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第四十四話 怪奇団地


 平野さんの車に乗り、私たちは事件現場に向かう。

 場所は警察署からかなり離れている。

 警察署が徒花町の東区域に位置するとすれば、事件現場はその反対側。

 西区域にある閑静な住宅街。

 そこには徒花町の闇が広がっている。


 この地域では間違いなく中心街として栄えている徒花町ではあるが、富む者がいれば困窮する者がいるのが世の常なのか、ここはそういう地区だった。


「ここは生活保護者が集められた団地が立ち並んでいます。葵さんは初めてみますよねきっと」

「ええそうね。そういう団地があること自体も初めて知ったわ」


 私は平野さんの言葉に同意した。

 生活が苦しい人が住むための団地。

 困窮という状態を私はあまり知らない。

 というより全く知らないで過ごしてきた。


「薬師寺家はお金はあるもんね」


 目立たないように影に潜っていた影薪が、器用に頭だけを露出させてクスクス笑っている。

 相変らずの性格の悪さにホッとしている。

 もしも私に呪力があれば、少しだけしつけもできただろうに。


「薬師寺家は政府認定名家の一つですしね。それなりに支給額も多いはずです」


 平野さんは嫌味とかではなく、事実をシンプルに述べた。

 そして彼の言う通り、薬師寺家をはじめとした四大名家は国から一定の金額を支給してもらっている。

 なぜなら定職につく暇などないからだ。

 そんな暇があれば鍛錬を積み、妖魔事件の解決に邁進しなくてはならない。


「結構もらえるのか?」


 思わぬタイミングで妖狐が口をはさむ。

 彼がお金に興味があるとは思わなかった。

 ちょっと意外かも。


「まあ不自由ないくらいね。一般からしたらお金持ちの部類じゃないかしら?」

「四大名家の方々には命を張ってもらっているのです。正直、妖魔に関わるようになってからいくら支給されたとしても割に合わないと思ってしまいますね」


 平野さんの見解は思いのほか好意的だった。

 あまり理解のない人からは、税金泥棒扱いされることもあるというのに、少しほっとした。


「いい心がけだ。国がそういう考え方であれば過ごしやすかろう?」


 妖狐は平野さんの意見に賛同する。

 何か妖狐からしてみても思うところがあったのだろうか?


「妙にお金のことには饒舌ね」

「現代の日本でも、お金の大切さは同じようだからな。共通言語があると話しやすいものだ。それに歴代の当主たちの中に、予算について頭を悩ませていた者もいたからな。少しだけ心配していたんだ」


 過去の当主たちの中には、そういった形の苦労をした人がいたのかと思うと内心複雑だ。

 そういうのを知ると本当に自分は恵まれていると感じてしまう。

 私は今のところ金銭面で困ったことは一度もない。


「そろそろ着きます」


 平野さんが運転する車は当然の如く覆面パトカー。

 私たちは警察ではないのだし、平野さんも厳密にいえば普通の警察とは職務内容が違うため、大っぴらにパトカーで突き進むわけにもいかない。

 それに調査というのは目立たないというのが絶対条件だ……なのに。


「めっちゃイケメンじゃない?」


 時刻は午後五時を指し示し、この閑静な住宅街に帰宅する学生やサラリーマンの影が増えてきた。

 団地があればそこに住まう人がいるわけで、それ自体は構わないのだが、どうしたって和服の私と妖狐は目立ってしまう。

 私はため息をついて、黄色いテープで入り口が封鎖された団地を見上げた。


「ここが事件現場ね……」


 一目見ただけで分かった。

 これは普通の団地ではない。

 明らかに呪力の気配がする。


 私たちの背後を、帰宅途中の学生たちが何事もなかったかのように通過した。

 彼らの話題は最近流行っている音楽やドラマのこと。

 日常の象徴が私たちの背後を歩いている一方で、非日常の空間が目の前に存在している。

 なんという違和感だろう。

 ここまで日常に溶け込んだ非日常が存在するだなんて思わなかった。


「葵、用心して」

「分かってる。これは明らかに次元ポケットね」

「次元ポケットですか?」


 影薪と私の真剣な様子に、平野さんも眉間にしわを寄せて目の前の団地を睨む。


「ええ、呪力の歪みによって生じた人間界と妖界の狭間。泡沫の空間。それが次元ポケット。前に見たやつには貴族位の妖魔がいたけれど、今度はどうかしらね?」


 私は背中が汗で湿っていることに気がついた。

 暑いわけがない。

 いまは冬真っ盛り。

 クリスマスを終えたばかりだ。

 さっきの学生たちも冬休みだろう。


 だからこれは緊張だ。

 自分が呪力を練れないというこの状態が、ここまで自分を不安にさせているとは思わなかった。

 初めて無くて困ったと思えた。

 思えてしまった。

 普通の学生を夢見た頃もあったのに、いまでは普通の十八歳の少女になった自分に苛立ちさえ覚えている。


「大丈夫だ」


 シンプルな一言だった。

 たったそれだけの単語が、私の中にいついて離れない。

 肩を抱かれた。

 一歩うしろにいた妖狐が安心させるように私の肩をさする。

 五時を過ぎて日が落ちきるかどうかの瀬戸際で、私の中に安心という名の明かりが灯された。


「こういう時のための用心棒だろう? 俺を頼れ。これは俺の罪滅ぼしにもなるのだから」


 俺を頼れと言われれば遠慮なく頼らせてもらおう。

 だっていまの私はただの少女なんだから。

 だけど、罪滅ぼしとはどういう意味だろう?

 別に妖狐がなにか悪いことをしたわけではないはずだ。

 もしかしたら自分が妖魔だということに負い目を感じているのだろうか?


「ねえ、罪滅ぼしって……」

「葵! 前!」


 私が言葉の真意を問いただそうとした時、影薪の鋭い声が響いた。

 ハッとして前方に注意を向けると、そこにそれはいた。


「化け物め!」


 平野さんは拳銃を構え、目の前の怪物に銃口を向けていた。

 彼にとっての最大の武器はその拳銃だ。

 しかし私にはわかってしまった。

 これはそんな生易しい武器でどうこうできる相手ではない。


「影薪、一応平野さんのカバーを」

「うん!」


 私は影薪を平野さんのサポートに回らせる。

 妖狐は一歩前に出て、私を下がらせた。


「足りない……。足りないのだ……。手足が欲しい!!」


 目の前の怪物は同じ言葉を繰り返していた。


 恐ろしくゾッとする見た目だ。

 悪夢にでも出てきそう。

 その存在は私たちと同じ背丈で立っていた。

 いや、もはや立っているのか置かれているのかの判別さえつかない。

 なぜなら目の前の怪物には手足がなかったからだ。


 全身を灰色の何かに覆われている。

 唯一視認できる生物らしき部分は鼻と口のみ。

 目元は古びた黒い包帯で覆われ、目が見えているのかも分からない。

 灰色の何かに覆われた全身を、包帯と同じ黒色のベルトが不規則に縛り上げられている。

 一体コイツは何者だ?


「足りない、足りない。もっと手足を集めなきゃ……」


 怪物はそれだけ言い残し、突然姿を消した。

 なんの前触れもなく一瞬で消えてしまった。


 私は恐怖で足が震えていた。

 呪力がどうのではない。

 あの醜悪な見た目に、生物として恐怖が生じたのだ。

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