翌朝、私たちはそろって薬師寺家の屋敷から離れたとある建物の前にやって来ていた。
昨晩の妖狐の話から、どうにも腑に落ちないところが多いと感じたのだ。
「なんだここは?」
妖狐は建物の前で首をかしげる。
一応は薬師寺家の敷地内ではあるのだが、屋敷からはあまりに離れていた。
屋敷から徒歩十五分はかかるこの建物は、薬師寺家の広大な敷地の端の方に位置している。
極端に古くなった木造の蔵のような建物。
二階建ての蔵は、周囲の木々にも負けない高さを誇っている。
「ここは薬師寺家の歴史が詰まった倉庫よ。基本的に大事な歴史に関する書物は屋敷に持ってきてあるみたいだけど、もっと細かいことや古い物はここにあるって母上が言ってたの」
「だからここなら結界についてなにか分かるかもってことだね」
私の説明に影薪が補足する。
ここならという願望に近い思い。
「前に一度だけ来たことがあったけど、まさかもう一回来ることになるとは思わなかったな~」
前に来た時は、母上に連れられてだったはずだ。
妖刻に関する書物を探しに来たのだけは憶えている。
そして中はとんでもなくかび臭かったことも。
「開けるよ」
私は古い南京錠を解錠する。
薬師寺家の敷地内、しかも屋敷から離れたひっそりとしたこの場所に人が来るとは思えないが、一応大事な情報もあるかもしれないということで、呪力で反応する南京錠がつけられている。
私は重苦しい金属のドアを押し開ける。
思った以上の重量に苦戦している私を見兼ねてか、妖狐が私のうしろから手を伸ばしてドアを押し開けた。
金属の擦れる音と共に、知の宝庫への扉が開かれた。
「くっさ!」
影薪は中から漂ってきたカビの臭いに顔をしかめる。
私も妖狐も同じく顔を歪ませながら中に入った。
室内には本棚が所狭しと並んでいた。
左右の本棚には主に薬師寺家の歴史についての書物が延々と並んでいる。
さらに本棚の裏側には、当時の薬師寺家の者たちの日記なんてものまで存在している。
蔵の一番奥には二階に続く梯子があり、その梯子の壁際にも本棚がある。
そこには薬師寺家の呪法に関する書物が収められている。
「本当にすごい量だな」
妖狐は感心した様子で蔵中を見て回る。
興味津々といった様子で、適当な書物に手を伸ばしてはページをめくっていた。
影薪はもう飽きてしまったのか、あっという間に二階へと行ってしまった。
本当に自由な子……。
「昔は紙に残すしかなかったからね」
今ではデータにするという手段もあるのだろうが、やはり何百年も続く薬師寺家の歴史は書物という形がしっくりくる。
しかしこのカビ臭さはなんとかならないのだろうか?
「定期的に掃除したりしないとどんどんひどくなるぞ?」
「分かってるんだけどさ……」
妖狐と私は自然な距離感でいるはずなのに、昨夜のことがあってから少し気まずいというか距離感が分からなくなってしまった。
私は自分が許せないだけ。
でもそれは妖狐も同じこと。
せめて彼の自責の念を取っ払ってあげたい。
そんな気持ちで大量にある本たちの背表紙を凝視する。
どれも違うのだ。
結界について書かれていそうな書物がない。
薬師寺家、一〇〇年の歩み。
これじゃない!
薬師寺家、秘伝の呪法の作成秘話。
ちょっと興味はあるがこれでもない!
小一時間ほど経っただろうか?
二階へ続く梯子に手をかけた時、梯子の途中ぐらいの高さにある棚が目に入った。
そこにも数冊、無造作に置かれている。
おまけに他の書物よりも明らかに汚い。
なんというか粗末に見える。
本というより、紙の束みたいな感じ。
だけど私はなぜかそれに惹かれて手を伸ばす。
「捕らえた妖魔について?」
紙の束のタイトルにある、捕らえた妖魔が妖狐のことだと理解するまでに時間はかからなかった。
私は途中で二階に上がるのをやめて下に降りる。
「俺のことか?」
「たぶん」
私は焦る気持ちを抑えてページをめくる。
中には当時の妖狐のことが書かれていた。
小さな子狐の妖魔を誑かして地下牢に捕まえたと書いてある。
この子狐が妖魔たちの王の子どもであることにすぐに気づいた当時の当主は、妖狐を地下牢に閉じ込めた。
ここまでは私の知っている情報とまったく一緒。
しかしその次のページから、雲行きが変わってきた。
「小さくても強力な呪力を持っていたから特別な結界を張ることにした?」
ある一文を私は声に出す。
特別な結界?
違和感はない。
妖狐ほどの妖魔を縛りつける結界だ。
特別であって当たり前だ。
昨日の次元ポケットでの戦いではっきりした。
彼を押さえつけられる結界なんてありはしない。
「続きは?」
気づけば二階で寝ていたはずの影薪が私の足元にやって来ていた。
流石の影薪も好奇心が勝ったらしい。
「結界は通常の呪法では耐えられそうにない。だから結界に生贄を捧げることにした……。生贄?」
私は血の気が引いていくのを感じた。
生贄。
恐ろしい二文字だった。
現代ではおよそ聞くことのない言葉。
だがこの書物にははっきりと書いてある。
「地下牢は薬師寺家の伝統的な呪法が幾重にも張り巡らされているが、通常の結界では封じ込めて置ける時間は限られている。妖狐を地下に監禁し、妖刻の際に妖魔たちを誘い出さなくてはならない。これは国とのやり取りの結果決まった計画だ」
私は音読しながらゾッとした。
国とのやり取りで決まった計画。
この時点で、当時の薬師寺家当主に自主権は存在しないことになる。
きっと当時は今よりも国の干渉が激しかったに違いないのだから。
「結界の維持には人の命でも捧げないと難しい。だから結界に侵入者の魂を奪う呪いを……」
そこで私は本を手放した。
意図的ではない。
本を握っていた私の右手が震えていた。
侵入者の魂を奪う呪い?
生贄ってことは、それってわざと人を中に押し入れたりしてたんじゃ……。
「葵!?」
眩暈がした。
眩暈がしてよろけた私を、妖狐が背後から支えてくれた。
怖かった。
妖魔よりも結界よりも、こんな発想に至る人間が怖かった。
同時に、当時の人間たちの妖魔への恐れが伝わってきた。
きっといまよりも妖刻を重く受け止めていたに違いない。
だから妖狐を絶対に逃がすわけにはいかなかったのだ。
「ちょっと休みたい」
「一度出よう。ここは空気が悪い」
妖狐が力の抜けた私の体を抱えて蔵の外に連れ出した。
外に出た私はできるだけ蔵を見ないようにして、大きく息を吸う。
ちょっとずつ落ち着いていくのが分かる。
密着している妖狐の体温が私を落ち着かせる。
「そっか……私のお父さんは過去の人間に殺されたのか」
私は気づけばそう呟いていた。