こうしてようやく、私に平穏が訪れたわけだが。
「宇佐神課長」
「なんだ?
マズかったか?」
心配そうに眼鏡の下で彼の眉が寄る。
「いえ、そんなことは。
今日も美味しい、です」
適当に笑って誤魔化し、料理に箸を伸ばす。
ストーカー事件から四日が過ぎたが、いまだに私は課長に食事を作ってもらっていた。
「なら、いいが」
キュウリの漬物を摘まみ、彼が口に入れてぽりぽりといい音を立てる。
……のはいいが。
「その」
「ん?」
私が軽く改まり、課長は箸を止めて怪訝そうに私を見た。
「食事をさせていただけるのは大変ありがたいんですが、毎日私がここでごはんを食べているといろいろ困るのでは……?」
宇佐神課長と食事を共にするようになって、女性の出入りがまったくなくなった。
とはいえ、ここしばらくはストーカー事件で忙しかったというのもあるだろうが。
しかし、彼としては迷惑ではないんだろうか。
「なにが困るんだ?
食費?
それは入れてもらうように話がついただろ」
私の申し出に興味がないのか、課長は食事を再開した。
食費の話は先日、した。
最初は断られたが、作ってもらううえにお金も出さないなんてダメだ。
『受け取ってくれないのなら、もう宇佐神課長に食事を作ってもらいません』
『オーケー。
わかった』
降参だと手を上げ、食費を入れるという私の提案を飲んでくれたが、なんでそこまで私に食事を作りたいんだろうか。
まったくもって謎だ。
「いや、食費の話じゃなくてですね……」
はっきりと女性関係ですとは言えず、無意味にご飯を一粒ずつ口に運ぶ。
「じゃあなんだ」
なんだって察してほしいと思った私は悪くないはずだ。
「あー、えっと。
……その。
彼女さん、……とか」
しかし言わなければきっと話は進まないし、それどころか宇佐神課長の機嫌が悪くなる可能性もある。
当たり障りのない言葉を選び、察してくれとちらちらと意味ありげな視線を彼に送った。
「俺の彼女は七星だが?」
さも意外そうに課長が、眼鏡の向こうで大きく一回、瞬きをする。
「は?」
それを見て今度は、私の頭の上に大きなクエスチョンマークが浮かび、同じように一回、瞬きをしていた。
「ええーっと。
私は宇佐神課長の彼女になった記憶はないですが?」
「ん?
七星は俺のものなんだから、俺の彼女だろ」
そういえば俺のものにするって決めたから、もう私は課長のものだと言っていたような。
「私は宇佐神課長のものになった記憶もないですが……?」
「俺が俺のものと決めたものは俺のものなの。
だから、七星は俺のもの」
にかっと課長が白い歯を見せて笑う。
それはとても眩しいけれど、その俺様思考はいったいなんだ?
いや、ここしばらくストーカー事件で優しくされて忘れていたが、宇佐神課長は俺様宇佐神様なんだった。
「いや……それはちょっと、なくないですか」
否定しながらもまんざらでもないと思っている自分がいる。
いやいや、これはストーカー事件で危機的状況だったから宇佐神課長が不覚にも格好よく見えただけで、勘違いしているんだって、私。
「なくない」
「はぁ……」
課長は自信満々だが、これはどこからツッコんだらいいんだろう?
「で、その俺の彼女がどうしたんだ?」
そうだった、私が宇佐神課長の彼女かという問題はどうでもよく……はないが、問題はそこではない。
今まであんなに女性を連れ込んでお盛んだったのに、私が毎晩上がり込んでごはんを食べていればそういうことができないがいいのか、ってことだった。
「いえ……その、宇佐神課長の体調的に……いいのかな、って」
先ほどよりもさらに言いづらく、当たり障りのなさそうな感じで問う。
「体調?」
なにを言われているのかわからないのか、彼は私の顔を見て驚いたように少し目を大きく開けた。
「……ああ」
けれどすぐになにを指すのか気づいたらしくくつくつとおかしそうに笑いだし、おかげで顔がほのかに熱くなっていった。
「うん、体調。
体調、な」
ツボに入ったのか課長は笑い転げだしたが、そこまで?
「ううっ。
すみませんね」
だって「性欲発散しないで大丈夫ですか」とか直接ズバリ問うのは恥じらいがあるわけで。
なので精一杯考えてあれだったのに、そこまで笑われるとは思わない。
「いや、七星らしくて可愛いなーって思っただけ」
笑いすぎて出た涙を、眼鏡を浮かせて指の背で拭う彼を、不満げに上目遣いで睨んでいた。
「まあ、別に今までと大差ないしな」
「はぁ……」
大差ないとは?
私は毎日、課長からごはんを食べさせてもらっているだけだが、彼女たちとはそれだけとは思えない。
「言っただろ、商品研究で連れ込んでただけだって。
製品を試させてもらって評判とか聞いて、あとはお礼にエステとマッサージしてただけだ」
確かに女を取っ替え引っ替えと市崎に糾弾されて宇佐神課長はそう説明していたが、信じろというほうが無理がない?
あの場では課長を不利に立たせないために必死で私も擁護したけれど。
「えーっと。
言い訳にけっこう無理、ありませんか……?」
おずおずと指摘したら、それまで楽しそうだった課長がいっぺんに不機嫌になった。
「心外だな」
そう言われても、やはりしょっちゅう違う女性が部屋に出入りしていればそうとしか思えないわけで。
「まあ、そういう誤解をされるのはわかってるし、別にかまわないんだけど」
はぁっと嫌そうにため息をつき、課長はグラスから水を飲んだ。
自分でもそういう自覚があるのにはほっとする。
「七星にそう思われるのは嫌」
「えっ、と……」
なんで私に誤解されるのは嫌なんだろう?
そこからすでに、理解できない。