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第八話 動揺


 警察署から事件現場までは車で二十分程度だった。

 場所は大通りからはやや奥まった路地にあった小さな喫茶店の裏。

 この前の袋小路と同じく、人目がつかない場所である。

 死体は当然ながらすでに回収されてるが、そこに呪力の痕跡は残っているのだ。


「影薪」

「はいはい」


 事件現場に到着するや否や、私は影薪を呼び出し痕跡を探す。

 数分間の捜査の結果、思いのほかはやく痕跡を発見できた。

 被害者の血痕の跡、私は前と同じように血痕に触れて唇に触れる。


「おいで」


 私は影薪を手招きし、そっと彼女に口づけた。


「憶えた?」

「う、うん。だけど……」

「だけどどうしたの?」

「葵、やっぱり一緒だよ。まったく一緒の。このまえ殺したアイツと全く同じ個体の気配がする」


 影薪の感想に私は言葉を失う。

 まったく同じ個体?

 そりゃ多少は覚悟していた。

 手口が全く同じなら、同一犯を疑うのは当たり前だし、仮にその個体がすでに対処されているのなら似たタイプの妖魔かなとは思っていた。

 だが全く同じだと?


「おい葵」

「分かってる」


 一条がそっと耳打ちする。

 分かっている。

 奴は思いのほか近くにいる。

 近くにいるどころか、視線を感じた。

 明らかに私たちがここに来ることを見越しての行動だ。


「平野さんは一条の近くに。影薪、位置を特定して」


 私はテキパキと指示を出し、右手に呪力を集中させる。

 なんてことはない。

 本当に前回と同じ個体なら同じ方法で殺せばいい。


「葵」

「なに影薪、見つけた?」

「う、うん。いたけど……」

「場所は?」

「真上」


 私たちは一斉に見上げる。

 空には当然誰もいない。

 まだまだ太陽がまぶしく輝いている。

 しかしどこにいるのかが理解できた。

 なぜなら真横のビルの最上階にキラリと光る何かを見つけたから。


「躱して!」


 私は嫌な予感がして叫んだ。

 全員が現在地から数歩移動したタイミングで銃声が鳴り響いた。

 日本の街中で聞くことはないであろう発砲音。

 その音の直後、私のとなりの地面が抉れた。


「くそ!」


 一条のほうが私よりも早かった。

 即座に呪力を拳にため始める。

 しかし一瞬、呪力が霧散する気配がした。

 一条はその事実に気がつき、険しい表情を浮かべていた。


「影薪!」


 いつのまにか姿を消していた影薪の名を呼ぶ。

 その刹那、影薪はビルの最上階にいる妖魔の影から出現し、妖魔を蹴り落とす。

 影薪は影の中に潜れる。ビルの影に入り込み、一瞬で妖魔の背後をとったのだ。


「ナイス!」


 私が指を鳴らすと、影薪は私のとなりに出現する。

 あとはもうこちらの番。

 妖魔は落下しながらもライフルの銃口をこちらに向けるがもう遅い。


「呪法、月の影法師」


 右手と左手をあわせる。

 全く同じ個体というのなら、全く同じ殺し方をすればいいだけだ。


「力を貸せ、皆月!」


 漆黒の闇が空間を支配し、自身の影の中から無数のタコ足を呼び出す。

 もう一発放たれた銃弾はタコの足が弾き、即座に空中の妖魔に向けて伸びていく。

 一瞬のやり取りだった。

 束の間の落下。

 妖魔は地面に激突することなく、無数のタコ足に捻りつぶされた。

 地面に滴るのは臓物と血液だけ。

 殺したはずだ。

 今回も前回と同様、確実に殺したはず。


「どう一条?」

「確実に殺したな。前も同じか?」

「ええ、まったく一緒。だから同じ個体なわけがないの。だけどあの妖魔、前回と同じ見た目だった」


 唯一違う点があるとすれば、それはライフルを持っていたこと。

 妖魔が人間の武器を使う例も今までになくはない。

 妖刻を通さずにやって来た妖魔は、呪力の大半を失うため、戦闘力の底上げのためにナイフなどの刃物を持つことはあった。

 しかしライフルなんて聞いたことがない。

 というより、一体日本のどこで手に入れたものなのだろう?


