が社の看板商品が批判されている。

いや、批判自体は別に問題ではない、ありがたいお客様のご意見だ。

問題なのは彼女が、我が社と新商品のプロモーション契約を結んでいるということだ」


怒鳴るでもない、冷静な専務の声は反ってそれだけ彼が腹の底から怒っているのだと感じさせ、内心ぶるりと震え上がる。


「そ、それはその、あの」


部長の口からは意味のある言葉が出てこない。

こういうとき……というか、いつも龍志にお膳立てしてもらっているので、とっさのときにまともな対応ができないのは当たり前だ。


「すでにSNSでは彼女に追従する、当該商品のアンチコメントが上がっている」


タブレットを自分のほうへ向けて操作し、また専務が私たちに画面を見せてくる。

三人顔を寄せて確認したそこには、COCOKAよく言った、前からそう思っていたなどというコメントが並んでいた。


「す、すぐに彼女との契約を……」


「待ってください」


部長の発言を私が遮り、三人から注目される。


「COCOKAさんに悪気はないと思います」


龍志に振り向いてもらおうと必死な彼女が、彼に嫌われるようなことをするはずがない。


「悪気はなくてもこれは大問題だよ。

わかっているのかね、君?」


専務から睨まれたが、私は怯まなかった。


「それにこれは本当に彼女の、正直な感想だと思います」


さらに専務の顔が険しくなったが、私の口は止まらない。


「前に、乾燥が酷くてどんな化粧品もあわないのだと言っていました。

だから高い商品には手を出しにくいのだとも。

そんな彼女が我が社の高価格帯の商品を使ったのは、かなり期待していたんだと思います。

きっと、値段並みに期待も高かったんじゃないでしょうか。

けれど、あれは彼女の期待に応えてくれなかった」


「き、君ね!」


部長が慌てて私の口を塞ごうとしてくる。

龍志もそれを阻止しようとしてくれたが、それよりも専務が手で部長を制した。


「続けて」


少し前のめりになった専務に促されて頷き、また口を開く。


「だからあれは、彼女の正直な感想です。

確かに、プロモーション契約をしている会社の商品の批判など、許されないとはわかっています。

しかし契約を盾に、彼女の正直な感想の撤回を求めるなど、我が社の懐が狭いと思われないでしょうか」


COCOKAさんを庇う必要などないのはわかっていた。

それどころか彼女を庇えば私の立場も危うくなる。

それでもただなにもせずに彼女が下ろされるのを見ているのが嫌だった。

以前のサンプルの大量要求のように悪意があってやったのなら私も会社の意向に従うが、今回は違う。


「確かに井ノ上君の言うことは一理あるな」


軽く机の上にのりだしていた姿勢を解き、専務は椅子の背に身体を預けた。


「彼女はあの、比べていた会社と契約しているわけではないのか」


「わかりません。

至急、確認を取ります」


もし、あの会社とも契約を結んでいるのならば完全にアウトだ。

それくらい、私にだってわかっている。


「わかった。

我が社の商品への批判は問題にしないでおこう」


彼女は許されたのだとほっとしたものの。


「しかしプロモーション契約は考え直す。

そもそも彼女は以前、情報漏洩で問題になっていたそうじゃないか。

軽微なものでよかったが」


専務の決定はもっともで、返す言葉がない。


「では、詳細の確認と報告を待っている」


それで話は終わり、専務室を出た。

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