「んー……。
へっ?」
寝返りを打って抱きついた温かいものに驚き、いっぺんに目が覚めた。
目を開けると隣でそよそよと気持ちよさそうに宇佐神課長が眠っている。
「ぎゃーっ!」
それを見て理解が追いつかず、つい悲鳴を上げていた。
「……なんだよ、朝から猫が絞め殺されるような声上げて……」
まだ眠そうに課長のまぶたが開く。
手を伸ばして近くの棚から眼鏡を取って彼はかけた。
「おはよう、七星」
私と目をあわせ、彼がへらっと実に締まらない顔で笑う。
「あっ、おはようございます。
……じゃなくてですね!」
反射的に挨拶をしたが、すぐにこの異常事態を思い出した。
「な、なんで私が、宇佐神課長と一緒に寝てるんですか!?」
「んー、昨日、七星が俺のベッドで寝落ちたからだろ」
ようやく寝起きの頭もクリアになってきて、状況がつかめてくる。
そういえば昨日、宇佐神課長のマッサージを受けて寝落ちましたね……。
「起こしてくれたらよかったのに!」
「えー?
すっごい気持ちよさそうに眠ってるのに、起こすのは可哀想だろ」
それは……確かに、私も起こしづらいかも。
「そんなことより」
再び眼鏡を外し、棚に置いた彼が隣をぽんぽんと叩く。
「まだ起きるには早いから、もう一度、寝ろ?」
にこにこ笑って促してくるが、そんなのできるはずがない。
「えーっと。
私は帰らせていただき……」
「いいから、寝ろ」
そろりとベッドから出ようとしたが、彼の手が身体にかかり強引に寝かされた。
「昨日も遅かったし、まだ眠いんだ。
おやすみ、七星」
ちゅっと私にキスし、抱き枕よろしく抱きしめたかと思ったら、課長は再びそよそよと気持ちよさそうに寝息を立てだした。
「……ハイ?」
これは一体どういう状況なのか、いまいち理解できない。
それに帰ろうにもがっちり抱きしめられていて、びくともしないし。
仕方ないのでおとなしくしているうちに、私もまた眠っていた。
次に目が覚めたとき、すでにベッドに宇佐神課長はいなかった。
リビングへ行くとキッチンで料理をしている課長が見えた。
「おっ、いいタイミングで起きてきたな。
もうすぐできるから、顔洗ってこい」
いい匂いがあたりには漂っていて、食欲を誘う。
しかし。
「えっ、そういうわけには……!」
昨晩に続き朝食までごちそうになるとか、申し訳ない。
「いいから。
鍵は開けておくから、さっさと顔洗ってこい?」
視線で早く行けと彼がドアを差す。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「うん」
満足げに頷き、課長は料理を続けている。
その脇を抜けて、自分の部屋に帰った。
顔を洗いながらふと、身体も心もここしばらくないくらいリラックスしているのに気づいた。
きっと昨日、課長が相談に乗ってくれ、マッサージもしてくれたからだ。
「お礼、しなきゃな」
鏡の中で笑う私にはぎこちなさがなく、嬉しそうだった。
「おじゃましまーす……」
今回はチャイムは鳴らさず、おそるおそる隣のドアを開ける。
「おー、できたぞー」
リビングから課長の声がする。
テーブルの上には和食の朝食が並べられていた。
炊きたてのご飯と具だくさんなお味噌汁、切り干し大根の煮物と卵焼きに大根おろしののった厚揚げ、さらにほうれん草のおひたしまである。
「……旅館の朝ごはんみたいですね」
それを見た感想がそれだった。
私の朝ごはんなんてヨーグルトをかけたシリアルとコーヒーだし、実家もやはりそんな感じだった気がする。
いっておくが母はお弁当作りが忙しくて朝食作りにまで手が回らなかっただけだ。
反対に毎日、立派なお弁当を持たせてくれていた母には感謝している。
「そうか?
