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第十話 西郷明美


 和美さんは淡々と話し始めた。

 妖刻がどういったものなのか。

 命を懸けた決死の戦いのおすそ分け。


「家の者も四人か犠牲になったわね……」


 西郷家の従者も犠牲になった十年前の妖刻。

 母上から聞いた話では薬師寺家は十名を超える犠牲者が出たらしい。

 まだ幼かった私は戦いの様子を見ることすら禁じられていた。

 しかし幼いながらにぼんやりとした記憶がある。


 小さい頃に遊んでくれたおじさんや、たまに家に来ていたお姉さんがその日を境に来なくなったのを憶えている。

 急に一人になった気がして恐ろしくなったのだ。

 少ししてから、彼らは家に来なくなったのではなく、死んでしまったのだと知った。

 当時は妖刻というワードは知らなかったから、妖魔に殺されたとだけ聞いていた。


 もしかしたらお父さんもそこで……。


 お父さんの死については妖魔に殺されたとしか知らされていない。

 しかしいま思えば、お父さんが死んでしまったのは十年前。

 ちょうど妖刻と一致する。

 普通に考えれば妖刻で殉職したと考えるのが自然だ。

 でも、もしそうならどうして周りの大人は私にそう告げない?

 私を不安にさせないため? それとももっと別の……。


「まあともかく!」


 和美さんの声でハッと我に返る。

 目を丸くしていた私を、和美さんが柔らかな眼差しで見つめていた。


「最大限の準備をするしかないってこと。大丈夫よ、葵さんは貴女のお母さまより強いんだから」

「……そうだといいのですが」

「まだ若いから不安はあるでしょうけど、一緒に頑張りましょう。私たちは一人じゃない」


 和美さんに励まされ、私は一度深呼吸をした。

 呼吸を整え、意識を切り替える。

 当主になってから何度も繰り返した仕草。


「私は今から楓さんのところにお見舞いに行ってくるけど、明美はどうする?」

「あたしは残る。楓さんによろしく言っといて」

「そ、じゃあ葵さん、明美をよろしくね」

「は、はい」


 和美さんはそう言って部屋を出る。

 これから母上のお見舞いに行くのだ。

 母上と和美さんは妖刻を二度も切り抜けた戦友らしい。

 そんな和美さんからすれば、病魔に蝕まれ入院中の戦友には歯がゆい思いを持っているに違いなかった。

 これまでも定期的にお見舞いに来ているらしく、たまに私が病室に行くと活けた覚えのない花束があったりする。


「明美は準備できてるの?」

「準備って妖刻の?」

「当たり前でしょ。さっきの和美さんの話、聞いてたでしょ? 本当に死ぬよ?」


 私は明美に忠告する。

 西郷明美は確かに当主ではない。

 しかし妖刻は当主だけが戦うわけではない。

 妖魔に対抗できる能力を持つ者たちが、総出で立ち向かわなければ切り抜けられない戦いだ。

 その戦力には、西郷家の次期当主である明美も含まれている。


「ずいぶんな言い草ね葵。当主になってから、ちょっと調子に乗ってるんじゃない?」

「どういう意味?」

「そのまんまの意味よ。意識高い系ってやつ? 流石は四大名家の中のリーダー格、薬師寺家現当主様。私のような当主にもなっていない者は心配で仕方がないってわけね」


 明美は鋭い視線を私に向ける。

 もともと薬師寺家に対するライバル意識が強いタイプだったが、私が当主になってからより態度が悪化している。

 明美はこう見えても面倒見のいいタイプなのだが、私に対してはこんなんだ。

 長らくこんな調子のため、悲しいかなやや慣れてきた。


「そうよ。明美に死んでほしくないもの」

「ずいぶん余裕じゃない。自分は準備万端ってわけね」

「……まさか。余裕なんて一切ないよ」

「葵なら余裕じゃないの? 歴代最強なんでしょう?」


 明美は嫌味ったらしく歴代最強と口にした。

 一体誰が言い出したのだろう?

 私が歴代最強?

 周囲の評価がそうであるなら甘んじて受け入れるが、それと私が慢心していい理由にはならない。

 前回の妖刻で薬師寺家だけで十名以上の犠牲者を出した。

 私の出来次第では今回も犠牲者を出してしまうだろう。


「明美、他人を守る覚悟を持ちなさい。私は現当主で、貴女は西郷家の次期当主。自覚を持たないとダメ」

「自覚? なんの自覚? 呑気に街を闊歩している一般人のために自分を犠牲にする覚悟?」

「明美……」

「葵だってそう思うでしょ? なんで見ず知らずのアイツらのために、私たちが血を流さなくちゃいけないの? たまたま生まれつき呪力を扱えるから? 私たち四大名家に生まれた者には、将来の選択も許されないの?」


 明美はずっと思っていたであろう想いを吐露した。

 私も内心ずっと思っていたことだ。

 思っていながら考えてはいけないと蓋をしていた感情。

 この想いは妖魔と戦う者ならば一度は囚われた感情だろう。

 私なんかは高校にも行かず、ある意味現世からやや離れた暮らしをしているからまだましだが、明美のように学校に通って普通の女子高生としての生活を送っていると、そのギャップがより目立つに違いない。


「……。私は、諦めたよ?」


 発した声は思った以上に震えていた。


「葵……?」

「私は諦めた。私には生まれた時から影薪がいる。将来私が呪力を使って戦うために用意された式神。私がこの道を選ばなかったら、影薪の一生はどうなるの?」


 薬師寺家は生まれと同時に式神を用意される。

 それは将来的に戦う時に役立つのと、ある種の呪いに近い。

 式神といっても、ちゃんと自分と同じように成長していくのだ。

 私が将来戦うために。

 それを私が否定してしまったら、彼女はどうなる? 彼女の存在意義は?

 薬師寺家の式神は宿主のために生を受ける。

 自らの人生というものは用意されていない。

 影薪の存在意義は私という戦う人間が全てとなる。


「私は私のために生きることになった影薪のためにも、この家業と違う道を歩むなんて許されない」


 言葉を失った明美に、私は自分の気持ちをぶつけた。

 私の人生に選択の余地はない。

 本音を影にしまい、本心を闇に溶かし、私は見ず知らずの一般人のために命を張り続ける。


「そう……やっぱり葵は凄いよ。私にはそんな立派な覚悟、できっこない」


 そう語る明美の表情はさっきまでとは違っていた。

 散々嫌味を言っていたとは思えないほどの変わりっぷりだ。


「もう行くね。あたしもこれ以上、葵の邪魔をする気はないから」


 明美はそう言い残して部屋を出ていった。

 残された部屋で、私はため息を吐く。

 私だって、明美と同じ気持ちを持っている。

 だけど私には影薪がいて、薬師寺家関係者の生活を守るという役目もある。

 見ず知らずの一般人のためなんて思想は、所詮綺麗事。

 戦う理由で言えば、最下層の理由といっていい。

 特に当主になってからは、もう一つの理由ができたのだから。


「私がこの役目から降りたら、もう二度と貴方に会えないからね」


 私は地下に囚われたままの彼に思いを馳せた。




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