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第33話

「だから。

なんでもありません。

では、おやすみなさい」


拒絶するようにバタンと閉まったドアを呆然と見つめる。


「おい、七星。

七星」


すぐに我に返って呼びかけるも、返事はない。

あまり長く騒ぐのも近所迷惑になるし、なによりいくら呼びかけようと七星が応じてくれる気がしなかった。


「……はぁーっ」


大きなため息をつき、隣の自分の部屋へと帰る。

今日の七星はおかしかった。

普段の彼女なら取り引き相手でなくても人に嫌みなど言ったりしない。

よほど親しい相手なら別だが、COCOKAさんとはそうではないはずだ。

それでもしかしてヤキモチを妬いてくれたのかと期待したのだが、自惚れるなと一喝されてしまった。


「アイツ、なに考えてるんだ……?」


シンクの縁に手をつき、項垂れて考える。

俺を一喝したあとから、彼女の様子がさらにおかしくなった。

なぜか俺と距離を取ろうとしているような、よそよそしさ。

どうかしたのかと聞くが、答えてくれない。

なにか怒らせるようなことをしただろうかと考えるが、思い当たるのはヤキモチ云々の件だけだ。


この頃はすっかり懐いた猫のようにうちに出入りし、そろそろ俺を好きになってくれているのではないだろうかと思っていた。

いつになったらその気持ちを伝えてくれるんだろうか、でも七星はああ見えて恥ずかしがり屋でツンデレなところがあるから、そのときは俺のほうからさりげなく促してやったほうがいいだろうかなどと考えていたのは内緒だ。

しかしそれは、まったく無駄な心配だったらしい。

想いを寄せてくれるどころか、どうも俺はただの世話好きな上司だと思われている節がある。


もしかして七星は、俺の好意を利用するだけ利用するつもりだったんだろうか。

いや、確かに会社での彼女のイメージはそのとおり男を手のひらで転がしていそうだが、実際の彼女はウブでいつも俺に気を遣ってくれる。

だいたい、そのつもりなら食事を作ってもらう代わりに洗濯など買って出るはずがない。


ならなんで、アイツはあんなに怒っているんだ?

七星としては隠しているんだろうが、怒っているのはバレバレだ。

なにを……って、俺がCOCOKAさんと親しげにしていたから?

それなら俺に自分がヤキモチを妬くなど自惚れるななどとばっさり切り捨ててくるのがわからない。


「わけがわからん……」


自分の口から憂鬱なため息が落ちていく。

だいたい、今日は好きな人がいるからその好意には応えられないとCOCOKAさんにきっぱり告げたのだ。


『それって、誰ですか』


聞かれたって答えられるわけがない。

しかし彼女は、食い下がってきた。


『私の知ってる人ですか』


知ったからといって、どうするんだろう。

嫌がらせでもするんだろうか。

答えられないと言うが、彼女は引き下がってくれない。


『もしかして、井ノ上さんですか』


それには思わずびくりと反応してしまい、彼女もそれに気づいた。

今から七星を貶めるようなことを言うのなら、いくら取り引き相手でもきっちり抗議してやるとかまえたものの。


『井ノ上さんなら仕方ないです』


泣きだしそうな顔で彼女はなぜか、あっさり引き下がってきた。

聞けば、事務所の人間ですら放置の自分を真剣に怒ってくれた七星に感謝しているのらしい。

会社にわざわざ来るのも俺に会いたいの半分、七星に会って相手にしてもらいたいのが半分だそうだ。

それでいかに七星が素敵な人間かというので意気投合し今日の食事会となったわけだ。

さらにいくら頑張っても七星が鈍くて俺に落ちてくれる気配がないと愚痴ったところ、じゃあ俺がCOCOKAさんと仲よさげなところを見せてつけて焦らせてみようとなったのだが、まさかあんな結果に終わるとは。


「……はぁーっ」


もう一度、ため息をついてようやく身体を動かす。

長時間、同じ体勢だった身体はバキバキといった。

ないとわかっていながらジャケットのポケットから携帯を取り出し、七星からのメッセージが入っていないか確認する。

期待したものはなかったが、COCOKAさんから届いていた。


【あれから井ノ上さん、大丈夫でした?】


【もしかしたら私、井ノ上さんの気に障ることしてしまったのかも。

どうしよう】


携帯の向こうで彼女が動揺しているのが容易にうかがえる。

そりゃ、尊敬し慕っている人間から嫌われたらと怖いのはわかる。

俺も今、なにかやっていて七星に嫌われてしまったらどうしようと無性に怯えている。


【とりあえず明日、なにかやってしまったのか聞いてみます。

宇佐神課長も気づいたことがあったら教えてください。

今日はありがとうございました】


気づいたことって俺のほうこそ教えてほしい。

とりあえず、いまだに機嫌は悪いこと、俺も明日、改めて聞いてみると返事を送った。


「せめて、なんで怒ってるのか教えてくれ……」


寝室の壁に額をつけ、聞こえないとわかっていながらこの向こうにいるであろう七星に話しかける。

明日になったら機嫌が直っていますように。

せめて、話くらいは聞いてくれますように。

そう、願った。

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