俺はいつも、こんな感じだけど」
「へー……」
これが当たり前という感じの彼を見て、微妙に笑顔が引き攣った。
昨日の晩ごはんといい、自分は料理ができるアピールですか?
すみませんね、料理が苦手で。
「切り干し大根は作り置きだし、味噌汁も出汁は顆粒出汁だしな。
そんなに手間はかかってないぞ」
「へー……」
促されて箸を取る。
素材には拘り、化学調味料は使いません!とかいう意識高い系ではないのには安心したが、そういういわゆる〝普通の〟料理ができる彼に軽くコンプレックスを抱いてしまった。
「食ったら買い出し行くぞ」
「へ?」
食べながら自然に宣言され、変な声が出る。
「えっと。
宇佐神課長と一緒に、ですか?」
「食材、もうほとんどないんだ。
買い出しに行かないと」
さも当然というふうに言い、彼は味噌汁を啜った。
「なんで私も一緒に行かなきゃいけないんでしょうか?」
荷物持ち……とかいうのなら、嫌だけれど理解する。
けれど、彼の口から出たのは予想もしない答えだった。
「これからは俺が食事を作ってやる。
接待とか入った日はあれだが、そうじゃない日はうちでメシを食え」
「……ハイ?」
理解が追いつかず、首が斜めに傾く。
どうして私が、課長にごはんを食べさせてもらわないといけないのだろう?
「毎日弁当はいろいろ心配だ。
いや、弁当を食ってるならまだいいが、七星は面倒臭くなってゼリー飲料とかで済ませてそうだし」
「うっ」
見ている、私の生活を見ているのか!?
例のストーカーもだが、宇佐神課長も要注意人物では?
いや、朝のゴミ出しで私のゴミを見ているんだし、ゼリー飲料の空容器がそこそこ入っているとなればわかるか……。
「でも、一緒に行く必要はないのでは……?」
「昨日、魚のにおいがダメなのはわかったが、他にも苦手なものがあるかもしれないだろ?
一緒に行けばわかる」
これで解決だと彼は頷いているけれど。
「それはそうなんですが。
でも、毎日食事を作ってくれるとか、そこまでしていただくわけには……」
課長が私の食生活を心配してくれているのはわかる。
しかし、私はただの部下なのだ。
「言っただろ?
俺は料理を作るのが好きで、誰かに食べさせるのが好きだって」
「はぁ……」
確かに昨日、そんなことを言っていたような。
けれどやはり、毎日はやりすぎだと思う。
「あと、俺は本気で七星を落とす気だからな。
まずは胃袋を掴む」
意味深に彼が片目をつぶってみせる。
それを見てボッと顔が熱くなった。
「えっ、あの。
前に彼女になったら宇佐神課長の女性関係を喋らないとかなんとか言ってましたけど、別に誰かに話したりしませんが……」
私に人の秘密を会社でべらべら喋ってまわるような趣味はない。
だから課長の心配は杞憂なのだ。
「ん?
それはここしばらくの七星を見ていたらわかってるが」
ならなんで、この人は私を本気で落とそうなんて考えているんだろう?
「なんか会社ではみんなに頼られるできる女って感じなのに、実際は恋もまだな純情処女とかギャップが」
くすくすとおかしそうに笑われ、羞恥でほのかに顔が熱を持っていく。
「……そんなに笑わなくても」
「わるい、わるい」
小さく咳払いし、課長はその場を仕切り直した。
「俺はそういう七星が可愛くて、俺のものにしたくなったの。
だから目一杯お世話して可愛がるから覚悟しろ」
レンズの向こうから課長がじっと私の目を見つめる。
少し細められた目は艶やかに光っていて視線は逸らせない。
どくん、どくんと心臓が自己主張を繰り返す。
彼の手が伸びてきて、そっと私の頬に触れた。
「……ついてた」
口端についていたであろうご飯粒を摘まみ、課長の手が離れる。
見せつけるようにそれを、彼は口に入れた。
「えっ、あっ、はあぁぁぁぁぁーっ」
いっぱいいっぱいになった私はその場にへたり込んでいた。