一条が待ち合わせ場所に選んだのは、彼の通っている大学の食堂だった。
時刻は午前十一時。
食堂には私たち以外はほとんどいない。
「大学ってもっと人が多いイメージがあったけど?」
「いまは授業中だからな」
「貴方は良いの?」
「一回ぐらいサボっても問題ないさ」
一条は余裕を見せつけるように手を振った。
大学とはそういう感じらしい。
中学までしか行っていない私からすると、信じられない自由さだ。
「すべてが自己責任というのが大学というところさ。社会も同じだろう?」
「まだ社会に出てもいないのによく言えたものね」
一条が社会に出ているかどうかは難しいラインだ。
そもそも社会に出るとはどのような状態を指すのか、判断が難しい。
確かに彼は学生だが、これでも一条家の当主で、私と同じく家業はそれなりにこなしている。
そういう意味では、ある意味で社会人と呼べるかもしれない。
「自己責任なのさ、俺の今の状態も。この前の犯人の正体に気が付かなかったのも、俺が冷静さを欠いていたからだ」
どうやら本題に入ったらしい。
食堂の奥では店員のおばさんが興味深そうにこちらをチラチラ盗み見していた。
きっと色恋だと思われたに違いない。
「言っている意味がわからないんだけど?」
「まあ簡単に言ってしまえば、俺が二年前に殺した妖魔殺人事件の犯人とこの前の奴が一緒だって話だ。昨晩急に気づいた」
「それってつまり貴方の恋人を殺したのも、あの妖魔だってこと?」
「おそらくな」
二年前の妖魔殺人事件。
一条勝則を世間に知らしめた事件。
彼は名声と引き換えに、当時の恋人をその妖魔に奪われている。
事件の詳しい概要は聞いていない。
同業故に一般人よりは詳しいが、それでもニュースの情報に毛が生えた程度だ。
「ということはあいつは本当に同一体を生み出せる妖魔ってことね」
「同一体を生み出せる? なにかの冗談だろ?」
一条は信じられないといった様子だ。
「冗談じゃないよ。妖狐に聞いたの、妖界にそういう特殊な能力を持った妖魔がいるって」
いるのは聞いているが、事件の犯人が本当にそいつなのかはわからない。
そこは確証がないが、状況からして当人である可能性が高い。
「マジか……でも、そうだな。そうじゃなければ説明がつかないもんな。じゃあ、なんとしてもだ」
「何が?」
「なんとしてでも俺は奴を殺さなければならない」
そう決意した一条の目は初めて見るものだった。
私も幾度となく一条と接しているが、こんな獣のような目をしていた記憶はない。
彼は常に余裕があって、みんなに囲まれていて……私からしたら、住む世界の違う存在。
しかしどうしてだろう。
今の彼には余裕が感じられない。
鬼気迫る殺意。
ようやく同業だという認識ができた気がする。
「それは一条家の当主として? それとも一条勝則個人として?」
私は殺気立つ一条に問いかける。
食堂には少しづつだけれどひとけが増えつつあった。
もう授業が終わったのだろうか?
「両方だ。本当は個人の気持ちなど捨て去って、一条家の当主として役割を全うするのが正しいのだろうが、俺はそこまで聖人君子ではいられない。大事な人を殺された恨みは常に俺の心のうちにある」
これは決意だ。
一条の答えは私の問いかけへの回答という以上に、自分自身への誓いだ。
一条家当主としての自分、等身大の一条勝則として自分。
彼の中でそれらは両立するのだ。
「そう、じゃあ妖刻の前になんとかしてあいつを追い詰めたいところね」
「まったく同感だ。そんなめんどくさそうな奴がいる状態で、妖魔たちと正面切って戦いたくないな」
そう言って一条が立ち上がる。
「もう良いの?」
「場所を変えよう、人が増え始めた。このままここにいたら、葵と噂になっちまう」
「ならないでしょ。私みたいな地味な女、貴方と釣り合わない」
私はまさかの理由に驚く。
だって私と彼とではあわないでしょう?
「何言ってんだ? 葵はじゅうぶん魅力的だぞ? たまには同世代と絡めよ。だからそんなに自己評価が低いのさ」
「余計なお世話よ」
「じゃあ行こうか」
「どこに?」
「たまには同世代と絡めと言っただろう?」
一条はにやりと笑い、私の手を取って食堂をあとにした。
「貴方って普段こうやって女の子を誘惑してるのね」
「ひどい誤解だ」
一条の通う大学をあとにした私たちは、行きたい場所があるという彼とともに移動しはじめてから一時間が経過していた。
「どうだか。普通行き先も告げずに一時間も連れ歩く?」
「黙ってついてくる葵もどうかと思うが?」
「だって別にナンパというわけでもないし、貴方の亡くなった彼女さんの話の途中だったから……」
いま私たちがいるのは町はずれの公園だった。
ひとけはあまりない綺麗な公園。
大学から歩いてきたから一時間かかっているが、車なら二十分もかからないだろう。
「目的地はここだよ葵。ここは夜風公園。彼女が最後に目に焼き付けた景色だ」
一条の言葉で私は体に力が入る。
彼の愛する彼女が最後に見た景色。
つまりここが……。
「ここが事件現場」
私は公園を観察する。
何の変哲もない公園だった。
ブランコに滑り台、ちょっとした砂場にベンチがいくつかあるだけ。
唯一目を惹くのは、この公園の大きさには似つかない巨大な時計塔ぐらいだろう。
まるで東京タワーのミニチュアのような造りに、満月を模した時計が設置されていて、その高さは十メートル以上あるだろう。
異様なサイズ感だ。
「この公園の名物だ。彼女はここで死んだ」
上にばかり目をとられていたが、足元に目を向けるといくつか献花が置かれていた。
三つばかりの花束。
どれもわりと最近の物に見える。
「二年も経っちまうとみんな忘れちまうんだよ。ここに定期的に花を捧げに来ているのは、愛美の小さい頃からの親友と愛美の家族、そして俺だけだ」
ここが事件現場。
ここで一条の彼女は殺されたのだ。
私は花束が置かれている場所にしゃがみ込む。
「無駄だぜ? もう呪力の残滓はないだろう?」
彼の言う通り、目を瞑って集中するが一切の痕跡が消えている。
流石に二年前の事件を調査したことはないため、痕跡がどうなるものなのかは知らない。
「でも、どうしてこんな見晴らしの良いところで? 近くに隠れるところもなかったのに……」
一条の彼女である愛美が、彼と一緒にいる時に殺されているのは知っている。
一条勝則ほどの実力者が、こんな見晴らしの良いところで大事な彼女を奪われるなんて信じられなかった。
「上だよ。アイツは時計塔のてっぺんで気配を消していた。愛美と俺は時計塔で待ち合わせしていたんだ。先に愛美が到着して、あとから俺が到着した。俺が愛美の姿を認識した時には、すでに妖魔は時計塔から落下をはじめていた。流石の俺でも間に合わなかった……」
そう語る一条の顔はひどく青ざめていた。
これはトラウマだ。
呪力操作に若干の難が残る程度、いまの彼の様子からすれば大した問題ではないのかもしれない。
目の前で愛する人を殺されるというのはどんな感覚なのだろう?
もちろん気持ちは想像できるし、理解しているつもりだ。
でも安易にわかるなどというつもりはない。
いまの彼を見ていれば分かる。
本当に大切な人を失った者にかける言葉など、いまの私は持ち合わせていないのだ。