「これは狩猟用のライフルですね」


 平野刑事は唯一現場に残されたライフルを観察する。

 狩猟用?

 つまり私たちは狩りの対象ということだろうか?


「これで解決といって良いのか分からないが、いまはこれ以上やりようがないな」


 一条のこの言葉で全員が無言でうなずく。

 他にやれることはないが、全く同じ個体が確認されたことで同様の事件が発生する可能性が高まったままだ。


「またなにか起きたらご相談させていただきます。我々警察は、事件が起こった後にしか動けないので」

「分かりました。遠慮せずにすぐにご連絡ください」


 私たちは平野刑事と別れ、直接帰宅することにした。

 影薪は再び私の影の中に身を潜め、私と一条の二人だけとなる。


「なんであの時、呪力が一瞬散ったの?」


 私は見逃していない。

 ビルの最上階に妖魔の姿を確認した時、一条は確かに攻撃しようとしていた。

 しかしほんの一瞬の出来事だが、呪力が一度だけ不自然に揺らいだのだ。


「貴方があんな初歩的なミスをするとは思えないのだけど?」


 一条勝則はこれでも一条家の当主。

 国から表彰されるほどの男だ。

 呪力操作を誤るなんて考えられない。


「……葵には言っていなかったけど、二年前の事件解決の時にさ、妖魔に当時の彼女を殺されてるんだ」


 私は目を丸くした。

 いくら四大名家といっても、別に普段からそんなに交流があるわけではない。

 もちろん当時の事件のことはニュースにもなったし、私たちの界隈でもそれなりに話題にはなった。

 だが彼の恋人が被害に遭ったというのは初耳だった。


「あれ以来、妖魔を目にすると一瞬だけだけど呪力の操作が狂うようになっちまった。常人なら気づかない程度なんだが、やっぱりお前は凄いな。普通気づかないぞ?」


 一条は気丈に笑う。

 その笑顔にどれだけの人間が騙されているのだろう?

 彼も、いろいろとストレスのかかる立場だ。

 名家の看板を若くして背負い、常にみんなの中心にいる彼のプレッシャーはいかほどだろう?

 周囲とのギャップになぜ耐えられているのかわからない。


「私にはできない芸当ね……」

「なにがだ?」

「そうやって気丈に振る舞って、一般に馴染んで笑っていられるところ。私はそこまで強くない」


 私は一条勝則に尊敬の念を抱いている。

 絶対に私にはできない振る舞いだ。

 中学でもけっこう精神的にギリギリだった私は、家業を言い訳にして高校に行くのをやめた。

 時間的に厳しいという理由もあったが、一番は周囲に馴染めなかったことだった。

 幼い頃から命のやり取りを見聞きしてきた私にとって、クラスの他の子たちの会話や考え方が理解できなかったのだ。

 なぜ自分たちは命を張っているのに、彼女たちは笑っているのだろう?

 なぜ死なない明日を信じているのだろう?


 私のお父さんは妖魔に殺されたのに……。


 お父さんの犠牲の上での平和だと思っていた。

 今でもその気持ちはなくはないけれど、当時はもっとその思いが強かった。

 自分の立場と周囲の立場、お互いの安全に対する認識の違いに押しつぶされそうになっていた。


「どうだかね……。俺だって強いのかどうかはわからない。実際、愛美が殺されてから、呪力操作は拙い。その程度だよ俺は」


 一条は日の暮れてきた徒花町の歩道橋の上で、苦笑いを浮かべていた。

 私はそんな彼の表情を窺う。

 愛美とはきっと殺されてしまった彼女の名前だろう。

 その名を口にした時、一瞬だけ彼の唇が震えていたような気がした。


「妖刻までに治るといいわね」


 私は彼の動揺に触れることなく、静かにその場所をあとにした。


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