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第14話

「恋人であるオレを裏切った罪、償え!」


男が両手でかまえたナイフがギラリと光る。


「七星!」


反射的に身体が動いた。

彼女を庇い、そのナイフが握られている男の手首を掴む。


「いい加減にしろよ、おい。

いちざきぃ」


腹の底が沸騰して熱い。

けれど反対に頭はこれ以上ないほど、冷めていた。

ぎりぎりと手首を締め上げ、力任せに持ち上げてヤツと目をあわせる。

ヤツは怯えた目で、俺を見た。


「好きな女にこんなもの向けるなんて、どういう了見だ!」


怒りにまかせ、ヤツを怒鳴りつける。

ヤツはストーカーには違いないが、もしかしたら本当に七星を愛しているのかもしれない。

そんな考えを持っていた自分の甘さを恥じた。

そのせいで、もう少しで七星を死なせるところだった。

この怒りは男に向けたものではない、自分に向けたものだった。



七星――井ノ上七星はあの日まで、ただの部下に過ぎなかった。

頼りがいがあり、実際、仕事もできる。

自分では地味だと思っているようだが、控えめながら押さえるところはきちんと押さえたメイクは好感度が高いし、さらに顔が整っているのでそういうメイクが映えた。

誰から見ても彼女はいわゆる〝できる女〟だったし、社内のファンあいだではそんな彼女を屈服させたい勢と、弄ばれたい勢に別れていた。


俺はといえば彼女を都合のいい……げふんげふん。

頼りがいのある部下としか見ておらず、さりげなくおだてて仕事を押しつけ……お願いするだけだった。


それが変わったのはあの日、隣に越してきた七星が俺の生活にケチをつけてきた日だ。

商品研究に余念がない俺はよく実験材料に女性を連れ込んでいたが、それがふしだらだと言われた。

まあ、別に七星が誤解していたところでなんの問題もないし、適当にあしらって面白半分に迫ってみたのだが。


『ごめんなさい、ごめんなさい。

私が悪かったです』


腰が抜けたように座り込み、子うさぎみたいに怯えている彼女を見てなにか新たな扉が開いたというか。

さらに恋の百戦錬磨みたいな顔をしていて、初恋も知らない処女とか面白すぎるだろ!


そんなわけで俺は、七星をしばらくからかって遊ぼうと決めた。

――そう。

遊ぶはずだったのだ。

とある理由により、恋人を作る気はない。

一夜限りの関係も万が一、子供ができたときに面倒になるのでそれを考えたら億劫だった。

言っておくが、抱くなら責任の取れないことなどせずにきちんと避妊はするが、それでも完全には避けられない。

もしできたときは相手の気持ちを尊重し、十分な償いをする。

結婚してもかまわないし、子供はちゃんと愛する。

それくらいの覚悟はもちろんあるが、それでも〝俺の子供〟という理由で争いの火種になるのだ。

なので求められたところで得意のマッサージで沈め、避けてきた。


なのに七星は可愛くて可愛くて仕方がない。

迫られて怯えた表情を見せるたびに、もっと苛めて泣かせたくなる。

こんな感情は初めてだった。



ようやく帰ってきて部屋でひとりになり、気が抜けて玄関のドアに寄りかかってずるずるとその場に座り込んだ。

七星を不安にさせてはいけない。

俺がしっかりしなければ。

ずっとそう、気を張っていた。

俺だって警察に誤解されて殺人未遂犯にされそうだなんて、動揺した。

が、俺が狼狽えてはさらに七星が不安になるだけだ。

なので無理にでも、平気な顔をしていた。


「無事でよかった……」


俺も、七星も。

もし俺がストーカーに刺されて死んだら泣くと七星に言わせたくて直前まで躍起になっていたが、現実にならなくてよかった。

もしそうなっていたら責任感の強い七星のことだ、これ以上ないほど自分を責めていただろう。


少しして落ち着き、シャワーを浴びる。


「いてっ」


頬の傷にお湯がしみる。

鏡で見てみたらけっこうな傷になっていた。

深くはないが長いので明日、一応病院で診てもらうべきか。


雑に髪を乾かして米を研ぐ。

七星には悪いが、明日……もう今日か。

朝メシはおにぎりと味噌汁で許してもらおう。

もっとも、七星はあまり朝食を食べないのでこれくらいでちょうどいいのかもしれない。


「寝る前に、と」


ベッドに座り、携帯の画面に指を走らせる。

こんな時間にメッセージを送ったら、アイツは嫌な顔をするだろう。

しかし、少しでも早く手を打っておきたい。


「よしっ、と」


メッセージを送り終わり、いつも起きる時間までもう二時間ほどしかないのでベッドに入る。

が、興奮しているのかまったく寝付けない。


「あー」


寝返りを打ち、そっと壁に触れる。

この壁の向こうで七星が眠っているはずだ。

七星と俺を隔てる、たった一枚の壁が酷くもどかしい。


「おやすみ、七星」


少しでも七星の温もりを感じたくて、無駄だと知りつつも壁にぴったりと寄り添い、目を閉じた。

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