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第26話

一日休んで龍志の許可が下り、出勤した会社では。


「井ノ上せんぱーい。

いつから宇佐神課長と付き合ってるんですか?」


「……は?」


朝の挨拶もそこそこに由姫ちゃんに聞かれ、目が点になった。


「えーっと、由紀ちゃん?

それって誰から?」


まさか龍志が言ってまわっているんだろうか。


「え、一昨日のこと、覚えてないんですか?」


怪訝そうに尋ねられ、ぶんぶんと首を横に振る。

COCOKAさんとメッセージのやりとりをしたあとからぷっつり記憶が途絶えている。

龍志が連れて帰ってくれたのは間違いないだろうが、悪い予感がするのはなんでだろう?


「井ノ上先輩が倒れて、宇佐神課長が連れて帰るって」


「うん」


「お姫様抱っこで帰っていきました」


「お姫様抱っこ……」


その単語で一気に顔が熱を持つ。

いやいやいや、連れて帰るにしてもお姫様抱っこはない。

ないよ。

そんなので社内を歩いていたら、注目間違いなしだ。


「もー、部署内騒然ですよ。

でもまあ、あの宇佐神課長だったらありえるよなーって片付けてたんですけど」


「うん」


そうか、イケメンでジェントルの宇佐神課長ならお姫様抱っこもさほど特別感がないのか。

それはよかったが、先が気になる。


「このまま看病するから戻ってこないとか言うじゃないですか」


「うん」


そうだよね、普通はただの部下の看病なんかしない。

成人した家族の看病ですら会社を休んでまでするのは稀だ。

まあ、うちは奥さんが熱を出したとかだと休んでいいから看病してやれってなるんだけれど。


「まあそれも、宇佐神課長らしいなって感じで」


「そうなんだ」


確かに気配り上手で優しい宇佐神課長なら、ひとり暮らしの部下の看病をしそうなイメージはある。

なら、なんで付き合っているとかになっているんだ?


「でも、看病するから早退するって連絡してきた宇佐神課長に、電話に出た人がなんでそこまでするんですかって聞いたんですよ。

そしたら、付き合ってるって」


「はあぁぁーっ」


私の口から大きなため息が落ちていく。

なんか頭痛がするが、もしかしてまだ風邪は治っていなかったんだろうか。

看病してくれたのは感謝するが、付き合っているなんてバラさなくてもいいのに!


「もー、宇佐神課長を狙っていた女子社員、大騒ぎですよ。

気をつけてくださいね」


あたりを見渡し、少し声を潜めて由姫ちゃんが忠告してくる。


「ありがとう、気をつけるよ」


それに引き攣った笑顔で答えた。

人が寝込んでいるあいだになにやってくれてるんだ、あの人は。

帰ったら厳重注意だ、うん。


とりあえず職場は今までどおりだった。

……嘘です。

じみーになんか視線を感じる。

部内はまだいいが社内を歩くとこそこそ噂されている気がするのは、自意識過剰なんだろうか。


お昼は社食に来たが、ひそひそ話されているように感じて、居心地が悪い。

いや、気のせいじゃないと思う。


「はぁーっ」


サラダと雑穀米、バターチキンカレーがワンプレートになったセットを選んだが、気分が憂鬱であまり減っていない。


「どうした、そんな大きなため息ついて」


それでももそもそと食べていたら、目の前にあとから来た龍志が座った。

ふたり用の席とはいえ、わざわざ注目されるようにここに座らなくていいと思う。

空いている席はまだあるんだし。


「誰かさんがいらんことを言うからですね」


「別に事実だろ」


彼は丁寧に手をあわせ、スプーンを取った。

器用にのっているカツをそれで半分に切り、カレーとご飯ごと大きく開いた口に豪快に入れる。

私はバターチキンカレー、龍志はカツカレーと種類は違うものの同じ料理を選ぶなんて気があうというかなんというか。


「私はまだ、龍志と付き合うとかひと言も言ってないですが」


そうなのだ。

散々餌付けされ、ほぼ半同棲なんてしているのに、私に言わせれば私たちの関係はいまだ上司と部下以外のなにものでもない。

龍志目線では私は彼の彼女で、彼は私の彼氏らしいが。


「でも、どうみても付き合ってるだろ、俺たち」


「うっ」


それを言われるとぐうの音も出ない。

確かにあれは事実上、付き合っているに他ならない。


「で、でもですね」


「宇佐神課長」


それでもどうにか抗議しようとしたタイミングで、空いていた隣の席にふたりの女子社員が座ってきた。

ひとりは知っている、私の同期だ。


「今、いいですか」


「いいよ」


にこやかに龍志は返事をしたが、その顔には「邪魔すんなよ、ごらぁ」

と書いてある。


「今度、敏感になりがちな季節の変わり目の、お肌のお手入れについて勉強会を開こうと思ってるんですが、参加されませんか」


これだけ聞けば仕事に対する意識が高いんだなって感じだけれど、その表情から推測するにこれは龍志を囲むファンの集いをするので来てくれませんかというのが正しいだろう。

そういえば彼は社内研修などにちょくちょく顔出ししていると言っていたが、そこは大丈夫だったんだろうか。


「んー。

今回は、パス」


龍志の返事を聞き、彼女たちはあきらかにがっかりした顔をした。

それにしても〝今回は〟って、今までこの手の勉強会にも彼は参加していたのか。

そう気づいた途端、凄く嫌な気分になった。


「えー、なんでですか」


不満そうに聞きながら、ちらちらと彼女たちの視線が私へと向かう。

まるで原因は私のようで、不愉快極まりない。


「しばらく仕事が忙しいんだ。

わるいな」


申し訳なさそうに龍志が詫びる。


「だったら仕方ないです……。

また、よろしくお願いします」


「うん、わかった」


去っていく彼女たちを龍志が笑って見送る。

がっくりと肩を落としている彼女たちの姿を見て、不純な動機で誘うからだ、ざまーみろとか考えている自分に気づき、落ち込んだ。

私ってこんなに性格が悪かったんだろうか。

初めて知った自分の知らない一面は、とても醜くて嫌になる。


「あんま食べてないみたいだけど、まだ調子悪いのか」


龍志が視線で私のお皿を指す。


「え、そんなことないですよ」


慌てて笑って誤魔化し、スプーンを握った。

こんな醜い私を龍志に知られるわけにはいかない。

きっと知ったら、私を嫌いになる。

彼が私を嫌いになるのが怖い。

でも、なんで?

ああ、そうか。

もともと憧れの上司だもんね。

憧れの人に嫌われるのは嫌に決まっている。

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