「井ノ上さーん!」
私の姿が見え、COCOKAさんは椅子から立ち上がって手を振ってきた。
「すみません、お忙しいのに」
申し訳そうにいいながら彼女が私の背後に龍志の姿を探す。
もちろん、今日も龍志は居留守だ。
「いえ、かまいませんよ」
ほんと、忙しいんだから勘弁してほしい。
という気持ちはにっこりと微笑んだ顔の下に隠して彼女の前に座る。
「あ、これ。
今ハマってるお店のチーズケーキなんです。
う、宇佐神課長、お好きかな、って」
遠慮がちにCOCOKAさんが紙袋を指し出してくるが、担当の私にではなく龍志に差し入れとは?
まあね、龍志は私の上司だから、決定権は彼が握っている。
だからゴマをすっておこうというのなら理解はするが、彼女のこれは違うと断言できる。
「もちろん、皆さんの分も買ってきてるんで!
よろしかったら食べてください!」
自分の気持ちを誤魔化すように彼女が笑う。
それがなんか、ちょっと可愛いなとか思っていた。
「あ、これってそういうことなんですね。
わかりました」
「ご理解いただけたのならよかったです」
龍志が目的で仕事はついでなので、話は五分で終わる。
「井ノ上さんってお肌、綺麗ですよね。
やっぱり特別なお手入れとかしてるんですか?」
「……ハイ?」
なにを聞かれているのかわからず、まじまじと彼女の顔を見ていた。
「私もKAGETSUDOUさんの商品使ったら、こんな綺麗な肌になれるのかな……」
はぁっとCOCOKAさんは感嘆のため息を落としているが、やはり彼女がなにを言っているのかわからない。
だいたい、初対面で私は彼女から〝地味なおばさん〟と言われたのだ。
「私、お手入れをちゃんとしてもすぐに乾燥しちゃうのが悩みで。
いろいろ試してるんですけど、なかなかこれ!っていうのに出会えないんですよね。
かといって高級化粧品を買ってやっぱり満足できなかったらって思うと、手を出しにくいし。
今回のお仕事を受けたのも、タダで高級化粧品が試せるならいいかなーって」
恥ずかしそうに彼女が笑う。
いくら有名人とはいえ、抱えている悩みは私たちと同じなのだ。
「……その。
我が社では美容レッスンもおこなっているので、よろしかったらご案内しましょうか」
私も一度、勉強として利用したが、最新機器でお肌の診断をしてくれてあうお手入れ方法を教えてくれた。
化粧品も自社商品ではあるが、高価格帯から低価格帯まで案内してくれたし、いいと思う。
「いいんですか!?」
「は、はい」
あまりの彼女の食いつきぶりにちょっと面食らった。
「ぜひ、お願いします!」
「わかりました」
苦笑いしつつ承知する。
初めてCOCOKAさんが、私と同じひとりの人間に見えた。
エレベーターまで彼女を送る。
「あ、そだ。
これ」
ごそごそとバッグを漁り、COCOKAさんは小さな紙袋を私に差し出した。
「今、プロモーション契約してる別会社の商品、サンプルをたくさんもらったのでお裾分けです」
「えっと……」
そんなものを受け取っていいのか戸惑った。
また、発売前の新商品だとか、ごり押しで大量に奪ったサンプル品だとかだと困る。
「大丈夫です、もう発売されているヤツなんで。
それにそんなに使わないのにどーぞーって段ボール一箱も送ってこられて、ちょっと困ってるんです。
もちろん、担当さんに配っていいか確認済みです」
照れくさそうに彼女が苦笑いを浮かべる。
そうか、あの一件で学習したのか。
「じゃあ、ありがたく」
事情がわかり、素直に受け取った。
ちゃんとこうやって確認してきて渡してくれるなんて、ちょっと彼女の成長が嬉しい。
「あ、これ、井ノ上さんにだけ、特別なんで。
他の人には内緒にしておいてくださいね」
顔を寄せてそれこそ内緒話でもするように彼女が耳打ちしてくる。
顔を離して目のあった彼女は、いたずらっぽく笑った。
「それってどういう……」
最後まで言うよりも前に不意に彼女の視線が私から外れ、どうしたのかとそちらを見たら龍志がちょうどこちらに来るところだった。
「あ、宇佐神課長!」
ぶんぶんと嬉しそうにCOCOKAさんが彼に向かって手を振る。
「こんにちは!」
「これはCOCOKAさん。
お世話になっております」
慌てて頭を下げる彼女に龍志もにっこりと笑って頭を下げたが、完全に営業スマイルだ。
「いらっしゃらないと聞いたんですが」
「すみません、ちょっと行き違いがあったようで。
いるにはいたんですが、会議中だったんですよ」
憧れの目で彼を見るCOCOKAさんに対し、龍志は営業スマイルを崩さない。
「あの。
宇佐神課長にお聞きしたいことがあって……」
「すみません、今から外出するところなんですよ。
よければ井ノ上がたまわりますが」
「いえ、大丈夫です……」
曖昧な笑顔を浮かべたまま彼女が引き下がる。
そのタイミングでエレベーターが到着し、ドアが開いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます!」
ドアを押さえ、彼女に先に乗るように龍志が促す。
それに嬉しそうに顔を緩めながらCOCOKAさんはエレベーターに乗り込んだ。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃいませ」
閉まるドアの向こうではCOCOKAさんが盛んに龍志に話しかけていた。
見えなくなって知らず知らず私の口からため息が出る。
「なんか、こう……」
龍志に振り向いてもらおうと必死な彼女にイラッとしている自分に気づいた。
このあいだから、そうだ。
なぜか、苛々する。
でもこれは、憧れの上司に取り入ろうとする彼女が気に入らないだけ、なのだ。
だからそんな変な心配なんてしなくていい。
……変な心配って、私はなにを心配しているんだろう?
ちなみにCOCOKAさんがくれたのは、足に貼るタイプの休息シートだった。
こういうの、ほんとに助かる。
でも私だけ特別って、もしかして懐かれたんだろうか。
いや、そんなはずは……ないよ、ね?