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第10話

月曜日。


「さあ、食べろ」


「い、いただきます……」


満面の笑みで私を見ている宇佐神課長の前で、若干、引き攣った笑顔で箸を取る。

なぜか私は、課長と朝ごはんを共にしていた。


土曜はあのあと、夕飯は買ってきた冷食で済ませるか……と思っていたら、ピンポン連打された。


『うちで食べるだろ?

てか、もうできてる』


と、そのまま部屋に連行された。

メニューは私の好きなチキンのトマト煮込みをメインにしており、さらにこれにあう白ワインがあるんだと飲まされ……寝落ちた。

翌日は当然、そのまま朝食コース。

さらにいちいちチャイム押すのも電話するのも面倒臭いと、宇佐神課長が購入したスマートスピーカーが我が家に設置された。

日曜の夕飯もそれで呼び出され、さすがに今度は寝落ちずに帰ったが今日もやはり呼び出され、こうやって朝食を共にしている。


「その。

作っておいてもらってなんですが、私、普段こんなに食べないので……」


宇佐神家の朝ごはんはとにかく豪華だ。

今日は具だくさんのお味噌汁に温泉卵、冷ややこと白和え、きんぴらごぼうに塩鮭までついている。

もちろん、ご飯は炊き立てだ。


「あー、七星、細っこいもんな。

じゃあ、無理のない範囲で食べろ。

あ、味噌汁だけは完食な」


全部食べろなど言わず、理解してくれるところは大変ありがたい。

が、箸で人を指してくるのはお行儀が悪いですよ。

まあでも、ややもすれば私たちとは違い育ちがよさそうな課長だが、こういう面を見ると普通の人なんだなとなんかほっとする。


朝食を済ませ、身支度を調えてマンションを出る。

道に出てなんとなく、宇佐神課長に身を寄せていた。


「朝もいるのか?」


「……たまに」


「んー」


さりげなく、課長が周囲を見渡す。


「おっ、いたわ」


それを聞いてびくっと身体を震わせていた。

まるで見せつけるかのように彼が、私と手を繋いでくる。


「もしかしたら昼夜逆転生活してるのかもな。

七星が会社から帰ってくる頃に起きて、出勤を見届けて会社に行っているあいだ、寝てる」


「そんなまさか」


だってその生活だと、仕事をする暇がない。

私が眠っているあいだに働いている可能性も捨てきれないが、それでも生活ができるほど稼げるのか怪しい。

ああでも、今は転売ヤーとか限りなく黒に近いグレーの仕事もあるし、そういうのとか?


「ありえるだろ。

昨日の夜も一昨日の夜も、七星が怯えるといけないから黙ってたが、外見たらアイツ、いたぞ」


「ひっ」


足が止まりかけた私の手を、宇佐神課長がさりげなく引っ張って歩くように促す。

おかげで不自然に見えてはいないはずだ。


「警察行って早く片をつけるぞ」


ぎゅっと繋いだ彼の手に、決心かのように力が入る。

それだけで安心できた。


今日の宇佐神課長はいつも以上に忙しそうだった。


「おつかれさま、です」


お昼を食べる暇もなさそうな彼にコーヒーショップで買ってきたサンドイッチとコーヒーを差し入れする。

きっとこんなに多忙なのは私のせいだ。

警察に行く時間を作ろうと頑張ってくれている。


「おっ、サンキュー」


私の顔を見上げ、彼はにぱっと笑った。


「今日はちょっと無理そうだけど、明日は必ず警察連れていってやるから安心しろ」


そう言いながら彼は、サンドイッチを囓りつつパソコンのキーを打っている。


「その。

ひとりでも大丈夫なので。

明日、午後休をいただけますか」


もう宇佐神課長が事情を知っている今、私ひとりなら時間を作って警察へ相談へ行くのも可能だ。

忙しい彼にそこまでさせる必要はない。


「ばーか。

俺が。

心配なの」


「あう」


持っていたボールペンの先で彼が私の額を突く。


「明日、絶対警察連れていってやるから大丈夫だ。

その代わり、ちょっとばかし仕事振るけど、頼むな」


「わかりました!」


私の顔を見て軽く頷いたあと、宇佐神課長はまたキーを打ち始めた。

私も自分の席に戻り、指示を確認する。

私のために時間を作ってくれているのだ、仕事を振られるのなんて問題ない。


「宇佐神課長、『緑淡舎』りよくたんしや西坂にしさか様より二番です」


「ありがとう」


いつもは気にしない電話の取り次ぎが、なぜかそのときは気に留まった。

緑淡舎とは少し前に、弊社の化粧品の特集を組んでくれた出版社だ。

西坂さんはそのときの雑誌の編集長だったはず。

あのあと、あそことはお付き合いはないけれど、また新規広告の話でもあったのかな。


「私は出てきますので、あとはよろしく頼みます」


そのうち、宇佐神課長が鞄を持って立ち上がった。

私の席の後ろを通る際、肩を叩いてくる。


「帰ってくるから待ってろ。

遅くなりそうなときは連絡するから、タクシーで帰れ」


「かしこまり、です」


わざと若干、ふざけて返事をする。

笑った私を見て、彼も笑い返してくれた。


「じゃ、いってくる」


彼が身を屈め、身体を近づけてくる。

まさか、会社でキスする気かと身がまえたが。


「ここ。

数字、間違えてるぞ」


「うそっ」


画面の指を指された場所を慌てて確認する。

見てみると桁がひとつ多かった。

教えてくれて、ほんとに助かった。


「気持ちはわかるが、落ち着いてやれ。

絶対に俺がなんとかしてやるから」


「……はい」


柔らかく課長の手が私の頭を軽くぽんぽんし、思わずその顔を見上げていた。


「ん?」


私の視線に気づいたのか、軽く彼が首を傾げる。

しかしすぐに自分のやった行動に気づいたのか、みるみる耳が真っ赤に染まっていった。


「い、いってくる!」


怒ったように言い、足音荒く今度こそ課長が出ていく。


……無意識だったんだ、あれ。


ストーカーのことを考えて沈みがちな気分だが、ちょっとだけ機嫌がよくなっていた。

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