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第15話

ストーカー男、市崎に襲われた翌日。

宇佐神課長も私も、午後休を取っていて助かった。

ほとんど寝ていなかったのもあるし、さらに警察署に呼ばれて事情聴取を受けた。

まだ宇佐神課長が殺人未遂犯だと疑っているのかとうんざりしたが。


「どもー。

弁護士の笹西ささにしでーす」


……と、警察署へ行く前に軽薄なホストみたいなノリで弁護士を名乗る男が現れた。

ただし、見た目は七五三の男の子を彷彿とさせる童顔だ。


「事情は宇佐神から聞きました。

あとは僕にまかせてください」


などと言われても不安でしかなく、宇佐神課長を見上げる。


「高校からの友人なんだ。

ノリはこんなんだが仕事は信頼できるから安心していい」


「ひど!

宇佐神、ひど!」


しかし抗議しつつけらけらと軽く笑っているとなるといくら宇佐神課長から言われても信じられなかったが、彼があいだに入ってくれたおかげかあっという間に嫌疑は解けた。

さらにいろいろあきらかになった。


市崎は宇佐神課長の読みどおり、私が会社から帰る頃を狙って駅を見張り、一晩マンションを監視して翌朝、出勤する私を駅まで見送って家に帰っていたそうだ。

しかも夜中にマンションのベランダに忍び込んでそういう行為に耽っていたらしく、ぞっとした。

本当、よく無事でいられたと思う。

しかも彼の父親はそれなりに名の通った中小企業で重役をしており、生活費をみていたようだ。

私の引っ越し先は断腸の思いで会社へ行き、つけて帰って知ったそうだ。

最寄り駅とマンション周辺でしか見かけていないので職場は知らないと思っていたが、私がKAGETSUDOUの井ノ上七星というのは知っていたらしい。

ただ、会社周辺に行かなかったのは、万が一にも自分の職場の人間に会いたくなかったからだという。


彼が私と付き合っていると思い至った理由も、職場で上司に罵られて暴力を振るわれて倒れた際、優しく手を貸して慰めてくれたから……らしい。

それを聞いて必死に記憶をたどった結果、そういえば緑淡舎さんを訪れた際、目の前で凄い勢いでこけた人がいて、大丈夫ですかと手を貸してあげた出来事があったなと思い出した。

