月末の書類の山を片付けて数日たった十二月上旬。
寒さもいよいよ本番を迎えてきたころ、私は妖刻に備えて薬師寺家の各分家にむけて一通の手紙をしたためた。
内容は妖刻についてのもの。
妖刻は、十年に一度だけ訪れる、妖魔たちが住まう妖界と人間界が交わる時間のことを指す。
必ず夜間に起きる現象で、妖魔たちがなんの制限もかけられずに人間界にやってこられるタイミングというだけあって、彼らは群れを成して攻め入ってくる。
妖魔の大半は人間を食らう。
人間界は彼らにとって絶好の狩場なのだ。
普段人間界に潜んでいる妖魔は、妖刻の際に討ち漏らした妖魔か、リスクを背負ってまでも人間界にやってきた妖魔かのどちらかだ。
大半は後者だろう。
普段だって妖魔は人間界にやってこれる。
しかし妖刻以外で世界を越えてしまうと、妖魔は自分の持つ呪力の大半を失うことになる。
つまり普通の人間にやられてしまうリスクがある。
それだけ世界を隔てる壁は分厚いのだが、十年に一度の深夜、世界の壁は取り除かれる。
それを我々は”妖刻”と呼び、いま私はそのための準備に奔走している。
「あたしはどうしようか?」
「アンタは呪力の操作量を上げる修行でもしといて。妖刻は熾烈よ」
影薪の呑気な様子に私は小言を言う。
実際、妖刻は熾烈だ。
一斉に押し寄せてくる妖魔の群れ。
彼らは一斉にここ薬師寺家に攻め入ってくる。
理由は簡単、この家の地下にある。
「はいはい。でも妖魔たちもなんで地下のあんなのに固執してるんだろう? 人間につかまった間抜けな王だよ?」
影薪は至極当然の疑問を抱く。
普通に考えればそうだろう。
「妖狐が薬師寺家の当主につかまったのは三〇〇年も前で、その時はまだ彼は子供だったんだから仕方がないでしょ」
「なんで葵が妖狐の肩を持つの? 一応言っておくけどアイツは敵だよ? 情でも移ったの?」
影薪の言葉にハッとした。
そうだ、何を考えていたのだろう。
彼は妖魔の王で、私は妖魔を狩る側の当主だ。
でも地下で会う彼は優しくて私に親身で、まるで……。
「……情が移った。悪い?」
私は少しの逡巡のあとハッキリと断言した。
認めよう、私は彼に特別な感情を抱いている。
これが許されない感情だとしても、私はこの気持ちに嘘はつきたくない。
「ううん。悪くない。でもさ、葵は今のままでいいの?」
「どういうこと?」
「だってさ、好きな人が地下で封じられているままでいいの?」
影薪は私の内心を覗き込む。
式神だもんね、そりゃ全部筒抜けか。
「良くはないけど彼を解放する術がないし、許されることではない」
これは禁断の気持ち。
私はこの気持ちを秘めたまま生きていくと決めたのだ。
「そうだよね……。ごめんね、意地悪言っちゃったかな」
「影薪は悪くないよ。全ては私の力不足」
実際、仮に妖狐の封印を解いてしまったら、いまの平穏な日々は維持できない。
妖刻が十年に一度起きても、私たちが平和に街を歩いていけるのには訳がある。
妖魔たちが真っ先にこの薬師寺家を目指してくれるからだ。
ここ三〇〇年、当時の当主の思惑通りになっている。
妖魔たちは自分たちの王が囚われているからこそ、十年に一度の本気で戦える唯一の機会に奪還を目指すのだ。
だから敵の戦力はここの集結し、私たち四大名家はここ薬師寺家にて防衛戦を行うことができる。
敵が出現するタイミングと場所が分かっている戦い。
どちらが有利なのかは考えるまでもない。
「葵は歴代最強でしょ? 力不足じゃないと思うけど?」
「違うの。もっと私がしっかりしていれば、新しい術を生み出したりとかそういう力があれば、妖狐を解放しても妖刻を乗り越える力があればって、そう思うの。ただそれだけ」
「葵はじゅうぶん頑張っていると思うけどな~十年前に一度死にかけたのを忘れたの? 無理をし過ぎちゃダメなんだよ?」
影薪は忠告する。
こうして心配されていると、まるで影薪がお姉ちゃんに見えてくるから不思議だ。
「私はあまり憶えていないけど、そうなんだよね」
影薪や母上が言うにはそうらしい。
私が誤って禁忌の間に入り込んでしまい、体中の呪力が結界に吸い取られてしまい死ぬ寸前までいったらしい。
地下牢には薬師寺家の当主しか入れないというのは、そういった理由があるためだ。
薬師寺家の当主だけは、結界の機能の外側にある。
「でもね影薪、それとこれとは別なの。私の戦う理由はいくつもある。妖狐の解放と私の父を奪った妖魔への復讐、それにこの家の役割。理由は一つじゃないし、どれも譲れない。譲れない気持ちのために努力を怠らないというのは当たり前なの。そうやって私はここまで力をつけてきたんだから」
私はそう言って立ちあがった。
「手紙を出してくるから影薪は修行でもしてなさい」
「え~」
「いいから」
「分かったよ。妖刻も近いしね」
影薪はそう言い残して部屋をあとにした。
私は私で書き終えた手紙を片手に部屋を出る。
薬師寺家を出て近くのポストに手紙を投函する。
今どきなのだからメールでいいじゃんと前に影薪に言われたが、私が機械に疎いのと、やはり命がけの戦いへの招集状だ。
簡単な手段で送るべきではないという気持ちがどこかにあるのだ。
「葵様、お電話です」
私がポスト投函を終えて家に戻ると、使用人の美月さんが電話片手にやってきた。
「お相手は?」
「刑事の平野様です」
私は目を見開いて美月さんから電話を受け取る。
前回の妖魔殺人事件から特に何もなかったのに、一体なんなのだろうか?
「かわりました。薬師寺葵です」
「お久しぶりです。妖魔事件担当となりました平野です。今回は折り入ってご相談したいことがございましてお電話させていただきました」
「相談ですか?」
「はい。実はまた妖魔による事件が発生し、薬師寺様に見てもらいたく思いまして……」
「葵で良いですよ。今から行きましょうか? 場所はどこですか?」
「分かりました。場所は徒花町の警察署にお越しいただければと思います」
「承知いたしました。いまから伺います」
私は電話を切って美月さんに手渡す。
「今からお出かけですか?」
「はい、また事件が起きたみたいで」
「ご無理はなさらないでくださいね」
「ありがとう美月さん」
私は急いで部屋に戻り、必要な荷物を持って影薪を呼びに行く。
修行をちゃんとしているのならはなれの道場だろう。
私は冷たさで震える素足を我慢して、渡り廊下を進み道場のドアを引く。
中には思った以上に真剣に呪力を放っている影薪が立っていた。
「影薪、出るよ」
「どうしたの?」
「刑事の平野さんから呼び出し。また妖魔による事件が起きたって」
「多すぎでしょ最近」
影薪は呆れた様子でため息を漏らす。
首を横に振りながらも、大人しく私の影に入っていった。
「じゃあ行ってくるね美月さん」
「お気をつけて」
私は美月さんに見送られて、警察署に向かった。