「同一体の妖魔っているの?」
「いきなりなんなんだ?」
一条と妖魔を退治したその日の夜、私はいつも通り地下牢に来ていた。
体を震えさせながら尋ねる私に、妖狐はあきれ顔だ。
妖狐とこうして会話ができるのは薬師寺家当主だけ。
とはいえ、私ほど頻繁にその権利を行使している当主はいないだろう。
自分でも自覚している。
これはほとんど依存状態だ。
「前の事件で倒したはずの妖魔と全く同じ妖魔を今日殺した」
「言っている意味が分からないな」
妖狐は首をかしげる。
たしかに事実を端的に羅列しただけでは意味不明だろう。
「だ~か~ら~!! このまえ殺したはずの妖魔がまたいたの!」
「お前、そんなキャラだっけ?」
「私を決めつけないでよ!」
「いやいや、もっとお堅いタイプだろう?」
どうにもここに来るたびに私というペルソナが剥がれていく気がする。
普段の私と今の私、一体どちらが本当なのだろうか?
「……たまに自分が何者か分からなくなるの」
「何を言っているんだ? お前は薬師寺家当主、薬師寺葵だろう?」
「そういう意味じゃなくて!」
妖狐は妖魔の王。
妖魔に人間である自分の苦悩を分かってもらおうと思うこと自体が間違っているのだろうか?
私には私の立場と使命があり、だけれど年相応の自分でいたいという気持ちもある。
しかしそれを妖狐にぶつけるのは違う気がする。
彼は望まぬままここに囚われているのだから。
「貴方はおかしくならないの? こんな日の届かない場所に長い年月繋ぎ止められてさ……」
「俺か? さあどうだろうな? 俺がここに閉じ込められたのは物事の分別がつく前の幼い頃だ。正直言って、こうして地下に閉じ込められているのが普通なんだよ。だから違和感もなければ、自由になりたいなんて願いもない」
妖狐はさらっと答えた。
閉じ込めている側と閉じ込められている側。
一体どっちに余裕があるのか分かったもんじゃない。
「仮にも妖魔の王なのに?」
私は念を押して確認する。
彼はこう見えても妖魔の王。
これが普通だなんてあってはならないはずだ。
「俺が妖界で王の座についていたのは、親父が死んでからの半年間だけだ。しかもお飾りのな……。いわゆる血筋ってやつだ。力がなくても嫌々王をやらされていた精神的に幼い子供。王の立場に飽きて、勝手に人間界に来てしまう程に愚かな存在が俺だ。葵はこんな俺を王と呼べると思うか?」
妖狐は逆に私に質問を返してきた。
これでも王と呼べるのかという、シンプルで難しい問いだった。
事実だけ述べれば、彼は妖魔の王だろう。
そして血筋で王が決まるのであれば、彼が生きている限り彼は妖魔たちの王であり続けるのだ。
そこに議論の余地はない。
「どうであれ貴方は王でしょ?」
私の言葉に妖狐は目を丸くした。
そんなに変なことを言っただろうか?
妙な気まずい雰囲気が空間を支配する。
「……ねえ、もしも私が貴方をここから解放しようとしたらどうする?」
しばしの沈黙の後、私は無意識のうちに言葉にしていた。
気づけば口を開いていた。
言葉を失った彼に、私は自分でも驚くような言葉を吐く。
代々薬師寺家の当主には地下の封印を守る義務がある。
それは妖刻の際に有利に働くから。
妖魔たちは自分たちの王の解放を目指す。
だからこそ敵はここに集結する。
敵が一カ所に集中するわけだから、こちらも対応がしやすい。
理屈は分かるし、そうでもしなければ一般人に死者が多数出る事態となりかねない。
だけど理屈と納得は違うし、私は心の通った、血の通った人間だ。
妖狐を我々人間の保身のために、ここに閉じ込め続ける。
その事実に私は眩暈がするのだ。
「仮に葵が封印を解いて俺がここから出るとしよう。その場合、葵はどうなる?」
「え?」
「だってそうだろう? ある意味それは人間を裏切る行為だ。責め立てられるのは葵だ。軽々しくそんなことを口にするな」
「ご、ごめん」
私は思わぬ反応に驚いた。
まさか妖狐に私の身の心配をされるとは思わなかった。
いままでならもっと冷たくあしらわれていたのに……。
「どうした?」
「ちょっと意外だっただけ」
「そ、そうか……」
私も妖狐もそのまま黙り込んでしまう。
静かに冷える地下牢に沈黙が舞う。
時折聞こえる隙間風の音だけが聞こえてくる。
なんでか私は胸のあたりがざわざわしていた。
不思議な感覚。
いままで経験したことのない感情。
呪力のいたずらだろうか?
