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第二十六話 妖魔の軍勢

 視界の果て、薬師寺家の敷地内数キロ先の空に”それ”は現れた。

 空間が歪み、妖界と人間界のあいだの断絶が消えてしまった。

 虚空に縦一本に入った巨大な亀裂、それが破滅を呼ぶ音とともに開かれていく。

 聞いたことのない音だった。

 世界が割れたと錯覚するような、不穏で不愉快な音が空を支配する。


「あれが妖刻か」


 一条は私の隣に並び、ともに上空のゲートを見上げる。

 次元ポケットで見たそれとは似ても似つかないほどの規模感。

 大気は震え、眠りについていたはずの鳥たちは一斉に飛び立っていく。

 命の危機を感じたのだ。

 さまざまな生き物たちがこちらに向かって走ってくる。

 犬や猫はもちろん、鳥やネズミや鹿までも。


「まるで世界の終わりを見ているようね」


 私の正直な感想はこれだった。

 まるで世界の終わりだ。

 妖魔の姿が見えていなくても、見慣れたはずの夜空に亀裂が入って裂けていく光景はそれだけで不安にさせる。


「まだ始まってもいないですよ」


 空を見上げる私たちに声をかけたのは和美さんだった。

 いつもの柔和な雰囲気は消え去り、殺意に揺れた目をしていた。


「平常心で戦いましょう」


 私はそれだけ口にして視線を前に戻す。

 妖魔たちの気配が近づいてきた。


「出てきたな」


 一条の指摘通り、大きく開かれたゲートから次々と妖魔たちがなだれ込んできた。

 遠すぎてどんなのがいるかは分からないが、こちらに伝わってくる呪力だけでも相当数いるのが分かる。

 禍々しい呪力の波が、ゆっくりと確実に薬師寺家に降り注ぐ。

 その呪力にあてられ、恐怖で何人か体が震えはじめた。

 圧倒的な敵意と殺意だ。

 ほとんどの者にとっては初めての経験だろう。


「影薪、準備して」

「あいあいさ~」


 影薪だけは平常運転なのが心強かった。

 私は影薪を自身の影の中に沈みこませる。


「何をするんだ?」

「ちょっとした罠を起動させようと思って」


 そうこうしている間にも妖魔たちは続々とゲートから吐き出され続け、その数は下手したら一〇〇〇体はいるかもしれない。

 とても数えきれる数ではないうえに、強力な個体がまだ出てきていない。

 様子見の妖魔たちなのかもしれないのだ。

 そんなのにこちら側の戦力を持って行かれるわけにはいかない。


「まずはぐっと数を減らします! 私は反動でしばらく動けなくなりますので、そのあいだよろしくお願いします!」


 私は霊装の力を借りて一気に呪力を出力する。

 ここで有象無象共を少しでも削っておかないと、戦死者が無数に出てしまう。

 妖魔たちがゲートから地上に着地する。

 そのまま彼らはこちらに向かって一心不乱に走りだしていた。

 まさに烏合の衆。

 動物と大して変わらない程度の妖魔たち。


「呪法、月の影法師!」


 私は影に潜った影薪と呪力をリンクさせる。

 影薪はすべての影に潜むことができる。

 それは当然、風景にも適用される。


「我が領地に土足で踏み込んだ不遜な者共に裁きを与えよ、我はこの地の管理者也」


 淡々と詠唱をはじめる。

 言霊が進むたびに私の放つ呪力量は増えていった。


 周囲の者たちは私を見て驚く。

 それもそうだろう。

 私の呪力は、人間が放てる呪力の量を遥かに凌駕しているのだから。


「漆黒より伸びろ! 裁きの棘!」


 唱え終わった私が両手をパチンと合わせる。

 それと同時に”全て”の影に潜んでいた影薪を介して罠が発動する。


 罠の発動と共に、数キロ先の森の中で獣のような悲鳴が聞こえる。

 幾重にも重なった悲鳴が不協和音を響かせる。

 私の棘が木々や岩の影から無数に伸び、こちらに向かっていた妖魔たちを次々と串刺しにして宙に浮かせた。


「えげつないな」

「はぁはぁ……。数日前からずっと仕込んでたんだから、これぐらいの効果はないとね」


 おそらく地上に降り立っている妖魔たちの大半はいまので串刺しにできたに違いない。

 その証拠に一切足音がしない。

 近づいてくる呪力の気配もない。

 運良く罠の一撃で、一〇〇〇体程度はいたはずの妖魔たちの大半を絶命か重傷を負わせることには成功したはずだ。


「敷地内を練り歩いて、全ての影に影薪を一回ずつ潜らせていたからね。それでマーキングを施して一気にってわけ。それに薬師寺家の敷地内であれば、私は通常以上に力を発揮できる」


 私はそれだけ言い切ってその場にしゃがみ込む。

 まるで高熱を出したときのように、全身が火照って仕方がない。

 オーバーヒートしてしまったようなイメージだろうか?


「しばらくはよろしくね」

「ああ、任せろ」


 一条はそう言って私の前に立つ。

 数分間の沈黙の後、少しずつ足音がし始めた。

 もしかしたらさっきの一撃で怯んだだけなのかもしれない。

 さっきまでの勢いがない。

 慎重に進んでいるのだ。


「やっぱり撃ち漏らしがあったか……」

「逆に一〇〇〇体の妖魔を一匹残らず仕留めていたら怖すぎるだろ」


 一条は冷静にツッコミを入れる。

 確かに彼の言う通り、あの一撃で完全に殺しきれるなら妖刻なんて私一人で事足りてしまう。

 だが妖刻は確実にそんな甘いわけがない。

 ゲートからは最初の勢いこそないが、少しずつ妖魔がこちらになだれ込んできていた。


「そうだよ葵。無茶し過ぎ」


 影薪が私の影の中から現れる。

 無茶し過ぎ?

 いやいや、人命が懸かっているんだからやれることは最大限しなくちゃ。


「無茶? まだまだよ。ゼロとはいかないまでも、死傷者は最小限で終えたいの。そのためだったら私は……」


 言葉の途中で呼吸が苦しくなった。

 自分で思っている以上に負荷がかかっているらしい。


「ほらね、普通呪法を使ったからってそんなにならないんだから! あとは他のみんなに任せて寝てなよ」

「そんな無責任なこと、できない」


 私はそう言いつつも、影薪に地面に押し倒された。

 ほとんど体に力が入らない。

 ここは本当に影薪の言う通り、体だけは休めるしかないかもしれない。


「ちょっと支えてくれる?」

「任せて!」


 影薪が私の背後に立って背中を支えてくれた。

 これで戦局くらいは把握できる。


「そろそろ迫って来たな」

「私は西側を担当します」


 和美さんは布陣の西側に向かう。

 当主があまり一カ所に固まっているのもリスクだ。

 やはり当主とその他の者たちとでは、力量差にどうしても違いがでてしまう。

 妖魔たちもそれは分かっているのか、当主がいない場所を見つけるとそこから狙いをつけるらしい。

 すると当然ながら犠牲者が増えてしまう。


「東は雨音さんが担当してくれているから、中央は俺たちだな」


 一条は全身からオーラのように呪力を滲みださせる。

 敵の足音はもう近い。

 いよいよ始まるのだ、妖刻と呼ばれる死の舞踏会が……。

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