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第二十四話 妖刻へ

「はあ、嫌だ嫌だ」

「葵はああいうの苦手だもんね」


 時刻は二十三時。

 ついさっきまで食事会が行われていた。

 成人を迎えている者は身を清めるという意味で日本酒を一杯飲む決まりとなっている。

 一応決起会みたいなものなので、始まりの音頭は主催である薬師寺家の当主が行うことになる。

 それが嫌で嫌でたまらない。

 恥ずかしながら立ち上がると、歴戦のおじ様たちが私をからかうのだ。

 私がもっと毅然としていれば良かったのかもしれないが、なにせ性分なもので変えられるものでもない。


「終わってよかったじゃん。もうあとはおじさんたちが飲み明かすだけでしょ?」

「それはそうなんだけどね……はぁ、よく明日殺し合いだというのにあんなに騒げるな~」

「逆じゃない? きっと騒がないと平常心を保てないんだよ。あたしはむしろ普通にいられる葵のほうが強いと思うよ?」


 私は庭の見える廊下をゆっくりと歩きながら、自分の式神に褒められる。

 普通でいられる私のほうが変なのか。

 でもそうかもしれない。

 いくら四大名家に属するからといって、日常的に妖魔と関わっている者ばかりではない。

 当主である私とそれ以外の者たちでは、心構えや考え方、捉えかたも全部違って当たり前なのだ。


「まあそうかもね。自分でも意外と平常心なのに驚いてるよ」


 私は静かに答えて歩き出す。


「どこに行くの? 寝室はあっちだよ?」


 影薪に止められてしまった。

 寝室と真逆に進んでいるのは分かっている。


「ちょっと挨拶しときたくてさ」

「誰に?」

「地下牢の彼に」

「そういうことね。あたしは先に寝てるから~」


 影薪は珍しく一人で寝室に戻っていく。

 いままでは私が地下に行くとき、勝手に影に入り込んでいたのにどういう風の吹き回しだろう?


「気を使ってくれたのかな?」


 影薪には私の妖狐への気持ちはバレているはずだ。

 私と妖狐の、決戦前の密会の邪魔はしないでおくということだと思いたい。

 そんなことを考えながら、私は地下へのドアを開けて階段を降り始める。

 薄暗い階段の先、騒がしい地上とは裏腹な地下牢は、まるで時間の流れが止まっているような場所だ。


「今日は上が騒がしいな」

「ここはいつも同じね」


 妖狐が地上の喧騒に顔をしかめる。


「そうか明日か」

「うん。だから会っておこうかなって」

「なんだ、不安になったのか?」


 妖狐はからかうように聞いてきた。

 不安? 私が?


「どうしてそう思うの?」

「顔に書いてある」


 妖狐に指摘されてドキッとした。

 そんなに私って分かりやすいかな?


「実感はないんだけど、貴方がそういうのならそうなのかもね」


 実感はない。

 その言葉に嘘はないけれど、明日自分が死ぬかもしれないと思うと怖くないというのは嘘だ。

 でも実感がない。

 きっと私は死ぬことそのものを恐れているわけじゃなくて……。


「私、死んでしまって貴方に会えなくなるのが怖いんだ……」


 私の気持ちに気づいた。

 不安感はまったくなかったはずなのに、ここにきて妖狐の姿を見て声を聞くだけで、心に恐怖が住み着き始めた。

 来るんじゃなかったって気持ちと、会っておいてよかったという気持ちが交差する。


「他にはないのか? 別に俺に会うだけが生活じゃないだろう?」

「……ないのかも。私、自分が生きている実感がないの。義務感だけで生きてきたような気がする」


 とっくの昔に普通の幸せなど諦めた身だ。

 父親を妖魔に殺されたという事実だけが、私を強くし、影薪という存在が私をこの家業に縛り付けてきた。

 そして当主になってからの私の生活に欠かせないのは妖狐との時間だった。

 彼との密会こそが、私の生きる理由となっていった。


「自分を大切にして欲しいけどね」

「妖魔の王にそれを言われるとは思わなかったな~」

「なら言われないようにすることだな」


 妖狐はクスクスと笑う。


「ねえ、妖狐からすると妖刻って複雑? どっちに勝ってほしいの?」


 私はずっと気になっていたことをたずねる。

 彼は妖魔の王で、私は退魔の当主。

 妖刻は妖魔たちが妖界から、妖狐を取り戻すためにやってくるのだ。

 一体どういう心境なのだろう?


「複雑なことなどあるものか。俺は葵が無事に勝利を収め、夜明けにここに来るのを願っている。お願いだから無茶はしないでほしい」


 妖狐は一切の躊躇いもなく即答した。

 その目は今まで以上に真剣で、今まで以上に本音に見えた。


「大丈夫、私は勝つよ」


 私も負けじと即答する。

 負ける気はない。

 だって私は……。


「薬師寺家歴代最強の名は伊達じゃないからね」


 私がいつから歴代最強と言われているかは忘れてしまった。

 それぐらい前から、期待が呪いとなってこの身に沁み込んでいたのだ。

 今度はその期待を現実に変える時。


「ハハハ! そうか、それなら安心だ。だが油断はしないでくれ。危なくなったら頼ってくれ」

「ここに封印されている貴方に何ができるの?」

「……それもそうか」


 妖狐は自身の失言に苦笑いを浮かべていた。


 でも意外だった。

 妖狐がそこまで自分のことを考えてくれているとは思わなかった。

 気に入られている自覚はあるが、自分を取り戻そうとやってくる妖魔たちと対峙してまで私を守ろうとするとは……。

 嬉しい気持ちと、妖狐の立場を案じる気持ちが入り交じる。


「だが実際どうなのかわからないんだぜ?」

「どういう意味?」

「今まで一度たりとも、本気でこの封印を破ろうとしたことはないんだ」


 妖狐がにやりと笑う。

 初めて妖狐の妖魔らしい一面を見た。

 ゾッとするほど整ったその造形。

 冷たい雰囲気に呪力が乗る。

 まるで野生の獣のような凶暴性を見た。


「そういう一面もあるんだ」

「勘違いするなよ。俺は妖魔だ。人間ではない」


 妖狐は私に忠告する。

 一線を超えるなと言いたげだ。


「わかってるよ?」

「いや、たまにお前は俺を人間だと思って接している時がある。だからあらためたほうが良い。俺は妖魔の王で、お前は退魔の姫。決して相いれぬ者同士だということだ。真実を知れば、俺のことを嫌いになるさ」

「真実?」


 いま妖狐は真実と口にした。

 まだなにか私に隠していることがあるのだろうか?


「いや、なんでもない」

「言ってよ!」

「嫌だ! 言いたくない!」

「教えてくれたっていいじゃん!」

「いいから、お前は早く寝ろ。明日は妖刻本番だぞ」


 妖狐はここぞとばかりに妖刻を持ち出してきた。

 ずるい。

 絶対に妖刻が終わったら聞き出してやる!


「わかった。今日は引き下がるけど、妖刻が終わったら話してね」

「ああ、わかった。だから絶対に死ぬなよ?」

「当たり前よ」


 私はそう言って地下室をあとにした。



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