「それで、話してくれない? 気になって眠れないんだけど」
次元ポケットにてコレクターを倒した私たちは薬師寺家の私の部屋に戻ってきていた。
美月さんが眠気眼で出迎えてくれたが、寝ててくださいと睡眠を促し今に至る。
「はぁ……やっぱり話さなくちゃダメか?」
「当然よ」
気まずそうな妖狐と、腕組をして話を急かす私。
影薪は私の布団の上でグースカと寝息を立て始めていた。
「きっと葵は俺のことを嫌いになる」
「そんなことないって!」
私が妖狐を嫌いになる理由が思いつかない。
今回の次元ポケットで行動を共にしていてよりはっきりした。
私は妖狐を異性としてちゃんと好きなのだと。
前から分かっていたことだけれど、その気持ちがより強くなった。
だから今さら妖狐からどんな過去を話されたところで、私のこの気持ちが揺らぐことはない。
「そこまで言うなら……」
妖狐は真剣な面持ちで深呼吸をする。
一体どんな罪滅ぼしなのだろう?
あれだけ余裕で妖魔を殺す彼が、ここまで緊張しているのだから気になって仕方がない。
「葵、お前の父親が死んだのは俺のせいなんだ」
妖狐の言葉は私の耳に反響する。
妙に耳に残る。
私のお父さんが死んだのは妖狐のせい?
どういうこと!?
ダメダメ、全然ダメ! まったく理解できない!
「一体、どういう……」
言葉は続かなかった。
なぜか瞼が濡れていて、視界が滲む。
全然、泣くつもりなんかなかったのに、予想だにしない言葉に眩暈がした。
「地下の封印は俺を閉じ込めるためのもの。それは正しい。だが、他の人間が出入りしないのには明確な理由がある」
「明確な理由?」
私は思考の止まった脳で言葉を捻りだした。
明確な理由?
禁じられているからとか、妖狐が怖いからとかではないのか?
「そうだ。禁じられている理由は、薬師寺家当主以外が立ち入った場合、封印されている俺が自動的にその者の生命力を吸いつくしてしまうためだ」
生命力を吸いつくす?
それではまるで、まるで妖狐がお父さんを吸い殺したみたいな言い方じゃないか。
でもあり得ないはずだ。
お父さんは妖魔に殺されたと聞いている。
それこそ妖刻で妖魔に殺されたものだとばかり……。
「あり得ないわ! お父さんは妖魔に殺されたと聞いているし、お父さんだってそれはお母さんから聞いているはずだもの! みすみす地下牢なんかに立ち入るわけ……」
自分で言っていて気がついた。
もしもの可能性に気がついてしまった。
そうだ、地下牢は当主以外は立ち入れない禁忌の場所。
だけれど私はどうだろう?
私は前に一度だけ地下牢に入ってしまっている。
じゃあどうして私は生きている?
なぜここで妖狐と話せている?
仮に妖狐の話が本当なら、私はここにいるはずがない。
とっくの昔に妖狐に取り込まれて死んでいるはずだ。
じゃあ、私がいまこうしてここにいる理由は……。
「もしかして……私?」
私は理解してしまった。
妖狐がなぜあそこまで言いたがらなかったのかも分かった。
自分が私に嫌われるかもしれないだなんて嘘だったんだ。
そんなことだけで、保身のために口をつぐんだりしないのが妖狐という男だ。
なら彼が口をつぐんだ理由は明白じゃないか!
