外出先から帰ってきた七星の様子がおかしい。
パソコンの画面を見つめながら、あーとか、うーとか唸っている。
いや、アイツはよくそうやって唸っているので通常運転といえば通常運転なのだが、なにかが違う。
上手く言語化できないのがもどかしい。
しかし、なにやら悩んでいる様子なので、彼氏として……というよりも、上司として声をかけるべきだろう。
「井ノ上さん。
なにか問題があるなら相談に……」
七星の横に立ち、声をかけた瞬間。
――彼女の身体が、ぐらりと揺れた。
「おい、大丈夫か!」
慌てて支えた彼女はぐったりしていて、返事がない。
額に触れると恐ろしく熱かった。
いつから?
いつから体調が悪かったんだ?
気づかなかった自分のうかつさを呪った。
「どうしたんですか?」
俺が大声を出したから、他の社員たちが心配そうに寄ってくる。
「井ノ上さんがダウンした。
病院に連れていってそのまま連れて帰るので、あと、頼めますか」
話しながらてきぱきと七星の荷物をまとめる。
「はい、まかせてください」
「……だいじょう……ぶ、です。
タクシー……で、……ひとりで帰れる……ので……」
ひとりで立つこともままならないのに、七星が断ってくる。
こんなときくらい、頼ってくれればいいのにと、歯痒くなった。
「そんな状態だと無理だろ。
病人はおとなしく上司の指示に従う」
「ううっ。
……すみま、せん」
申し訳なさそうに詫びてくる七星が愛おしい。
が、今はそんな愛でている場合ではない。
少しのあいだ七星を他の人に頼み、自分も急いで帰宅の準備をする。
「今日はもう戻ってきませんので、なにかありましたら連絡ください。
ではあと、よろしくお願いします」
七星を抱き上げたが、抵抗されなかった。
普段ならこんなことをしようものなら恥ずかしがるか烈火のごとく怒るかのどちらかだろうに。
無防備に俺に身体を預ける彼女を見ていたら、俺まで苦しくなってくる。
今すぐに病院へ連れていくから、少し待っていてくれ。
会社を出たところでちょうど、部下が呼んでくれたタクシーが到着した。
七星と一緒に乗り込み、自宅近くの病院へと向かう。
抱きかかえている彼女の息が、荒い。
「大丈夫だ、大丈夫」
額に滲む汗を拭いてやり、たいしたことがないように祈っていた。
検査の結果、特になにも出ず、ただの風邪だろうとなった。
昨日、夕食後に少し寒そうにしていた気がする。
あのとき、気をつけてやっていれば。
自分の部屋のベッドに彼女を寝かせる。
「わるいな」
聞こえていないとわかっていながら詫びつつ、俺のパジャマに着替えさせた。
薬を飲ませて氷枕をセットし、ひと息ついたところで会社に連絡を入れる。
「ただの風邪みたいです。
私はこのまま看病するので、小山田部長には適当に言っておいてください」
『わかりました』
電話に出た部下は物わかりがよくて助かった。
『ところで、この案件は……』
「それは……」
いくつか尋ねられ、指示を出す。
『あの。
なんで宇佐神課長が井上さんの看病するかだけ、聞いてもいいですか?』
彼は興味津々と言った感じだが、俺が彼の立場でもやはりそうだろう。
「あー、……付き合っているんですよ」
『ああ、そーゆー』
彼は納得していて、きっと瞬く間に部内どころか会社中に俺たちが付き合っていると話が広まるだろう。
許せ、七星。
これでもう、俺の彼女じゃないとか言えなくなるな。
まあ、狙ってバラしたんだけれど。
「じゃああと、よろしくお願いします」
『わっかりました!』
調子のいい彼に苦笑いし、通話を終えて七星の様子を見に行く。
やはり彼女は苦しそうに眠っていた。
「すぐ薬が効いてくるからな。
大丈夫だ」
ただの風邪なんだから心配する必要はないとわかっている。
それでもこのまま彼女を失ってしまったらなどと不謹慎にも考えてしまい、怖くなった。
寝室にパソコンを持ってきて仕事をしつつ、七星を見守る。
「ううっ」
そのうち、彼女が目を覚ました。
用意していたスポーツ飲料を飲ませてやり、汗を拭いてパジャマを着替えさせてやる。
だいぶ汗を掻いたみたいだし、これならじきに熱も下がるだろう。
洗濯物を抱えて立ち上がると、七星に服を掴まれた。
「……ひとりにしないで」
泣きだしそうに彼女が呟く。
「七星?」
今、甘えられた気がしたけれど、気のせいだろうか。
「傍に、いて」
俺としてはひとりにしてゆっくり休ませてやりたいのだが、縋るように見られたら断れない。
ため息をつき、ベッドサイドに座って彼女の手を握った。
「これでいいか?」
――しかし。
「ぎゅーって、して?」
頬を上気させ、潤んだ目でお願いされ、理性が崩壊しそうになった。
幼児退行して甘えたくなっているのも、こんなに可愛く見えるのも熱のせいだとわかっている。
けれどこんな可愛いお願いをされたら、押し倒したくなるってもんだ。
しかし、相手は病人。
なけなしの理性でどうにか押し留まる。
「……ダメ?」
しかしダメ押しで、うるうると泣きそうな目で見られてみろ。
もー、なんでもお願い聞いちゃう体勢になってしまう。
「……いい」
眼鏡を外して置き、ベッドに入って七星を抱きしめてやる。
「これでいいか」
「うん」
満足げに頷き、彼女は俺の胸に額をつけた。
すぐに今度は気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。
「寝た、か?」
そっと触った額は、会社を出たときよりも熱が下がっているように感じた。
起こさないようにそっと、抱きしめ直す。
もう何度かこうやって眠ったが、七星を抱きしめているといつも幸せな気持ちになる。
可愛い可愛い、俺の七星。
起きたら元気になっているといいな。
熱のときのお願いは破壊力抜群なので、勘弁してもらいたいが。