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第12話

そうこうしているうちに降りる駅に着いた。

駅を出ながらぴたりと身体を宇佐神課長につけ、あたりをうかがう。

そんな私の不安に気づいたのか、課長はぐいっと腰を抱いてきた。

――さらに。


「七星」


呼ばれて、足を止める。

顔を見上げると課長は私の額に、これ見よがしに口づけを落とした。


「えっ、あっ、その」


「魔除け」


右の口端をつり上げ、彼がにやりと笑う。

言いたいことはわかる、こうやって恋人がいると見せつければ諦めないかというのだろう。


「ストーカーが激高して刺されたらどうするんですか」


こそこそと話しながらマンションへの道を急ぐ。

今日も後ろから、ねっとりとした視線が追ってきた。


「んー?

七星を庇って刺されたら本望?」


少し悩んだあと、締まらない顔で彼がへらっと笑う。


「宇佐神課長はいいかもしれませんが、私のせいで刺されたとか嫌ですよ。

それに」


その考えに思い至り、足が止まる。


「宇佐神課長が死んだりしたら、私……」


そんなの、後悔してもしきれない。

それに、なにかもっと大事なものを失うような気がした。


「俺が死んだらどうするんだ?」


俯いてしまった私の顔を課長がのぞき込む。

私はそのときを想像してこんなにつらい思いなのに、少しからかうようなところのある彼にむっとした。


「どうもしません!」


課長を振り切り、勢いよく歩き出す。


「ちょっと待てって」


すぐに彼も追いつき、並んで歩き始めた。


「そうだな、俺が死んでも七星が泣いてくれなかったら死にきれないし」


「泣きますよ。

少なくとも宇佐神課長は憧れの上司なので」


「泣くんだ?」


意外そうな声にますます腹が立ち、足を速める。


「当たり前じゃないですか。

てか、宣伝広告部のほとんどの人間が泣きますよ」


私だけが特別だと思われたくなくて、普通だと強調する。


「あー、うん。

そーだな。

それは嬉しいけどな……」


課長はがっくりと項垂れているが、気づいていないフリをした。

軽く言い争っているうちにマンションに着いた――瞬間。


「オ、オマエがそんなふしだらな女だとは知らなかった!」


黒のパーカーに黒パンツ姿の、中肉中背の男が目の前に飛び出てきた。

ご丁寧にも顔を隠すようにフードまでかぶっている。


「……誰?」


宇佐神課長の声は滅茶苦茶不機嫌だが、たぶんこの男は問題のストーカーでは?

しかし課長の態度はどうも、それよりも今は重大問題――自分が死んだときに私が個人的に泣くかどうかのほうが大事だから邪魔をするなというようだ。


「だ、誰ってオレは七星の恋人だ!」


「……って、言ってるけど?」


大興奮の男とは反対に宇佐神課長は冷静……どころか少し状況を楽しんでいるのか、軽い感じで男を親指で指し、私を振り返った。

当然、古今東西、私に恋人などいたことなどないので激しく首を横に振って答える。


「違うって言ってるけど?」


見えているのにわざわざ、今度は私の返事を課長は男に伝えた。


「そんなはずはない!

オレたちは半年前から付き合ってる!」


それは心当たりがあるといえば、ある。

なぜなら、あとをつけられたりし始めたのがその頃だからだ。

しかし、なにを持って彼が私と付き合っていると勘違いしているのかはまったくわからない。


「そうなのか?」


やはりぶんぶんと首を横に振って課長に答える。


「やっぱり違うって言ってるけど?」


「嘘を言うな!

あの日、にっこり笑ってオレに手を差し出してくれたじゃないか!」


そう言われてもその出来事にはやはり心当たりがない。

それにあったとしても、にっこり笑って手を差し出しただけで付き合っているとは、理論が飛躍しすぎている。


「あれからオレはオマエを見守ってきたのに、オマエは他の男を作って引っ越しはするわ、しかも引っ越し先で今度はこんな軽そうな男を咥え込んで!」


びしっと男が宇佐神課長を指す。

しかし課長はビビるどころか俺?と自分を指し、愉しそうににやにや笑っている。


「顔がいいだけで女を取っ替え引っ替え!

七星、オマエ、騙されてるんだよ!」


ストーカーを擁護する気はまったくないが、そのあたりは半分くらい同意なだけに微妙な気分になった。

私だって友達が宇佐神課長と付き合っていると知れば、男と同じ忠告をしただろう。


「女を取っ替え引っ替えって酷い言われようだな、おい」


本当に嫌そうに課長はため息をついたが、そこは否定できないのでは?


「俺は仕事で女性を部屋に連れてきてるだけだけど?」


彼がなにを言っているのかわからなくて、頭の中をクエスチョンマークの行列が通り過ぎていった。

ストーカーの彼も同じだったみたいで、間抜けな顔をしてフリーズしている。


「そ、そんなはず、ないだろ!」


「でも、そうなんだよなー。

うちの商品でメイクしたらどんな感じか試させてもらって、使用感とか評判とか聞いて。

あとはお礼にエステとマッサージ。

で、たいてい寝落ちるから、そのまま一晩、泊めてるだけだけど?」


これのどこにやましいところがあるのだと宇佐神課長は言わんばかりだが、さすがに無理がない?

現に。


「男と女が一晩、同じ部屋で過ごしてなにもないなんてあるわけないだろ!」


つばを飛ばして男が指摘する。

まあそれは確かに、普通の反応だ。


「そ、れ、が。

あるんだな」


わざとらしく一音ずつ区切り、課長がにやりと笑う。


「そこの七星がよく知っている」


「へっ?」


突然のご指名で変な声が出た。

よく知っているって……知っているな。

課長の部屋に泊まったあの日、エステからマッサージのコースで寝落ちていた。


「ううっ。

確かに宇佐神課長のエステとマッサージは気持ちよすぎて、寝落ち必須です……」


「だろ、だろ」


満足げに課長が頷く。

けれど男は納得していないらしく、俯いて硬く握った拳をぶるぶると震わせていた。


「マッサージってどうせ、性感マッサージだろ!」


顔を上げた男がキッと私を、憎しみを込めて睨みつける。


「いえ、服は一切、脱がされませんでしたが?

変なところも触られませんでしたし」


なので不覚にも、本当にリラックスしてしまったのだ。


「ああもう!」


自分の主張が通らないからか、男はフードの中に手を突っ込み、髪を激しく掻き毟り始めた。


「別にオマエがどんな男と付き合ってようが関係ない。

それよりも、恋人であるオレを裏切った罪、償え!」


背後にまわった手が、こちらへと突き出される。

その手には大きなナイフが握られていた。


「七星!」


叫ぶように課長が私の名を呼ぶ。

男が突進してきて、避けなきゃと思うがその場に釘で足を打ち付けられているかのように一歩も動かない。

その瞬間が怖くて目をつぶったとき、私の前に課長が立ちはだかった。

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