どうも、それが市崎だったらしい。

人として当たり前の行為をして、そんなふうに思い込まれるなんて本当に恐ろしい。

ちなみに、上司は普通に市崎の間違いを指摘したところ逆ギレして激高し、捨て台詞を吐いて逃げようとしたところ、勝手につまずいて転んだというのが真相のようだ。


市崎がどうして私をストーキングするようになったかなんて知ったところで理解もできないし、同情もできない。

それよりも勝手な思い込みで私を殺そうとした彼が、薄ら寒くて仕方なかった。

しかも警察が正しく現状を理解した今でも、自分は悪くない、自分を裏切った私が宇佐神課長と共謀し、自分を殺そうとしたと主張しているそうだ。

そういう理解の及ばない相手とは今後一切、関わり合いになりたくない――けれど。


「市崎氏は殺人未遂で起訴されるようです。

ですが、状況的に実刑は難しいでしょうね。

なので、これ」


事情聴取が終わりきたカラオケ店で、笹西さんが一枚の書類を見せてくれる。

ちなみにカラオケ店は個室で防音が効いているので、込み入った話をするのに手っ取り早いらしい。


「県外に引っ越し、今後二度と井ノ上さんに近づかない誓約書を書かせました」


じゃあ、もうこれからは本当に怯えないで生活できるんだろうか。


「けれど本人が実行に移すかどうかはお約束できません。

申し訳ない」


本当にすまなそうに笹西さんが頭を下げる。

が、そうなったときに責められるべきは彼ではなく市崎だ。


「できれば、引っ越しをして仕事も変えることをオススメしますが……」


そうか、やはりそうなるのか。

俯いて硬く唇を噛みしめた。

引っ越すのは別にかまわない。

それで無駄なお金がかかるのは腹立たしいが、安全を買うためなら仕方ない。

しかし、仕事を変わるのは嫌だ。

私はこの仕事が好きだし、職場の居心地もいい。

それに今は、大きなキャンペーンにも携わっている。

なのに仕事を辞めれなんてあんまりだ。


「大丈夫だ。

俺が絶対に守る」


ぽんぽんと宇佐神課長が私の頭を軽く叩く。

顔を上げてレンズ越しに目のあった彼は、力強く頷いた。


「仕事を辞める必要はない。

引っ越しだってしなくていい。

俺が七星を守る」


強い決意で光る彼の目は少しも揺るがない。

その気持ちは嬉しいけれど。


「でも、でも!

もしかしたら次は……!」


宇佐神課長が刺されるかもしれない。

彼の頬に視線を向ける。

そこにはやはり、大きな絆創膏のようなものが貼られていた。

病院へ行ったら縫う必要はないが、痕になるかもしれないと言われたと課長は笑っていた。

今回はこの程度で済んだが、次は……死ぬかもしれない。

あのとき、宇佐神課長が死んだらと恐ろしいほど怖かった。

軽い怪我だとわかって、安堵から膝から崩れ落ちそうだった。

もう二度と、あんな思いはしたくない。


「大丈夫だ、俺は七星を残して死んだりしないよ」


眼鏡の向こうで目尻を下げ、困ったように彼が私の目尻を指先で拭う。


「それに二度と市崎が七星に手を出さないようにする、ちょっとした考えがあるんだ。

だから、安心していい」


私を抱きしめ、安心させるように課長は軽く背中を叩いた。

甘いけれど少しスパイシーな、セクシーな彼の香りに包まれて、気持ちは落ち着いていく。


「……はい」


最後に軽く鼻を啜り、わかったと頷いた。

宇佐神課長がなにを考えているのかわからないが、でも信じていい。

彼はそう思わせるだけ、私の信頼を勝ち取っていた。


「でもいいの?

本当に?」


なぜか心配そうに笹西さんが宇佐神課長の顔をうかがう。

その手段とはもしかして、宇佐神課長が不利な立場になったり、危ない目に遭ったりするのだろうか。

だったら、無理などしなくていい。

彼の袖を引き、問うようにじっと顔を見つめる。

少し見つめあったあと、課長は私と唇を重ねてきた。


「七星はなにも心配しなくていい。

なあに、ちょっと借りを作りたくない相手に頼るだけだから、たいしたことない」


笹西さんの前だというのにキスされて、目を白黒させている私を課長はおかしそうに笑っている。

おかげで、どういうことなのかよく聞けなかった。



これでとりあえず、私に平和が訪れた――わけではなく。


「ナナ!

あの男は誰だ!?」


警察に事情を説明にきてくれた兄と宇佐神課長がしっかり鉢合わせ、……というか課長はずっと私の付き添いをしてくれているのでそうなるわけだが、めちゃめちゃ問い詰められるはめになった。


「えーっと……。

会社の上司の、宇佐神課長」


曖昧な笑顔で私は当たり障りのない紹介をしたというのに。


「はじめまして、お兄さん。

七星の彼氏の、宇佐神です」


まるで挑発するかのごとく、課長がにっこりと笑う。

それに頭を抱えたのはいうまでもない。


「ナナ!

彼氏って、彼氏って言ったぞ!

いつからあんな男と付き合ってるんだ!?」


「いいからお兄ちゃん、落ち着いて」


警察署の一角で騒いでいるものだから、視線が痛い。


「とにかく。

あとでゆっくり説明するから。

私たちはこのあと、弁護士さんとの話もあるし、お兄ちゃんはいったん帰って。

いい?」


「わ、わかった」


私の剣幕に押されたのか、それとも妹に甘い兄だからか、渋々ながら承知してくれてほっとした。

しかし、帰りながら「ナナに彼氏……ナナに彼氏……」

とぶつぶつ言っていたのが気にかかる。

近いうちに説明の場を設けなければいけないが……気が重い。

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