妖狐が一気に呪力を解き放った。
正直、寒気がした。
妖刻の際に地下牢の封印を破って出て来た時と同じ質量。
つまり妖狐は怒っているのだ。
「恐ろしいほどの呪力だ。流石に鵺が心酔していただけのことはあるな」
「お前の名はなんという?」
妖魔の感想に、妖狐は意に介さずに名をたずねた。
「俺に名はない。名前など不要だ」
妖魔は名乗らなかった。
名前がないなんてことはないとは思うが、名乗る気がないのなら仕方がない。
「ではコレクターとでも呼ばせてもらおう」
「なぜ俺の名称にこだわる?」
妖魔は不思議そうに妖狐にたずねた。
私も気にはなる。
これから殺す相手。
名前などある意味どうでもいい。
「お前みたいな雑魚、名前でも聞いておかないと忘れてしまいそうだ。記憶に穴ができるのは好ましくないのでな」
妖狐は射殺すような視線でコレクターを睨み、答えた。
私からしてみれば、コレクターはどう見ても強力な呪力を放っている。
下手したら貴族位の妖魔と遜色ない力だ。
それを雑魚と言い切れる妖狐はどれだけ強いのだろう?
「口だけは達者だな、元妖魔の王よ」
「妖魔の王など、いまの俺からしてみれば不要な称号だ。むしろ蔑称とすら感じる」
妖狐はゆっくりと歩き出した。
隙だらけに見えるその姿に、私は心配のあまり声が出そうになる。
「貴様に俺の芸術が分かるまい!」
「御託はいい。来い」
妖狐の最後の挑発が合図となった。
コレクターが呪力を解放する。
漆黒の呪力があふれ出し、コレクターのまわりを循環し始める。
「我が眷属たちを見てから大口を叩くがいい!」
どうやらコレクターは召喚を多用するタイプの妖魔らしい。
私が戦えていたら、お互いの眷属の殺し合いになるところだったが、生憎といまは戦えない身。
妖狐の戦い方は分からないが、単純な呪力量だけでいえばコレクターと互角に映る。
コレクターが周囲に放った呪力から怪物が姿を見せる。
強さは分からないが、不気味さだけでいえばこれまで見てきた怪物の中でもダントツだ。
巨大な真っ白な顔が出てきた。
顔だけで私たちと同じくらいの大きさはある。
表情はコレクターと同じく黒い包帯で覆われているため窺い知れない。
「とんでもないのが出て来たね」
影薪が恐怖のあまり私に抱き着いたまま囁く。
あの飄々としているこの子がこれほど怯えるのだから、私があの怪物に恐怖心を抱いていても不思議じゃないよね?
「ずいぶんと醜いものを使役するのだな?」
妖狐の言葉通り、不気味さと同程度に嫌悪感を抱かせる風貌だった。
巨大な真っ白な顔に黒い長い髪が垂れ下がっており、そこから下に胴体はない。
胴体の代わりに無数の手足がランダムに生え揃い、その数は数えるのを諦めさせるほどだった。
「醜い? この芸術が分からないのか!?」
コレクターは信じられないと言いたげだった。
冗談じゃない。
信じられないのはこっちだ。
あんな気持ち悪いものを呼び出しておいて、なにが芸術なんだか。
「俺には分からないし、分かりたくもない。それで、その化け物でなにをするんだ?」
妖狐は余裕の態度を崩さず、怪物に向かって歩き続ける。
「こうするんだよ!」
コレクターが叫ぶと同時に、怪物の手足が一斉に伸び始めた。
一本一本の手足が肥大化し、まるで木々のように太く長く伸び始める。
それらがバラバラに妖狐に襲いかかってきた。
妖狐は顔色一つ変えず、軽快なステップで全てを躱していく。
最低限の動作で躱し続けるその様は、まるですべて見切っているように見えた。
「これだけか? なんの芸もないな。芸術でもなんでもない。こんなのは茶番と言うんだ」
妖狐が指を鳴らすと、金色の呪力が漂いだした。
「な、なんだ?」
コレクターは困惑の表情を浮かべていた。
無理もないことだ。
私だって対峙していたら同じ表情を浮かべていただろう。
何かが起きる気配はないのに、呪力の質と量だけは爆発的なのだ。
見えない強大な何かこそがもっとも恐ろしい。
「気づかないか? もっとお前ご自慢の”芸術”とやらを見てみろ」
その言葉に私と影薪も視線を怪物に集中させる。
怪物は少しの沈黙の後、徐々に苦しみだした。
やがてじたばたと暴れだし、聞くに堪えない断末魔をあげはじめる。
「手足が……」
私が呟くよりも早く、怪物の無限とも思えた手足が顔から少しずつ引きちぎられ始めていた。
苦悶の声はそのたびに大きくなっていく。
怪物の悲鳴がひたすらに響く。
何かに引っ張られているかのように、怪物の手足が引きちぎられていく光景。
引きちぎられるたびに絶叫と血飛沫が飛び散った。
「貴様! なんてことを!」
コレクターは発狂したかのように叫んだ。
奴からしてみれば許せない行動なのだろう。
手足を集めていた奴からしてみれば、自分の芸術品の手足が引きちぎられていくのは耐えがたい侮辱だ。
「なんてこと? 特別何もしていない。俺の呪力に耐えられなくなったそいつが自滅しているだけだ。俺は何もしていない。それに、お前だって散々人の手足を引きちぎっていたではないか。人にやっておいて自分は嫌なのか?」
妖狐は意趣返しのつもりか、嫌味ったらしく言い放つ。
「お前の博物館でも作ってやろうか?」
妖狐が残忍な笑みを浮かべると、巨大な顔の怪物から手足は全て引きちぎられていた。
顔だけとなった怪物は地面に転がり、無様にピクピクとヒクつくことしかできない肉塊と化していた。
「こうしてみると何を作っていたのか分からなくならないか?」
妖狐がもう一度指を鳴らすと、怪物の中心から金色の呪力が溢れ出て一瞬で爆発してしまった。
周囲に肉片が飛び散る。
私のところにも飛んできたが、いつの間にか用意したのか、妖狐の呪力による結界が私を肉片から守った。
私は妖狐の強さを勘違いしていた。
彼の恐ろしいほどの呪力の質と量はもちろん脅威だが、一番恐ろしいのは何をしているのか分からないところ。
貴族位の妖魔と対峙して分かったことは、どんなに強力な妖魔でもいつ何をしたのかは最低限分かるということ。
何をされたのか分からないなんてことは一切なかった。
しかし妖狐は違う。
いつどんなことをしたのかが分からないまま、結果だけが着々と妖狐の勝利に近づいている。
つまり呪法の発動が速すぎるのだ。
「今度はお前の番だなコレクター」
妖狐は最初から一切歩くペースを変えずに呟いた。