翌日、十二月二十四日。
妖刻当日。
ただならぬ緊張感の中で私は目を覚ました。
いよいよ今夜という気持ちが私をいつもより早く叩き起こした。
庭はすでに人の声に溢れていた。
私はベッドから飛び起き、廊下に出て外を窺う。
雪が静かに舞い散る中、戦いのために集まった者たちが各々戦いの準備を進めていた。
一〇〇名以上の集団。
今回の妖刻のこちら側の総戦力だ。
「おはようございます。葵さん」
突然かけられた声にふり返ると、そこには雨音さんが立っていた。
北小路家の現当主にして尾行や追跡のスペシャリスト。
その上で狂気じみた妖魔への殺意を持った女性。
「確かに当日に来るとは聞いていましたけど、ずいぶんと朝早く来るんですね」
時刻は朝七時。
来訪には早すぎる時間。
「私にも準備が必要ですからね」
「準備ですか?」
「ええ、水の準備をしなくては」
「呪法が水でしたもんね」
「普段は準備などいらないのですが、妖刻ともなるとそうはいかないので」
雨音さんはめずらしく笑みを浮かべて去っていった。
各々がそれぞれの準備を進めている。
なにやら陣のようなものを描いている者や、シンプルに体を動かす者。雨音さんのように呪法に必要な道具を用意する者など様々だ。
「葵はもう準備は良いの?」
私の寝巻を引っ張るのは同じベッドにいた影薪だった。
どうやら私に釣られて起きてしまったらしい。
「私はもう罠も張ったからね。あとは呪力操作の確認くらいかな」
そう、私はすでに準備を終えている。
敵が襲ってくる方角はおおよそ決まっている。
ルールとかそういう類ではなく、妖魔の中の決まりらしい。
妖魔たちは家から庭を見据えた方角の最奥から出現する。
母上から聞いた話でもそうだったし、過去のデータを見てもそれが覆ったことはなかった。
「そう、じゃああたしはまだ寝てるね~」
影薪はそれだけ言って再びベッドに戻っていった。
彼女は何かを準備するといったことはない。
影薪は私の式神。
私の指示通りに戦う存在。
つまり彼女の生死も私に懸かっている。
下手な戦い方は許されない。
「葵、早いな」
決意を固めているところに最近よく聞いた声がした。
声の主はちょっと前にともに次元ポケットを攻略した男だった。
「一条、貴方も起きてきたの?」
「こういう状況でのんびり寝ていられるほうがどうかしてるってもんさ」
「まあそうかもしれないけど」
今夜には殺し合いが始まるのだ。
妖魔と人間の代理戦争。
そんな日にスヤスヤと寝られるわけもない。
まあ、影薪は見事に二度寝をしているわけだけど。
「貴方は準備は良いの?」
「俺の準備はほとんどない。軽く体を温めるのと着替えぐらいだな」
「着替え? なにか特別な霊装とかあるの?」
霊装とは作る際に呪力を混ぜ込んで完成させた装備品のこと。
私も妖刻用に用意した着物がある。
「妖刻は短期決戦じゃない。今までのように呪力をぶっ放してたらあっという間にガス欠になっちまうからな。だから呪力操作を補助する霊装に着替えるのさ」
「私も似たような物かな。私の場合は呪力の底上げだけどね」
私の場合は呪力操作は自分で言うのもなんだが完璧なので、操作ではなくそもそもの総量と出力を高める霊装だ。
各々きっと何かしら霊装は持ち込んでいるだろう。
それぞれの欠点を補うものから長所を伸ばすものまで様々だ。
「じゃあ俺は軽く敷地内をランニングしてくる」
一条は颯爽と走り去る。
きっと彼は薬師寺家の敷地が見える範囲全てだなんて知らないのだろう。
どこかで走るのをやめないと、疲労で戦えなくなってしまう。
「妖狐に会いたいな……」
戦いの前に会うのはダメだろうか?
ちょっとぐらい良いかななんて気持ちが膨らむが、いま直接会うと甘えが出てきそうだと思った。
きっと私は彼の顔を見たら戦えなくなりそうだ。
戦うことが怖くなってしまうだろう。
死んだらもう彼に会えないと、本当の意味で理解してしまうかもしれない。
私はそう思い自室に戻る。
別に直接会うだけが自分の気持ちを伝える手段ではない。
テーブルに向かい、手紙に今の自分の想いを書きなぐった。
戦いに赴く心境、妖狐への想い、そして絶対に勝つという決意だ。
あふれる気持ちを手紙に込めて、私はその手紙に呪力を通す。
「手紙を届けるくらいは許されるよね?」
私は自室を飛び出し妖狐の住まう地下室への入り口に立つ。
封印の施されたドアをゆっくりと開く。
地下への続く階段が普段となにも違わない表情で出迎えた。
私は入り口で手紙を上下に振る。
すると手紙は私の想像通りの姿となる。
手紙が勝手に折りたたまれ、小鳥の形となってふわりと飛び始めた。
「行って」
私の簡単な指示が飛ぶと、手紙の小鳥は地下室への階段を下り始める。
それを見届けて、私は静かに扉を閉めた。
これで思い残すことはない。
あとは妖刻を戦い抜くのみ!
「緊張してる?」
「してないわけないでしょ?」
影薪が私に問いかける。
霊装に着替えた私は鏡の前で答えた。
鏡に映る自分はまるで自分ではないみたいだった。
黒く輝く長髪に、紫陽花をあしらった深紫色の着物が映える。
ただの着物では身動きがとりづらいので、スリットが入っている。
霊装を着用していると、自身の中から呪力があふれ出すような気がした。
「調子に乗ってぶっ放さないようにしないとね」
私は鏡に映る自分に自戒して部屋を出る。
庭には総勢一〇〇名を越える妖刻の参加者が出そろっていた。
その先頭には四大名家の当主たちが立っている。
一条はまるで陰陽師のような装いをしていた。
あれが彼の呪力操作を助ける霊装だろう。
雨音さんは軍服のような服を着込んでおり、すらっとした容姿も手伝って男装の麗人のように見える。
西郷家の先頭に立つ和美さんは、水商売でもしていそうな和柄のドレスを着込んでいた。
一方の明美は普段と何も変わらない普段着だ。
明美に限らず、霊装を用意していない者は多い。
普段と同じ格好のほうが緊張せず戦えたりもする。
「皆さん、そろそろです!」
腕時計を見ると時刻は〇時五十九分を指していた。
妖刻は深夜一時から夜明けまで続く魔の時間帯。
あと一分したら妖界と人間界を繋ぐ門が開かれる。
私は自分の心臓が高鳴るのを感じた。
緊張するなというほうが無理な話だ。
これから本当の殺し合いをするのだ。
いままでのような、力の制限された妖魔を殺すのとはわけが違う。
集団対集団の本物の戦争だ。
「来ました! 総員、戦闘準備!」
視界の奥、遠くの空に徐々にヒビが入るのが見えた。