目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第十三話 一条と葵


「ここの上から……」


 私は時計台の足元から見上げる。

 これは気づかない。

 正直、私でも呪力を感じられなければ気づかないだろう。

 ここに妖魔が本気で隠れていたのだとしたら、愛美さんに逃げることは叶わなかっただろう。

 奴に命を狙われれば、逃げることは叶わない。

 奴は姿も消せる。

 仮に二十四時間つき纏われたら、私でもどっかのタイミングでやられてしまいかねない。


「影薪、一応出ておいで」


 視線の先で一条の目つきが変わる。

 私も異変を感じて影薪を呼び出す。

 寒く冷え切ったひとけのない公園に、私たち以外の気配が一つ。

 人間の気配ではない。


「奴の気配だ」


 一条は野獣のような目つきで周囲を観察する。

 彼の本気の殺意を見たのは初めてだった。

 こんな顔をするんだ……。


「私たちを観察しているみたいだけど、一切殺気を感じない」

「そうだね~。でも油断しちゃだめだよ葵」


 影薪が私に忠告する。

 気を抜くとどうなるかは分からない状態だ。


「私が気を抜いても良いように、あんたがしっかり見張っててよ」

「式神使いが荒いよ?」

「いつも大福あげてるでしょ」

「はいはい。そう言われちゃうとな~」


 影薪は渋々と言った様子で周囲の警戒をはじめる。

 いつも大福をあげている……もとい盗られているのだから、これぐらいは役立ってもらわなければ困る。


「やっぱ式神って便利だよな」

「貴方も作ればいいじゃない?」

「簡単に言うなよ。単純な作業をやらせるだけの式神なら作れるが、影薪みたいな自立した式神はほとんど秘術だぞ?」

「そうなの?」


 そうなの? といいつつ、言われてみれば確かに影薪ほど人間そのものな式神にお目にかかったことがない。

 こうして妖魔への警戒を任せて雑談ができるほど優秀な式神は他にいない。


「影薪って優秀だったんだ……」

「あたしをなんだと思ってたの? 敬意が足りない!」


 影薪はぷんぷんしていた。

 可愛がったことはあったかもしれないけれど、敬意を抱いたことは一度たりともない。

 実は自分は恵まれていたんだなと実感しつつ、公園から妖魔の気配がなくなったのを察知した。


「何が目的だったんだろう? 私たちに正面からぶつかっても勝てないのは分かっているでしょうに」

「こっちの隙を狙っていたのかとも思ったが、しっかりこちらの攻撃範囲外から眺めていやがった」


 一条は舌打ちをする。

 みずからの彼女が殺された現場に、ほとんど犯人みたいな奴がふらっとやって来ているのだ。

 どんな気持ちなのだろう?

 一体どれだけの憎悪が、あんな射殺すような冷たい目つきにさせる?


「去ったってことは用が済んだってこと?」

「どうだかな。もしかしたら妖刻の準備かも」


 一条の言葉を聞いて私も頷く。

 妖刻の準備のために私たちを観察していた可能性すらある。

 そもそも奴が一体なんの目的で人間界に来ているのか分からない。

 わざわざ弱体化してまで、そんなリスクを冒すだろうか?


「そうか、同一体を作れるからリスクじゃないんだ……」

「どういう意味だ?」


 突然呟いた私に、一条は怪訝そうな表情を浮かべる。


「妖魔が妖刻を介さずにこちら側に来るリスクって、呪力の大半が失われて見つかったら殺されやすくなることでしょ? でも妖狐の話が本当ならアイツは同一体を作れる。そうだったらリスクはないんじゃないかって」


