翌日、事実確認と厳重注意のため、COCOKAさんに来社してもらった。
「今日、撮影あって忙しかったのにー。
事務所の人が全部キャンセルしていけっていうからー」
緩くウェーブした髪をくるくると指先で弄びながら彼女はかなりご立腹な様子だが、ことの重大さを認識していないんだろうか。
昨日、連絡した事務所の担当者は電話の向こうで土下座でもしているんじゃないかという雰囲気だったし、今日も出ていない汗を拭うのに忙しい。
「確認いたしますが、COCOKAさんは弊社のまだ発売されていない新商品の情報をご友人に話されたんですよね?」
「そうだけどー。
だってあの、カゲツドーから依頼が来たんだよ?
話すに決まってるよね」
隣に座る事務所の男性は頭が痛そうだ。
こんなタレントを担当しないといけないなんて、同情する。
「守秘義務の契約書には商品情報を一切、関係者以外に話してはいけないと明記してあったはずですが」
準備していた、プリントアウトした契約書を目の前に置く。
該当の場所にはわかるようにマーカーを引いておいた。
「こんな字ばっかりの見てたら、頭痛くなるんだもん」
書面にちらっとだけ目を向け、彼女は手にすら取らない。
そうやって読まずにサインするからこんな事態になるし、もしそれで知らないうちに多額の借金とか背負わされていたらどうするつもりなんだろう?
他人事ながら不安だ。
「ちなみにご友人にはなんと話されましたか」
「えっとー、カゲツドーの新商品の宣伝依頼が来たってのと、プチプラじゃなくてデパコスだからみんなにもプレゼントするね、ってくらい」
……よしっ!
それを聞いて心の中でガッツポーズした。
詳しい資料を送る前でよかった。
あと、他のふたりと違ってCOCOKAさんが商品にさほど関心がないのも。
「え、それも話しちゃダメなの?」
「できれば」
「ええーっ」
彼女はご不満なようだが、よくこれで今までやってこられたな。
謎だ。
「配信で話したわけじゃないんだし、いいじゃん」
とうとう彼女は頬を膨らませてふて腐れているが、まったくもって可愛くない。
それに話していないとは言っているが、この様子だとぽろりと漏らしていてもおかしくないので、あとで依頼後の配信を全チェックだな……。
「発売前の商品の情報は最重要機密事項です。
社内でさえ取り扱う部署に入れる人間は限られていますし、何重にもチェックを経てでないと入室できません」
毎回、機械に社員証をかざしてパスワードを打ち込まないと部署に入れないのは面倒だけれど、それだけ大事な情報を扱っているのだから当たり前だ。
特に新商品発売前はピリピリする。
「そんな軽い考えなら、今回の契約は考え直させていただきます」
それはもう、龍志をはじめ上司たちの意向でもある。
商品の詳しい情報を漏らしていないのなら、今回は厳重注意で済ませる。
しかし、反省の色が見られない場合は、切るのもやむなし。
そう、今朝、伝えられた。
「そんな!
もう友達に話しちゃったのに!」
彼女は慌てているが、論点がズレている。
友達に話してしまったのに、降ろされたとは恥ずかしいからやめてくれ?
そんなの、社会で通用すると思うな。
「申し訳ありませんが、今回の話はなかったことに」
「待って!
どうしたら許してくれる?」
縋ってくる彼女を冷めた目で見ていた。
どうしたらってそんなの、このたびは情報を漏らしてしまい、申し訳ありませんでしたと謝るしかない。
「それくらい、ご自分で考えたらいかがですか」
自分でも冷たいとは思う。
きっと彼女は常識を身につける前にニャオチューバーで人気になって大金を手に入れ、周りにちやほやされてきた井の中の蛙、いやCOCOKA王国の王妃様なのだ。
アリスのハートの女王様と同じで、周囲は常に彼女が機嫌を損ねないように気を遣っている。
だからこんな、傍若無人、わがまま放題なのだろう。
そのツケが回ってきたのだ。
これで挽回できなければ、もうこの先はないだろう。
「悪かった、私が悪かったから。
もう新商品三十セット送れとか言わないから許してよ」
事務所の担当者がぎょっとした顔をする。
さすがにこの無理難題は把握していなかったみたいだ。
必死な彼女を見ていたら、なんか少し可哀想になってきた。
誰も今まで彼女を注意しなかったから、こんな人間になってしまったのだ。
環境が悪かったといえばそうなのかもしれない。
「ご自分が重大な問題を起こした自覚はありますか」
「……はい」
若干、彼女はふて腐れ気味だが、素直に認めたのでそこは許してあげよう。