「私のせいでお父さんが死んだの?」
「違う! 決してそうじゃない! 吸い殺してしまったのは俺なんだ!」
ああ確定だ。
妖狐が必死に否定すればするほど、それが事実だと言っているようなもの。
地下牢に入るとどうなるか知っているはずのお父さんが入り込んだ理由は簡単。
まだ幼かった私が意味を理解せずに地下牢に立ち入ったから。
お父さんは慌てて私を地下牢から外に連れ出してくれたのだ。
だが妖狐の呪力を知れば知るほど、すぐに外に出たからといって許されるわけがなかったのだ。
見逃してくれるはずがなかったのだ。
無意識とはいえ、強すぎる妖狐という個体が対価として私のお父さんを吸い殺した。
「でも、それは無意識でしょ? 結局私が悪かったんだ。私が地下牢に勝手に入り込んだせいでお父さんは……」
もう、ダメだった。
耐えられなかった。
ここで泣き出してしまえば、妖狐はきっと自分を責めるだろう。
それが分かっていても、私は自分の胸の内から湧き出る激情を抑えることができなかった。
滴がカーペットに染みを作る。
私の嗚咽が影薪の寝息をかき消した。
「落ち着け葵。だから言いたくなかったんだ」
ふわっといい匂いがした。
震える私の体を、暖かく逞しい妖狐の体が包み込んだ。
背中に回された腕に力が込められたのを感じる。
心から安心する匂いと温もり。
あれだけ張り裂けそうだった胸が落ち着いていくのを感じる。
「妖狐?」
「これを言ったら葵は自分を責めることになると分かっていたから……」
私の耳元で彼の声が震えていた。
まるで悪いことをしてしまった子供のように。
許しを願う罪人のように。
もう、なんで貴方がそんな声を出すのよ……。
「じゃあ私が何度もアピールしていたのに素っ気なかったのって……」
「俺にそんな資格はないと思ったんだ。俺は葵の父親を殺した。下手したら葵を殺していたのかもしれないんだ。だから俺はお前のそばに居る資格はないと思って……」
妖狐が初めて本音を話してくれた気がした。
やっと本当の妖狐を垣間見た。
すっと胸の内に激情が落ちていく感じがした。
どことなくよそよそしかった妖狐が、ようやく真剣に向き合ってくれた気がしたのだ。
「そう……。でも私は複雑ね。お父さんを死に追いやったのが自分であり、貴方であり、結界であり……。何を憎めばいいのかも分からない」
私の中の感情はぐちゃぐちゃだ。
悲しみや怒りというよりも、混乱といったほうが適切かもしれない。
言い切れない感情の濁流が、私の胸中をざわつかせる。
深い深い暗闇に落ちてしまったみたいだ。
「恨むなら俺だぞ?」
妖狐は再度、私の怒りの矢印を自分に向けようとする。
客観的に見ればそうなのかもしれないが、私の中で納得がいかない。
決して妖狐だけのせいではない。
幼い頃の私がそんなところに入り込んだのが直接の原因なのだ。
彼を糾弾する資格はない。
もう一度断言する。
お父さんを死に追いやったのは私だ。
「いいえ、呪うなら私よ」
ああ、呪力が練れない今の自分がもどかしい。
もしも練れていたのなら、自分を呪い殺していただろうに……。
「葵、物騒なことを考えてる?」
影薪の声がした。
気づけば影薪は起き上がり、憐れむような目で私を見ていた。
「物騒? 自分の父親を殺してしまった私の考えが?」
「だから違うと言っているだろ!」
妖狐が必死に私の気持ちを否定する。
その気持ちは嬉しい。
けれど違うんだ。
これは私の中の問題だ。
不思議と怒りの矛先が彼に向かないのは、やっぱり妖狐のことが好きだからなのかな?
罪の意識の方が何倍も大きいせいか、気持ちはやはり私に向いている。
「でもね葵、あながち妖狐の言っていることも間違っていないんじゃないかな?」
「どういうこと?」
影薪の言葉に私は視線を上げる。
まだ涙は頬を濡らしていた。
「あたしは葵の式神だから、当時の葵の身に何が起きたかは知っている。だけどね、葵のお父さんが亡くなったあの事件の原因は、本当の意味では分かってないんだよね」
「妖狐が無意識に殺してしまったんじゃないの?」
私は影薪の言葉に抵抗する。
だってそうでしょう?
妖狐は自分でそう告白し、自分の今の行いを罪滅ぼしとまで言っているのだ。
「それも怪しいよ? だって妖狐ほどの妖魔が自分の力を制御できないとは思えないんだよね」
言われてみれば……そうかもしれない。
そんな感想を抱いた。
あれだけ呪力操作に精通している妖狐だ。
封印されているという特殊な状況下だからかと納得していたが、言われてみればどこかおかしい。
「何か原因があるんじゃないかって、あたしは思うんだよね。例えば、誰かが結界に細工したとかさ」
誰かが結界に細工をした。
可能性としては低いだろうけれど、あり得ない話ではない。
妖狐が自分の呪力を制御できないわけがない。
つまり、わざと私のお父さんを吸い殺した可能性もあるが、彼の地下牢に通っていた私からすればそっちのほうがあり得ない。
というより信じたくない。
それだけ私にとって、妖狐は大きな存在なのだ。
「明日調べてみる?」
影薪の提案に私と妖狐は黙って頷いた。
調べて何が分かるのかは不明だが、何もしないよりは何倍もマシだ。
少なくとも、妖狐の容疑だけでも晴らしたい。
どうであれ私がお父さんを死に追いやったという事実は変わらないのだから。
だったらせめて、妖狐には心置きなく頼れる存在でいてもらいたいのだ。
「もう少し、そのままで……」
私は妖狐の腕の中で、暗闇に心を沈ませた。