 私の説明に一条は黙り込む。

 影薪は……いつのまにかブランコで遊んでいた。

 見た目相応だから構わない。うん、構わない。


「リスクがないのは理解した。だが目的が相変わらず不明だ。妖刻の前にいらぬ不安要素は消しておきたい」


 一条だけでなく、妖刻を知っている者はみなそう思うだろう。

 妖刻はある意味戦争に近い。

 人間と妖魔の代理戦争だ。


「となると早めにアイツを処理しないとね」

「そのためにはアイツの本当の拠点を探し出す必要があるな」


 一条と私の目的が一致した。

 探し方だが、それは私たちを偵察していたアイツの痕跡を追うしかないだろう。


「影薪、行くよ」

「あいあいさ~」


 影薪はブランコから飛び降り、私の影の中に入っていった。

 一条はそれを確認して歩き出す。


「葵、いまからドライブでもしないか?」

「もちろんよ。歩いて追うつもりだったの?」


 私たちはそう言って公園をあとにする。

 幸い、妖魔の呪力の痕跡はうっすらとだが辿れるレベルには残っている。


「どっち方面だ?」

「徒花町からは離れていっているわね」


 車に乗り込み、一条はアクセルを吹かす。

 焦っているのか唐突な発進だった。


「ちょっと! 私が乗っているの忘れてない?」

「悪い悪い。ちょっと焦っちまった」


 一条は口では謝りながら、一切その速度を落とすことはない。

 公園を出発して徒花町の中心を走っていく。

 妖魔の気配はこの先に続いている。


「前のコイツの住処は人を襲うための仮拠点だったってわけね」


 私はてっきりあの妖魔が人間を襲うためにやってきたものだと思っていた。

 短絡的な妖魔の典型例。

 自分が消されるリスクを考えない、本能に任せて生きる愚者。

 しかしきっと違うのだ。

 奴は違う。

 同一体を生み出せる妖魔。

 妖狐の話によれば、妖界でもそれなりの地位にいた妖魔。

 賢いはずの妖魔が妖刻を待たずにこちら側に来る理由が、人間の血肉に飢えたなんてことはないはずだ。


 速度制限ギリギリで飛ばす車は、徒花町のセンター街を通過して反対側へ。

 だんだんと妖魔の気配が強くなってきた。

 近づけてはいるようだ。


「あれは……」


 赤信号で止まったところで、突然一条が呆然とした様子で歩道を凝視する。

 私もつられて彼の視線の先を追う。

 そこにいたのは一際目立つ美貌を誇る女性だった。

 最初はただ単に綺麗な女性に目が惹かれただけかと思った。

 だけど違った。

 彼の表情を見ればそれは明らかだった。


「愛美? なんでここに……」

「愛美さん? 亡くなったはずの? ここにいるわけがないじゃない! 見間違いじゃないの?」

「いや、確かに愛美だ。しかも奴に殺された時のまま……服装も髪型も全部が全部同じだ」


 妖魔に殺された一条の彼女が、当時とまったく同じ姿でそこにいる理由。

 そんなものはたった一つだろう。

 近くに妖魔の気配があることからも一目瞭然だ。


「一条……」

「ああ分かってる。アイツは妖魔が変化しているだけだ」


 私たちが話している間に愛美さんに化けた妖魔と目があった。

 妖魔は私ではなく一条に視線を向けてニヤリと笑った。

 背筋を凍る感じがした。

 あれほど醜悪な笑みを見たことがない。


「舐めマネしやがって!」


 妖魔は一条の様子を見て走り出し、雑踏の中に消えていく。


「逃がすか!」


 一条は信号が青になったと同時にアクセルを吹かす。

 とても街中で出していい速度ではない。


「ねえ少し速度を落としてくれる? もう見失ったよ」

「ああ……悪い。冷静さを欠いた」


 一条は申し訳なさそうに謝る。

 妖魔は距離的に遠くに離れているわけではないだろうが、呪力の残滓を隠して人の中に紛れてしまったらしい。

 木を隠すなら森の中。

 こうなったら探し出すのは困難だ。


「滅茶苦茶性格悪いねアイツ」


 影の中から影薪が会話に参加する。

 性格の悪さはこれまでの戦いで散々分かってはいたが、ここまで煽って来るとは思わなかった。

 奴はやはり普通の妖魔とは違のだろう。


「このまま探していても埒があかないわね。一度家に戻りましょう」

「賛成だ。しかしそうなるとどうやって奴の拠点をおさえる?」


 一条の疑問はもっともで、見つけられないものをどうやって探し出すのか。

 本体を見つけてもこうして逃げられてしまっては意味がない。

 だからこそ、奴の拠点を探し出すしかないのだ。

 拠点は逃げられないのだから。

 拠点で慢心している奴を叩くしかない。


「実は貴方に内緒で拠点探しのエキスパートに依頼してあるから」


 私は青信号で走りだした車内で、自慢げにない胸を張った。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?