「あなたはちょっと自慢しただけのつもりでしょうが、その行動が下手をすると会社に何億と損害を与えるんです」
億という数字を聞いて、みるみる彼女の顔色が変わっていく。
ようやく、自分のやらかしたことの重大さに気づいたようだ。
「契約書はきちんと読んで、守ってください」
「……はい。
すみません、でした」
殊勝に彼女が頭を下げる。
反省するのが遅いと呆れてしまうが、それでも形だけではなくちゃんと心からの言葉に安心した。
「今回は厳重注意だけとします。
次、なにかやったときは容赦なく切りますので、そのつもりで」
「……はい。
気をつけます」
これだけ反省していればもう、なにも起こさない……と、思いたい。
まだ不安は残るけれど。
「今回は本当に、すみませんでした」
話が終わり帰り際、再び彼女が事務所の担当者とともに頭を下げる。
やればちゃんと謝罪できるんだと妙な感心をした。
「いえ。
次から気をつけてくれたらいいですから。
あ、あと」
部屋を出ようとしていた彼女が足を止め、まだなにかあるのかと怯えた顔で私を見る。
それがなんか、ちょっと可愛く見えた。
「約束の時間に遅れたときはきちんと謝りましょうね」
あっという間に恥じ入るように彼女の顔が赤く染まっていく。
「……はい。
すみませんでした」
とうとう彼女は完全に俯いてしまった。
エレベーターまで彼女たちを送る。
ちょうど一階から昇り始めたところで、しばらく待たないといけないようだ。
そのうち私たちのいる階に着き、ドアが開く。
「あ。
お疲れ様です」
「お疲れ」
降りてきたのは外回りに出ていた、龍志だった。
「宇佐神課長。
COCOKAさんです。
COCOKAさん、宣伝広告部の宇佐神課長です」
「はじめまして、宇佐神です」
「はじめまして、COCOKAです」
龍志が挨拶した途端、先ほどまでの萎れた態度が嘘のように彼女の顔がぱーっと輝いた。
それを見て、胸が酷くモヤつく。
「このたびは大変なことをしてしまい、申し訳ありませんでした!」
先ほどまでの態度が嘘のように、礼儀正しくCOCOKAさんは龍志に謝罪した。
その素直さはあれで反省したからだと思いたいが、相手が龍志だからな気がしてならない。
「私、いただいたお仕事を凄く軽く考えていました。
そのせいでこんな大変なことになってしまい、反省しています。
心を入れ替えて今後は誠心誠意やらせていただきますので、よろしくお願いします」
すらすらと常識的な社会人の謝罪の言葉を口にする彼女を唖然として見ていた。
やれば最初からできるんじゃないか。
なのに私にあれだったのはやはり、舐められていたのか。
「詳細はあとで井ノ上から聞きますが、今後はこんなことがないよう、注意してください」
「許してくれるんですね!
優しい!
ありがとうございます!」
無邪気に彼女は喜んでいるが、それが彼の気を引くために演技しているようにしか見えない。
しかも龍志は優しく微笑んで対応している。
喉の奥から酸っぱいものが上がってきたが、不快な顔を作らないように必死に耐えた。
そのタイミングで下りのエレベーターが到着し、ドアが開く。
「では、失礼いたします」
「気をつけてお帰りください」
ドアが閉まり、COCOKAさんたちが見えなくなるまで、どうにか笑顔を保つ。
「なあ」
完全に彼女たちの姿が見えなくなった瞬間、龍志が口を開いた。
「なんか怒ってる?」
並んだままふたりとも前を見たままなので、彼がどんな顔をしてこんなことを尋ねてくるのかわからない。
「別に怒ってないですよ」
言いながらすとんと納得した。
あきらかに好意を向けられている相手に龍志がにこやかに対応しているのが嫌だった。
あんなの、勘違いされても仕方ない。
「営業スマイルだろ」
「わかってますよ」
わかっているけれど、腹が立つ。
腹が立つけれど、なんで腹が立つのかわからない。
「これで機嫌直せ」
まさかキスとかしてくるんだろうかと警戒した。
それで私の機嫌が直ると思われているのも腹が立つ。
けれど彼はポケットをごそごそとあさり、私の手を取ってシロクマの小さなぬいぐるみをのせてきた。
いつぞや夜遅くまで残業していたとき、忘れたから取りに戻ってきたと言っていたヤツだ。
「えー、あーっと。
はい」
なんでこれ?
という気持ちはある。
しかしどこかとぼけた表情のそれを見ていたら、私の悩みなどどうでもいい気がしてきた。
「帰るまで貸しといてやる」
「え、なんでこんなもの、持ち歩いてるんですか」
「い、いいだろ!」
少し赤い顔で怒鳴り、歩きだした彼を追った。