「も、もういい。今日は帰る!」
「おい、妖魔の話はどうなったんだ?」
「今日はいい! おやすみ!」
私は様子がおかしいのを悟られないよう、急ぎ足で階段を駆け上がる。
相手は妖魔の王。
弱みなど見せちゃダメなのだ。
「ハァハァ……」
私は扉を閉めて肩で息をする。
凍てつく外気が肺を凍らせる。
汗で濡れた額を、冷気がひんやりと撫でていった。
「弱みなんて散々見せてたじゃないか」
息を整える私の影の中から影薪の声がした。
彼女はたまに私の影に入り込んで、妖狐と私の密会を覗き見ている。
悪趣味な式神だ。
「うるさい」
私は自分の影を軽く踏みつけた。
翌朝、震える体をさすりながら布団を出る。
となりには影薪が心底だらしない格好で眠っていたが、とりあえずスルーして身なりを整える。
今日は家から出る予定はないが、ひさしぶりの訪問者があるため化粧は軽くしておく。
「おはようございます葵様。朝食の用意はできております」
「おはよう美月さん、いつもありがとう」
「いえいえお仕事ですから」
美月さんはにこりと笑い、キッチンの方に消えていった。
私は使用人である彼女を尊敬していた。
きちんとした良識を持った大人の女性だ。
こんな妖魔だなんだと振り回されている薬師寺家に仕えていながら、一般的な感覚を一切失っていない。
家事は完璧だし、突然の来客にもそつなく対応する。
「今日は西郷明美様がいらっしゃいます」
「なんだか会うのは久しぶりな気もするわね」
私は味噌汁を啜りながら明美のことを思い出す。
彼女はいつも自分のことをライバル視していた気がする。
四大名家、西郷家の次期当主である明美は奇しくも私と同じ十八歳。
私と違って高校に通っている彼女とはたまに会うのだが、やはり一条と同じく私とは住む世界が違うような気がする。
「いらっしゃるのは三ヶ月に一回の報告会の時ぐらいですものね」
「そう。当主の和美さんと親子でやって来るのよねあそこ。私へのライバル意識が丸出しでちょっと苦手なの」
私は内心を美月さんにぶっちゃける。
和美さんは意識していないだろうけれど、娘の明美はガンガンに意識しているのが伝わってくる。
そんなこんなで朝食を終えて少ししたタイミングでインターホンが鳴らされた。
美月さんがそそくさと玄関を開けに行く。
私は執務室でただただ来訪者を待つ。
別に迎えに行っても良いのだけれど、そこは伝統を持つ家同士の公式行事。
ある程度は体裁というのもある。
「久しぶりですね葵さん」
「こちらこそ、和美さん、明美」
にこやかな表情で入ってきた和美さんと、それとは対照的にムスッとした表情の明美。
対照的な二人は服装すら対照的だ。
和美さんはいつもピンクと紫の入り混じった着物を着こなし、髪は黒髪でかんざしを挿している。
対して明美はとても恒例行事の服装とは思えない格好だった。
ふわっとした白いブラウスに、紺色の膝丈のスカートを華麗に着こなし、その豊かな胸のふくらみが自信をあらわしている。
髪は茶髪で肩甲骨まで伸ばされている。
パッと見はギャルに見え、とても妖魔退治をする家の娘には見えない。
「それではここ三ヶ月間の報告を……」
和美さんは挨拶もほどほどに本題に入る。
この定例会は名家同士で近況を報告する会で、緊急時は電話などで連絡を取るが三ヶ月に一度はこうして顔をあわせて話をするのが慣習となっている。
まあ、いざとなれば命を預け合う間柄になるわけで、普段から一定の交流は持っておいた方がいいのだ。
「最近は妖魔による事件が増えてますね」
「やはり和美さんの地域でもですか……こちらも同様で、お手紙でも書かせていただきましたが、妖刻が迫っていますのでその影響かもしれないです」
「はぁ……犠牲が出なければいいのですが……」
和美さんは当主になってから十年以上経っている。
つまり前回の妖刻を経験している。
「妖刻は実際のところどんな感じなのでしょうか?」
定例会の最後に、私は気になってたずねた。
「あれは地獄でした」
和美さんは遠い目をしてポツポツと話し始めた。